かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

女系で読み解く天皇の古代史

2022年06月20日 | Books
相変らず地震が多い。
それも、場所がばらばら。
能登半島の付け根の方は、地震が少なかったと思うのだが、先端の方で、大地震が連続して発生している。
こればかりは、来たらよけようがないので、来ないことを祈るしかない。



また関さんの本を買ってしまった。
まだ出たばかり。
題名は、異なるのだが、中身は、既書と重複するところが多い。
本書も、女系で読み解くとあるが、結局女性天皇の時代の古代史を、女性天皇中心に再構築しているということで、特に新味はない。
でも、読んでしまう。

ただそうなってしまうのは、無理のないところで、女性天皇と言っても、一括りにできるものではなく、時々の異なる事情を背景に生まれたものだから、そこに一つの法則的なものを導き出すのは難しい。
強いて言えば、最初は、巫女的な存在だったが、女帝(先帝の配偶者が中心)が生まれてきて、律令が整い本格的な女帝が出だすが、孝謙/称徳以来ぷっつりと途絶えるという歴史になる。

まずは、最初の推古天皇が生まれる前の大和朝廷の話になるが、これは、いつものタニハ連合(但馬、丹波、丹後、若狭)の話が中心。
このタニハ連合が、北九州、出雲連合と対抗していたが、吉備と東海の勢力が台頭し、ヤマトを立ち上げたということになる。
そういえば、タニハ連合の地域にはあまり行ったことがなかったので、7月に旅行を計画している。

ヤマト建国には3つの王家(瀬戸内海=物部、東海=尾張、日本海勢力=タニハ)がかかわっており、建国後も、この3勢力が絡みながら政権を支え、天皇を決めていた。
その日本海勢力を代表するのが、蘇我家で、そこに推古天皇が誕生。女帝が巫女的な存在であったことも初の女帝が立った一因かもしれない。
神代の時代から、混乱の時期に、女帝が求められた。
しかし、その子孫が天皇を継ぐことはなかった。
この3つの王家が、融和、対立を繰り返す中で、天皇も決まっていき、天武天皇の時代になって、まとまりが完成したと考えられる。
その後藤原氏が台頭すると、東との対立が再び深まっていく。

記紀以外の歴史書から、真実を探ろうとするのも、関さんの特徴で、推古天皇は、実は、物部系で、蘇我氏と共に、改革事業を推進したと推理する。

古代の女帝の最後となった称徳天皇の時代、道鏡とのスキャンダルが、天皇家の形骸化、藤原氏が実権を握る時代の到来のきっかけとなり、この3つの王家が覇権を争う時代は終わり、女帝を必要とする時代も終わったのではないか。

古代史の面白いところは、いろいろ推理ができることだが、ちょっと推理しすぎ?といつも感じるのだが、気のせいか。
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The Beatles FOR SALE sessions

2022年06月19日 | The Beatles
今日は、ゴルフ。 結構暑くて、スコアも振るわず。 途中、熱中症気味で、リタイアしている人もいた。 この暑さで、熱中症だと、7月8月は、厳しい。



Eternal Groovessさんからのリリースが続いていて、追いつけていない。
本CDもずいぶん前にゲットしたはずなのだが、まだ聞けていなかった。
そうこうしている内に、EMI Sessionsシリーズが始まって、65-66も聞いていたので、たぶん一部重複している。

EMI Sessions シリーズは、セッション日毎に、追っていく構成だが、本シリーズは、アルバムにある曲の別テイクを追っていくという構成で、切り口は、ちょっと違う。



さて、本作の感想はというと音はきれいだが、ややING感に欠けるということか。
テイクNo.は低いので、粗削りなバージョンを期待してしまうのだが、曲の構成、ハーモニー、伴奏の付け方など、かなり整っている印象を受ける。
テイクをする前に、それなりの練習をこなしているのと(当時は、まだスタジオを自由に使える身分ではなかったろう)、ツアーとツアーの合間に、頻繁に新作を発表しなければならなかったから、じっくり製作する余裕がなかったということからなのだろうか。

特に、前半は、アルバムの別テイクを1テイクづつ並べていて、面白みに欠けるか。
もちろん、少しづつ違うのだが。
裏アンソロジーという印象。
後半は、I Feel Fine、 She's A Woman、 I'm A Loserの複数テイクが入っていて、特に、日本公演でも演奏したShe's A Woman の演奏が長々と続いて面白い。
ラストのLeave My Kitten Aloneは、結局ボツになったが、アンソロジーで、既に、日の目を見ているため、驚きはない。

ということで、マニア向けだが、音はいいので、裏アンソロジーと思えば、手を出してみてもいいか。

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Jim McCartney

2022年06月18日 | The Beatles
今日は、これからホームパーティ。 昨年末以来か。 久しぶりだ。 そして、ポールの80歳の誕生日。 ついにという感じだが、幸い元気にツアー中だし、とにかく再度の来日公演を祈るのみ。



ポールつながりでまたまた珍品ゲットした話。
このポストカードは、レバノンのビブロスという世界遺産にある対十字軍の砦。
元々ビブロスは、フェニキア人発祥の地だそうで、ビブロスは、パピルスの語源でもあるという。
ということは、バイブルの語源にもなったということ。
首都ベイルートからもそう遠くないところにある。



そしで、1966年7月に、ここを訪れていたのが、Paul McCartneyの父であるJim McCartney。
1902年7月7日生まれ。When I'm Sixtyfourは、父の64歳の誕生日から来ているというが。
当時、ビートルズは、ポップミュージック界の頂点にいた訳で、Jimにとっても、最高の時期であったと思われる。

消印を見ると、レバノン側の消印が、1966年7月27日で、ロンドン側の消印が7月29日。
宛先は、ロンドンのNEMSオフィスの、アリステア・テイラー宛になっている。

カードをそのまま読むと
Dear All/You did your
stuff well+truly. We
were interviewed at Beirut
Airport by the local
press+pictures+story
apperaered following day.
Having smashing time.
Will Ring when I return.
Jim+all the
other Mac's.
と読める。

とすると、ポールもいっしょに旅行していて、インタビューを受けて、その記事が翌日の新聞に載ったということなのだろう。
確かに、アジアンツアーが終わって、アメリカツアーまでは、休暇だったろうから、プライベートの時間を楽しんでいたのだろう。

JimもPaulも至福の時。
Jimは、約10年後の、1976年3月に、73歳で亡くなった。
Jimが音楽好きであったことが、Paul のベースになっており、Paul の音楽活動を支援し続けた。
このポストカードも、NEMSに、みんなが元気でいることを伝えるためのものだった。

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藤本国彦プロデュース ビートルズの世界

2022年06月17日 | The Beatles


今日は、昼はゴルフ。
夜は、昨夜に引き続いてのWebトークイベント。
以前は、渋谷まで通っていたものだが、家で視聴できるようになり便利になった。
ドリンクも、自前だし。

今日は、藤本国彦さんのトークイベントで、ゲストは、GLIM SPANKY。
松尾レミさん(松尾さん)と、亀本寛貴(かめちゃん)のデュオ。
かっこいいデュオという印象はあるが、あまり深くは知らなかった。
藤本さんの鋭い突っ込み質問で、ビートルズが彼らに大きな影響を与えたことが浮き彫りになった。
松尾さんが、曲の骨格を作り、亀本さんが、ギターリフなど、楽曲を仕上げていくのだという。



ちょうど、新アルバムの作成が、前日完了したということで、終始和やか、リラックスムード。
早速予約させていただいた。
最近は、ストリーミングが主流なので、CD購入客は上客だそうだ。
確かに、割高感はある。
ビートルズへのオマージュが多く含まれているそうだ。
ウィスキーがお好きでしょうも。
カバーの際は、単なる物真似にならないよう、自分の物にしてカバーするとのこと。



まずは、映画のGET BACK。
今までの疑問の答え合わせができた!と。
確かに、これは、みな感じていることだろう。
結構、間違った推理をしていた人が多かったとのこと。
それと、グループをまとめるのはたいへんということ。
GLIM SPANKYは、二人組だから、議論は、しやすいが、4人がばらばらだとなかなかまとまらない。
結構議論するが、どちらかが納得して、前進していくスタイル。
一方、ファッション、特にジョージ、リンゴ、グリンジョンズが面白いとも。
彼らは、ビートルズのサイケ時代に興味が強いようで、なおさらだろう。
発見より、驚きの方が多く、4人のスイッチの入り方が違うということを強く感じる。
それと、アナログ時代とデジタル時代の音楽作成方法の違い。
今は、デジタルだから、離れていても、データのやり取りで、どんどん曲作りを進めることができる。
当時は、スタジオで顔を合わせてというスタイルでないと、なかなか進まなかった。
そういえば、フィルによるジョンのテープ盗難事件や、ポールの強盗によるデモテープ強奪事件などもあったが、デジタル時代は、そのような心配もない。

ビリープレストンの登場も印象的だった。
雰囲気を盛り上げただけではなく、楽曲の底上げができた。
とにかく明るい。

屋上ライブで最大のパフォーマンスで最高の姿を見せたビートルズ。
これこそロックミュージシャン。
ポップスミュージシャンは、ステージステージ同じ姿を見せようとするが、ロックミュージシャンは本番でかます。
ポールは今もそれを続けている(彼らは、まだ一度しか見れてないそうだが)。
それと、リンゴのフィルが凄い。
それぞれの立場に立って見るのも面白いとも。
確かに、派手さはないが、それぞれの楽曲に沿った独特のドラミングを見せる。
全て、楽曲ができてきてからの後付けだ。

ビートルズは、昔からなじんでいた訳ではなく、最初は、電話の待ち受けのLet It Be、Yesterday、ギター教本での、サンプル曲(Let It Be など)程度だったと。
大学時代2009年のCDリマスターがあり、そこで、初めて全部聴いた。
初めて歌ったのは、中2の全校集会。
Stand By Me を歌って、がさっとなる歌い方(シャウト?)が受けることを発見。
Happy Christmasなども歌った。
Bonzo DogやRuttlesの記事なども読んだという話をしたら、どうも藤本さんの書いた記事だったらしい。
常に遊び心、ユーモアが大事とのことで、これもビートルスからの教えだろう。

好きなアルバムはという問いに松尾さんは、Rubber Soulから、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band、Magical Mystery Tourを中心とした中期のアルバムを挙げる。
コーラスワークがすばらしいという。
Mother Nature's Son、Rocky Raccoon、Being for the Benefit of Mr Kite!、Wild Honey Pie、Tomorrow Never Knows、などを挙げるが、ちょっと変化球?
新作の"形ないもの"という楽曲もこの辺の曲がヒントになっているという。
亀本さんも、ビートルズからの引用が多く、メロトロンも多用している(シンセか?)とのこと。
Sgt Pepper's、Oh! Darilng、Twist and Shout、Hey Jude、I’ve Got a Feelingなどを挙げた。
これは、ややオーソドックス。

これからギターをやる人に対してのアドバイスは?という質問に、なるべく高いギターを買うようにというアドバイス。
なるべく高いとは?という質問に対しては、50万円ぐらいという返事。
ただ、人に応じて、20万とか、10万とか。
たぶん、高いギターで始めれば、より真剣に取り組むようになるという意味なのだと思う。

ポールについては、人間かな?という感じ。
とにかく、何でもやる。

喉を守るために、水とハーブティをよく飲むという。逆に、コーヒー、ジュース、普通のお茶などは、喉に悪いらしい。

とかなんとか言っている内に、あっという間の2時間。
楽曲を作る人がビートルズの影響についてダイレクトにお話しいただき、ひじょうに面白かった。
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春日大社・若宮の式年造替とおん祭

2022年06月16日 | Nara ( Japan )


今晩は、丸キャリTraelさんのセミナー。
以前は、なかなか当たらなかったが、ハイブリッド開催になり、Webで視聴できるようになった。
Webのメリットは、スクリーンを、気軽に撮影できること。
リアルの場合、禁止になっていたり、気兼ねして取りにくかったりする。
レジュメが配られていればいいのだが。
アーカイブ配信があれば、期間限定だが、時間差でも視聴できる。
オンラインイベントが増えたのは、新型コロナの大きなメリット。
主催者側のそろばん勘定はわからないが。

今回のテーマは、春日大社。
第一部は、元奈良国立博物館館長の西山厚さんの「春日大社・若宮の式年造替をおん祭」。
西山さんの話は、リアルイベントでもお聞きしたことがあるが、ひじょうにわかりやすく、面白い。
奈良国立博物館で永年企画をされていただろうから、観客の側に立った、話ができるのだろう。
京大を出た後、奈良に単身赴任後、通勤が面倒くさくなって、奈良に住んで、30年になるという。
隅から隅までご存じで、かつそこに住んでいるからこその情報をたくさんお持ち。

まずは、奈良の街。
ここまでは、私も知っている。
もう20回近く行っただろうか。
結構歩いた。



そして、通常の人は、見れない春日大社に祀られている神々の説明。
中門まで入ったことはあるが、そこから先は、関係者しか入れない。
西山さんも、数度しか入れたことがない。
右の2神は、鹿島、香取の神で、左の2神は、この前お参りした枚岡の神。
そしてその2神から生まれたのが若宮で、何と平安時代!



777年に、藤原氏の氏神として創建された。



しかし創建前の地図に、神地として、春日大社の場所が記載されている。
藤原氏が創建した前から、何か聖なるものがあったことがこの地図からわかる。



若宮が生まれたのは、1003年。
ところてんのようにして生まれたとされる。



そして、飢饉等災難が続き、神々を喜ばせようと、おん祭が始まったのが、12世紀。
平安時代末期になる。
887年も続いている。



春日大社は、今は、神社だが、江戸時代までは、神仏習合の寺で、それぞれの神に仏が当てられていた。
若宮には、文殊菩薩が当てられていた。



上の絵を拡大すると、数珠を手に、拝んでいる人がいるのがわかる。



春日大社は、遷宮は行わないが、若さを保つため、20年毎に、造替(ぞうたい)が行われている。
立て替えではなくて、リノベになるが、20年毎といところがポイントだという。
10年毎だとちょっと忙しすぎるが、30年毎だと、伝統の継承が難しい。
20年毎だと、前回、前々回の造替の経験者が残っており、着実に、技術が継承できる。
前回は、2015年から201t6年に行われた。
確か奈良博で特別展も開催されたと記憶する。
行けなくて残念だった。



若宮様をお旅所(おたびしょ)に移すところから始まるが、その最初の儀式がこの磐座からスタートする。
この磐座自体が、一つの神社という。



お旅所は、三条通りと、東大寺南大門の南の角ぐらいにあるそうだが、全然知らなかった。
というのも、この時期のみ御旅所が作られそこで、いろんな行事が行われるのが、おん祭。
普段は、ただの原っぱ(お旅所のところが少し高くなっている)だ。



様々な舞が、お旅所の若宮様に向かって披露される。
20年に一度の機会であり、行けたら必見だ。



最後に、また春日大社の本殿の話。
西山さんは、この矢印の所に、あるものを発見したという。
この神域に入れるのは、寛容な神主さんの時の特別の機会のみという。



ここは写真撮影できないが、スケッチは、これ。
白い山のような造形物だという。
西山さんは、これが、春日神社創建前の神地だった時代の磐座の名残と考えている。
ここは、神地中の神地で、それ以上の調査をすることは、難しいのだろうが。
ということで、ひじょうに有意義だった第一部が終了。



第二部は、奈良生まれで、奈良観光大使でもある矢嶋智人さんとのトークイベント。
第一部より、ぐっと砕けた感じ。
まず驚くのは、矢嶋さんと、奈良との関わり。
東大寺の近くに高校時代まで住んでおり、まさに、幼少期、奈良と共に成長した。
親も、よく神社仏閣に連れていってくれた。



ボーイスカウトの写真は、春日大社。
奈良女子大学付属小学校・中学校を出られたということで、私が、幼少時代、鎌倉で過ごしたことと同様、その地の匂いを感じながら、成長されたのだろう。
西山さんのお嬢様は、後輩という。
面白かったのは、璉珹寺(れんじょうじ)の女人裸形の話。
裸の阿弥陀仏だそうで、毎年5月に公開される。
元々裸形だが、西山さんによれば、鎌倉時代のもので、女性の寄進によるものが多いとのこと。
これは、知っている人は少ないだろう。
その他、地元のあるある話多数。

早朝でなければ、見れない景色、経験などの紹介もあり、是非泊まって観光をという宣伝。
ホテルもずいぶん増えて来て、食の文化も育ってきており(かき氷が有名)、是非是非ということだった。

ということで、今年も是非訪れたい(奈良国立博物館だけはすでに行ったが)。
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