リスペクト(事例紹介)コラムです。
今日の試合でも金沢さんに勝って4月は5戦負け無し。現在10位と岡山より順位が上回り、観客動員数もいい推移を見せている岐阜さん。当ブログでも昔から何かと気にしていた存在。古くは日本一地域密着した選手による社会貢献活動を進め、その後に経営とのバランスに失敗されて今西氏が退陣されました。その後、Jトラストの傘下に入って経営力が復活。
Web Sportivaで「FC岐阜・恩田社長の600日 ~Jリーグ地域クラブへの伝言~」というシリーズが連載されていました。恩田社長は'14年にJ2岐阜の社長に就任され、クラブの再建に尽力されましたが、'15年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発症を公表され、その年で退任されました。調べてみるとこのコラムは全11回。3月の記事で前編として、第1回から第6回まで紹介しています。今回は後編として、第7回から第11回まで順番に抜粋して紹介します。
【第7回:「地域貢献活動」改め『ぎふ元気活動』こそがクラブの原点」】:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2016/08/19/600_5/
自分が社長に就任した際、メディアに向かって「やるべきこと」として宣言した事は2つ。1つめは「スタジアムをいっぱいにすること」。2つ目は「試合以外の『FC岐阜』の活動を知ってもらうこと」。Jクラブの使命は、ホームタウンにおいて、地域を活性化させる活動をする事。地域に生かされ、地域に愛されてこそ、クラブは存続できる。この活動は「地域貢献活動」と呼ばれており、J2岐阜は自分が社長に就任する以前、今西社長時代は、この活動の回数が他のチームと比べて、ずば抜けて多かった様子。そんなクラブの姿勢に共感し、古くからクラブを支えてくれている人も少なくない。
社長在任1年目の2014年、私は岐阜県内42市町村すべての場所での活動開催にこだわって達成。J2岐阜は岐阜県を一つにする使命を背負っており、こういった草の根の活動を、まず自分たちから出て行って、チームの名前だけでも知ってもらうところから始めるべき。
'15年が始まる前に、岐阜県全域で、皆を元気にし、自分たちも元気をもらう活動にしたいという願いを込めて、「地域貢献活動」という活動名称を「ぎふ元気活動」に変更。そして、プロサッカーチームの看板を背負って指導している以上、すべての活動において、何かインパクトを残すことを意識してほしいという私からの要望を、社内に浸透。
同時に市町村のスポンサー化に着手。社長就任時点では、自治体のスポンサーは岐阜県と岐阜市のみだったが、何かで縁が深い市町村の首長を直接口説いて回り、少しずつ市町村スポンサーを獲得。社長退任後も市町村へのアプローチは続けられ、その結果、今現在、スタジアムには42の市町村のうち、ほとんどの自治体の横断幕や看板が、スポンサーの証として、ところ狭しと掲示。
【第8回:「ぎふの未来を創る「普及・育成部門」】:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2016/09/02/600fc/index.php
クラブの下部組織は、FC岐阜セカンド、U-18、U-15、サッカースクールのスクール生で構成。「サッカー以前に、人として大切なことを教える」ことを強く意識して指導。育成部門の強化には、別の効果も期待。
五輪で日本人選手を応援するのと同じように、育成部門で活躍する同郷選手には感情移入してもらえる効果も。'14年に対戦した札幌の実に半数近くの選手が、ユースもしくは北海道出身。サポーターは自分たちのチームと強く意識。札幌は'04年に育成型クラブを目指し始め、10年単位の月日をかけた素晴らしい成果。
100年構想の視点に立ち、中長期的な繁栄を考えるのであれば、間違いなく必要不可欠な投資。地元出身のスター選手をクラブ自前で生み出すことが、クラブの選手編成の経済的負担の緩和のためにも、地元からの応援熱を高めるためにも、遠いようで一番の近道。
現在の育成部門の練習環境は、トップチーム同様恵まれているとは到底言えない状況。今のままでは、岐阜県内の才能がある子供は他県のクラブに流れていくので、少しずつでも環境を改善すべき。有望な選手を獲得できる受け皿となるべきで、岐阜県唯一のプロサッカーチームと同じエンブレムを背負うチームの使命。
【第9回:「クラブライセンス制度は何を成しえたか」】:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2016/09/16/fc600_fc_fc2121201421_fc12_2014_fc_fc/
J2岐阜は、社長就任した当時はJ2ライセンスのみ保有。社長就任前までは、J1ライセンスどころの話ではなく、毎年のように最下位争いで、資金難から会社そのものの存続危機が続き、新スポンサーで危機を克服。
J1ライセンスを得るための財務面以外のもう1つの課題として、施設面での課題が存在。スタジアムの観戦環境の整備(個席の増設とトイレの洋式化)と、クラブハウスの建設。'14年から練習環境の整備を求める署名運動を開始。プロジェクトを「J1チャレンジ」と銘打ち、クラブ、後援会、県サッカー協会、そしてサポーターを構成員として活動を実施。約3カ月走り回った結果、約16万人の署名を獲得。その署名を後援会会長とともに岐阜市長に提出し、最終的には、岐阜市が民有地を買い上げて、建設用地にあてることで、さまざまな問題をクリア。
クラブとして建設費の確保にも努力。一つは署名活動と並行した募金活動。集まった資金を全額、建設主である岐阜市に寄贈。この結果、'15年にクラブ史上初めてのJ1ライセンスを交付を受け、'16年に新生スタジアムとクラブハウスが稼働。ライセンス制度がなければ、これらのことは実現しなかったと認識。
Jリーグ自身の社会的地位を向上させることが、行政を動かし、地方クラブの力に。行政の側面支援あってこその地方クラブの繁栄で、地方クラブの繁栄がJリーグ全体の繁栄につながると思う。そんな正のスパイラルを回すことが、ライセンス制度の真の役割なのかもしれない。
【第10回:「FC岐阜とスポンサーのあるべき関係とは?」】:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2016/09/30/fc600_10_fc/
親会社を持たない地方クラブにとっては、裾野を広げてより多くの企業に支えてもらうことが、経営を安定させる術。その前提のもと、クラブを多くの企業に知ってもらうために、あらゆる場所を訪問。商工会議所回りから、ライオンズクラブ、ロータリークラブを訪問し、後援会やスポンサーへの参画を依頼。
社長在任中、最も大変だったのは、'15年のスポンサー契約更新。'14年の決算において、営業利益ベースで約1億5,000万円の赤字で、黒字化するためには、スポンサー広告料とチケット販売売上の大幅な増額が必須の状況。
メインスポンサーの各社の経営トップに対して、さらに1千万円単位のスポンサー料増額を依頼。広告価値ではなく、クラブがぎふの未来を良くすると、信じるに足る存在かどうかを伝えることが重要だと認識。その結果、約1億2,000万円のスポンサー料増額を達成。しかし、'14年の17位から躍進する事なく、'15年は20位に停滞し、自分が去った後の'16年のスポンサー営業は相当苦労したのではないか。
後援会組織はオールぎふ体制になったが、それだけでは不十分。本当にオールぎふ体制にすべきなのは、クラブの取締役会。常勤・非常勤ともに不足していると認識。ぜひ、ぎふの名だたる企業から取締役が派遣され、経営に対する責任と牽制を担っていただくべき。お金だけではなく、取締役会もスポンサードする事がFC岐阜にとって、あるべき取締役会の姿。
クラブがスポンサーに提供できるものに、「社内活性化」があり、経営トップの思いだけではなく、社内も巻き込むことができれば、企業を元気にできるはず。企業が元気になれば、ぎふが元気になる。それがクラブの存在意義。
【第11回:「Fサポーターの成長がクラブを救った】:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2016/10/14/600___split_1/
クラブがこれまで存続できたのは、間違いなく、サポーターのおかげ。その一つの事例が、個人持株会。クラブの財政危機を憂慮したサポーターが自ら動き、Jリーグとも相談の上で、仕組みを作り上げたとか。現在、個人持株会の株主は300名以上で、その総額は数千万円に達しており、筆頭株主「藤澤氏」に次ぐ2位株主。通常の株主総会の他に、個人持株会に対する総会を開き、社長も参加して、クラブの未来に対する意見交換を実施。サポーターが株主として、クラブの未来を真剣に考えているクラブは他には無いでしょう。
サポーター有志によって構成され、クラブが持つボランティア団体「グリーンズ」は、試合を行なう上で必要不可欠な存在。毎試合30~50人規模で支援を行い、彼らのプロ意識は高く、よりよいスタジアムとするために、さまざまな意見を提供。
自分が社長就任した時、サポーターは激動の時代。'14年、ラモス監督や川口選手の加入によって、いきなり「にわか」のファンが増加。混乱しながら1年を終え、迎えた'15年シーズン、チームは大きく低迷する中、サポーターは「仲間を増やす」方へ方向転換。自分たちのこだわりや自負より、チームにとってよいことを選択。その成果が現在のゴール裏。
'15年シーズン途中からのスタジアム改修工事に伴い、コアサポーターの応援場所が、バックスタンドゴール裏寄りから完全にゴール裏に移動。この移動は大成功で、応援の集団がひと回りもふた回りも拡大成長。
社長就任後、開門時には入場ゲートでお客様を出迎え、試合はピッチ脇で立って観戦し、試合終了後は、ダッシュでゲートに行って、お見送りを実施。本来来場者をおもてなしする場所が、いつの間にかこちらがパワーをもらう場所になっていた。これからもクラブとサポーターの触れ合いの場所であって欲しい。自分を通じて、クラブとサポーターの絆が深まったなら嬉しく、その絆こそが、現場にこだわり続けた私の社長としての、唯一の成果かもしれない。
面白かったですね。Jクラブの原点、Jクラブ社長の正しい価値観を示してもらった印象です。当ブログにはたぶん、いろいろなカテゴリの、中にはJ1やJ2の関係者が観に来ていると思いますが、ぜひ読んで欲しいですね。特に恩田社長の元コラムを。恩田さんには機会があれば、またサッカークラブの経営者になって欲しいですね。理想のクラブ像を追及していただいて、J3とか百年構想クラブをまた導いて欲しいですね。この後編で出てきた名言をいくつか並べてみたいと思います。読者の皆さんの中に、読んで欲しい顔が浮かんでいませんか??
「Jクラブの使命は、ホームタウンにおいて、地域を活性化させる活動をする事」
「地域に生かされ、地域に愛されてこそ、クラブは存続できる」
「本当にオール体制にすべきなのは、クラブの取締役会」
J2岐阜恩田前社長コラム前編:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20170313
J2岐阜関連⑬:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20170313
〃 ⑫:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20150220
〃 ⑪:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20140113
〃 ⑩:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20131025
〃 ⑨:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20131006
〃 ⑧:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20120901
〃 ⑦:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20110509
〃 ⑥:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20101111
〃 ⑤:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20100828
〃 ④:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20100429
〃 ③:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20091006
〃 ②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20090804
〃 ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20060317
話は変わり、今日ファジのホーム湘南戦がありました。その模様は明日。