Kinoの自転車日記

自転車と共に過ごす日々

CINELLI ヘッド小物

2009-04-25 16:30:53 | よもやま話
今日、東京の美人ライダー 【 ぞうもつさん 】 が面白い日記を書いていた
まあこの方の日記は普段から面白く 一度読むと間違いなくファンになってしまう
この文才は地球上の物ではなく おそらく宇宙人だろうと私は想像しています

そのぞうもつさんがヘッド小物を拾ったらしい 私が捨てた物と似ていたなあ・・




長く保管していたこのヘッド小物 訳あって捨てる事にした
こんな物が落ちていないかと探してる人が居る様だったし
なんか意味不明だ この経緯は 【 ココ 】



このヘッド小物



1972年~私が乗っていた CINELLI チネリのフレームに付いていた物
このチネリは 皆に馴染みの多い SUPER CORSA スーパーコルサでは無く
少し珍しい B type と言うフレーム
ただこのフレームに私が乗ったのはわずか10ヶ月 大きな落車でトップと
ダウンが真っ二つに折れた 短命なフレームでした




このヘッド小物には当初からリテーナーでは無く バラ玉が使われていました
サイズはヘッド小物に多い 5/32 (3.9688mm)






どうせ捨てるなら最後の整備 Microlon メタルトリートメントで表面処理
拾った人もこの方が良いだろう (自分でする楽しみを奪ったかな?)




良く汚れていたが なんとか見れる様になったじゃない






普通ヘッド小物は新しいフレームに交換しても移植をする事は無いですが
この上ワンの曲線が気に入って 次にオーダーしたロードフレームはこの
ヘッド小物を持ち込んでフレームを作ってもらいました




フレームが真っ二つに折れた落車では 私も顔面ブレーキで前歯が二本無くなるし
このチネリのフレームは私の脚質に合わず 乗っていて重いフレームでしたが
そんなに悪い事ばかりじゃなく 色々な試合で使いましたが 不思議と良い成績を
残した自転車でした

写真は富士スピードウェイ 全国と冠が付く大会で2位の笑顔 このチネリの
グリーン色 綺麗な色でしたよ
このフレームの部品で残っているのは このヘッド小物とシートピンだけです
なに? 拾ってくれた人が美人で良かった! とヘッド小物が申しております(笑)
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ケルビム ピストフレーム 塗装剥離

2009-04-24 20:54:28 | ピスト
先日倉庫の奥から出してきた CHERUBIM ケルビムのピストフレーム
化粧大作戦 塗り替えの手始めとして 塗装の剥離をしました




市販の剥離剤を使い塗料を剥がしました
保管時が 自分で「手抜き」のスプレーをしただけの塗装でしたので
難なく終わり! 焼付け塗装であればこうは行きません






さあ この状態の錆 想像はしていましたが酷い!
これがパイプの地肌ならこの錆落としもそんなに難しくは
無いですが このメッキは曲者ですよ とにかくメッキは硬い
耐水ペーパーではテコに合わないかも分からないですね

ちなみに バック三角を全てメッキすると重量が 30g重く
なります




この CHERUBIM の Cマークは使いたかったなあ
メッキが使えそうなのはフォークの剣先 フロントエンド
くらいだな






ヘッド小物は洗い油で洗い 真鍮ブラシを使い錆を落としました
CRC を吹き付け取り合えずこれで置いておきます
腐ってもカンパなんて言うけど 本当に腐らせたらいかんわ(笑)




1976年のニューサイクリングの表紙です
この年はモントリオールオリンピックの年でした






このニューサイクリングの中に ケルビム(今野製作所)の広告があります 
1番上のロードレーサーはフレーム53000円~ 完成115000円~の記載
昔懐かしいヘッド、シート、ダウンの3ヶ所の胴抜きです

この時代は現在の 今野真一 氏のお父さん 今野 仁 氏の時代です
お父さんは本当の職人さん 息子さんは・・
これ以上書くのは止めておきましょう

さてさて これからの錆落とし ペーパーだけじゃ無く回転工具の
お世話になりそうですね きっと気合と根性の忍耐作業だな(笑)

コメント (2)
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ピストフレーム ケルビム

2009-04-23 20:15:20 | ピスト
倉庫の奥から出してきた CHERUBIM ケルビムのピストフレーム
自転車の選手を辞めてから一度も出す事なく眠っていました
今野製作所 先代の今野 仁 氏の製作したフレームです




汚なっ 可哀想に長く放っておきましたからね 許して・・






これは 1969~75年の間 試合でしっかりと使いました
その間何回か塗り直し 最後に錆びなければいいやって
自分で軽くスプレーを吹いておいたのですが
保管場所が悪く 可哀想にこんな状態になってしまいました






カンパのヘッド小物もサビサビです
このフレームは 1968年メキシコ・オリンピックで
井上三次が使っていたのと同じ物です
最初は 白地にヘッド シート ダウンにグリーンの胴抜きが有った
ケルビムカラーでした






さあ 綺麗にしてやろう!
もう一度 全塗装にチャレンジです
しかしこれだけ地肌が荒れてると大変です
忍耐と根性勝負になりそうです






このフレームで走っている処です 高校3年生です
上の写真は個人追い抜きですね 優勝しています

明石市自転車競技場が改装がされる前で 昔競輪が開催されていた時の
ままでしたが
400m のすり鉢型バンク 内線付近はほとんどカントが無く平(ひら)バンク
の様な感じでした 1000mT.T を走っていても後輪が勝手に外へ滑ります

すり鉢型はカントの真ん中が凹んでいるので 中バンクをゆっくり走ると
ペダルで走路をかき(引っ掛け)良く転ぶ選手が居ました

思い出話より 塗り替えだ これから塗装の剥離 地肌の錆落とし
ケルビム化粧大作戦開始です 

コメント (2)
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ホイール 次の企み

2009-04-22 18:40:02 | ホイール
先日からロード用のホイールを組もうかなんて考えています
でもスペアホイールも有るし 使わないのに組んでしまうと
邪魔になるし どうしましょう




いずれにしろスポークの長さを計算する準備だけでもしておきましょう






リムは ARAYA ADX-4 アラヤのエアロ 4を使いましょう
カタログデータ 350g 実測 346g と珍しく公表データより軽い 28穴です

ハブはCampagnolo RECORD カンパ・レコードのラージハブ 120mm巾で 28穴
使わずに置いて有ったデッドストック品です




ではでは スポーク長を出すのに必要な寸法取りをしましょう




このセンターの寸法はスポーク長に関係有りませんが ついでに・・






ハブのセンターには何時もの様に小さな印しを付けておきましょう
これがホイールを組む時に威力を発揮します そんな大層なものか?(笑)




ここの寸法を取るのがちょっと面倒ですね もっと簡単に測れる様に
また何か冶具を考えましょう






リムの内径とニップルの納まり具合を見ておきましょう ここはスポーク長に
即影響しますから 結構大切ですよ




ニップルの頭からスポークが飛び出すのは無駄ですね 無駄と言うより
良いホイールを組むなら出すべきでは有りません






測った各寸法です 若い頃ならこの位の数値は頭に入りましたが
今は無理 他の事をしている間にすぐ忘れてしまいます 
この辺はフリーハンドで簡単に こちょこちょと・・




リムの ERD スポーク長計算機に入れる前に この段階でニップルの頭から
1mm 控えておきます




まだどんな組み方にするか決めていませんので 各クロス数のスポーク長を
出しておきました
編み方は自転車屋さんに有るスポークの在庫も考慮に入れながら また考え
ましょう

あまり使わないホイールを組むのも勿体無い気もしますが この作業もたまに
しておかないと 勘が錆び付きますからね  お~お~ 偉そうに(笑)

コメント (4)
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競輪界の大御所 

2009-04-21 00:19:11 | 競輪
2007年8月に引退されましたが 当時の最高齢競輪選手
兵庫県の 28期 坂東利則選手 もう少し前の事ですが
そんな偉大な選手から自宅にこんな物が届きました




届いた包みを開封すると こんなに色々な物を送って下さいました
坂東さんとは まだ坂東さんが競輪選手になる前に 今は無き甲子園の
競輪場で良く一緒に練習をさせて頂きました

中学生の頃には競輪場で練習していました その頃の競輪選手の方達には
本当に可愛がって頂きました 当時としたら中学生のボンが競輪場で走って
いるのも珍しかったのでしょうね




引退記念のスポーツタオルです 引退試合はなんと 505勝目の一着だったんですよ
貰った一着ではなく実力での勝利です 60才にして凄いですね






500勝記念のTシャツも頂きました お礼の電話をしたら 
良く汗を吸うから「汗取りにでもして!」 なんてさりげなく言って下さいました




昔のテレフォンカードも有ったから入れといたよと・・ 優勝 50回記念です




この写真はアップしていいのかちょっと考えましたが 
公の方達だからいいでしょ(笑)
引退試合の岸和田競輪場に駆け付けた 坂東さんの愛弟子達らしいです
競輪ファンの方なら知ってる選手も多いのじゃないのかな?




坂東さんのアマチュア時代 それもロードレースでの写真です
( これは私のアルバムから)
後にも先にもロードレースはこれを含め 2回しか走った事が無いと言って
いました 貴重な写真ですよね
昭和44年 1969年 第4回近畿ロードのゴールです 坂東さん22歳 6位でした

右奥に写っているのも 兵庫県の元競輪選手 澤田則義さんです




同じ大会で 15歳のKino これオマケね(笑)




選手引退後は整体師として開業なさっています 腰の調子が悪くなったら
Kino いつでもおいでや なんて優しく言って下さいます




坂東さんは 沢山の競輪選手を育てられ 
また私と同時期に兵庫県自転車競技連盟の役員として
アマチュアのお世話も精力的にして頂き 人柄も良く存在感の有る方でした
79期 坂東克則選手は坂東さんの息子さんです

引退後は 日本競輪選手会 専従訓練トレーナーの職にも付かれています
こんな素晴らしい方と一緒に自転車に係われた事を誇りに思います

コメント (2)
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