森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

愛されていた・・

2009-10-09 01:36:43 | 同じ時代の船に乗る

 人は必ずいつかは死ぬ。でもその終わりが、あまりにも予期せぬようなものであったりすると、感じた大きな驚きになかなか心が落ち着かなかったりすることもある。
例えばそれは、すぐに思い出などを語ってはいけないような、そんな気持ち。

「そう言えばさぁ」とある日の夕食の食卓でラッタ君が言った。
「『クレヨンしんちゃん』の作者が行方不明って知ってる?」
それまで、その作者の事を意識した事はなかったが、漫画家は難しいタイプの人もいる。噂では「お○○」の作者はドラマが酷くて、しばらくペンが持てなかったとか。←噂ですよ。

「なんで?実写版の映画が気に入らなかったとか?」
「いや、山に行ったきり戻ってきてないんだって。」
「エッ、それじゃ遭難かもって事・・・」
私は自分の軽薄な発言を恥じた。

翌日家にやってきた中学生が、何処で仕入れたのか、作者の最近の作風から失踪だと噂していた。 なんだか今の世は怖い。噂が小さな立ち話の中ではすまない。その少年の言っている事は、私もネットの中の文で読んだ。だけど心幼き者達は、自分の脳で咀嚼しないで、それをそのまま吐き出していく。

何か彼に注意らしき事を言おうと思って、開きかけたその口を、だけど私は閉じた。遭難ではなく失踪、それが私の願望だと気がついたから。

 

 折りしもその頃、酒井被告の記者会見の映像が朝に晩に放映されいた。
どうだっていいじゃん、もう。お辞儀が何秒だとか、涙の粒の数だとか・・・うんざり。 出来る事ならば、クレヨンしんちゃんの作者の臼井さんの帰宅会見が見たかった。願ったけれど・・・・

 

先日横浜の実家に帰ったら、父が「しんちゃんは本当にこんなに面白い子供だったんだろうなぁ。」とわけが判らないことを言った。
「『しんちゃん』って漫画だよ。」と言うと、モデルがいて、それは有名な話なのだそうだ。
「その子はもう小学4年ぐらいにはなっているだろうになぁ。」
あまり興味もないので
「ふーん、そうなんだ。」と相槌を打っていた私。

が、そんなわけないじゃん!!

「クレヨンしんちゃん」がアニメで始まった頃、下の子供はタイムリーに幼稚園児で、しんちゃん言葉に悩まされた。あの口調に嵌った子供はなかなか抜け出せない。真似するなら見せないと言った事もあったかも。

だけどその悩みも小学生になった頃に、あっけなく終了。そんなしんちゃん口調に嵌ったルート君も20歳は超えているんだから、もしモデルがいたとしても、小学生であるわけがない。でもそれは仕方がない。父や母にとって、「クレしん」がいったいいつ始まってどれだけ続いているかなんて、それこそ彼らにとっては興味もないことだからだ。

だけどいい加減な事も書けないので、ちょっとリサーチ入れてみた。

で、こんな所にたどり着いた。→双葉社Webアクション「クレヨンしんちゃん誕生秘話&ヒストリー」

そのモデルと言うのは、臼井さんの自作漫画の「だらくやストア物語」の二階堂信之介の子供時代のイメージを想像して誕生したキャラのようで、私の父が言ったようなものではなかった。
でも、父が言ったことだってあながちでたらめとは言えないのではと少しは思う。多くの子供たちが、「クレしん」を見て愛したけれど、多くの子供たちの姿を臼井さんは観続けて来たのではと思うからだ。

作家と言う人たちは、想像力を武器にして作品を生み出していくのだろうが、そこには多くの取材とリサーチが存在していると思うからだ。

無事に帰ってきたならば、高い崖から眼下を見下ろし
「ウッヒョヒョーイ、おら、お尻の穴がキュっとしちゃうぞ。」なんてシーンを、彼の作品の中で見ることが出来たかも知れない。

 

 我が家の子供達は「クレヨンしんちゃん」の卒業は早かった。実は私もあまり好きではなかった。だって、ちょっと下品だし。
でも、ある日考えが変わった。ビデオで借りてきた映画版のしんちゃんを見てから。

映画版の「しんちゃん」はほとんどがSF。結構レベルが高い&時々マニアック。
加えてキャラの魅力が数倍増し。ちょっと現代的なかあちゃんのみさえは、ひまわりをおぶい紐でおんぶし、危機に直面した時に見せる逞しさは、なんて言うか、私の憧れだ。普段はちょっといい加減で普通の人っぽい父ちゃんのひろしも、同じく家族の危機にはスーパー父ちゃんになる。だけど時には力及ばず。そんな時二人は抱きあって泣くことも厭わない。犬のシロも含めて、この家族には愛がある。
「サザエさん」同様に「クレしん」が長寿番組なのも、そんなところに秘密があるのかもしれない。

そんな訳で、子供が大きくなってからは積極的にはDVDなどは借りもしないが、テレビで放映されたりすると、子供達は興味を示さないのに、私とだんなの二人だけでそれを見ているなんて事が、我が家では珍しくなかった。

 

 ある時の私のマイブームは英会話を習うことだった。(そんな時代があったのか~。遠い目)
友人がネットで探して決めたのは、アメリカ人の元軍人の男性だった。最初はグループレッスンのつもりだったのに時間が合わずにプライベートレッスンになってしまった。だけどその人は眼光鋭く、本箱には軍人らしい本が並んでいた。私は心の中で彼をアーミーと呼んで、会う時はいつも緊張していた。彼とは映画の趣味も合わず、「キアヌも素敵。」と言ったら馬鹿にした顔をされたのもムカついた。
何か理由をつけて止めたいなと行くたびに思っていた。

ところで私は人の家に行くと、さりげなく本箱の本、壁に貼ってある絵葉書、置いてある小物を無意識に観察してしまうタイプ。
ある日、ずっと気になっていたことを聞いてみた。本箱に飾ってあるのはクレヨンしんちゃんの人形で、電気の紐の先に付いているのもしんちゃん。
「しんちゃんがお気に入りなんですか?」

すると彼は以下の事を言った。・・・たぶん。

―そう、僕は彼がだーい好き。

「ええ~!?何で?」

―だって、彼はとっても可愛いもの。本当に子供らしくてさ、見ていて抱きしめたくなるよ。ハワイの宿舎(たぶん軍人の為の)にいた時に、夕方になるとみんなで彼のアニメを見たよ。なんか癒されたな。

私は心の中で、「へエ~」とか「ふ~ん」とか言いながら、アーミーのイメージチェンジを図るのに忙しくそれを聞いていた。それで、ちょっとだけ気持ちが彼に近づき、数ヵ月後に彼が帰国するまで、息も絶え絶えだったが、通い続ける事ができたのだった。

 

 テレビで、女性アナウンサーが
「『クレヨンしんちゃん』はアジアの国に人々に限らず、最近ではアメリカなどにも知られており、多くの人に愛されていました。」と語りました。
言葉にすれば、ホンの数秒。
だけど私は深く頷いて、その言葉を聞いていました。

―世界の人々に愛されていた。
そんなかけがえのない子供とその物語を生み出した臼井さん。まだ歳若く、ご家族の無念さを思うと胸が痛みます。なので時ずらし私の思い出を語らせていただきました。

ご冥福をお祈りいたします。

 


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キミ、かわいいね

2009-05-05 03:23:03 | 同じ時代の船に乗る

ダメだよ・・
早すぎるよ。。。

・・・悲しいよ。

 

泉谷しげるが言った。
「「あいつの死は信じがたいし、似合わない。だから、冥福は祈りません。棺おけから引っ張り出してやる。ふざけんな、このヤロー!!」。

それは泉谷節。彼の悲しみの伝え方。お通夜にもお葬式にも行かないと言った。

でも、私はまたちょっと思ってしまった。

人との出会いも一期一会、過ぎ行く日々も実はまた同じ。その日は変える事の出来ない日。後から逝く者は、先に逝く者を涙の河を渡し送ってあげる事、忘れないでいる事しか出来ない。

それで良いのかい、泉谷よ。後からひとりで向き合う事は、如何につらい事か・・・

 

でも彼の気持ちは分かる。いや、訂正。分かる様な気がする。私も彼の訃報を聞いて、ショックだったけれど、何も触れたくない様な気がしてしまったから。

だけど思いなおした。私には私のやり方でしか、彼を見送る事が出来ないのだから。

私は最初、このタイトルを「夢を語れ、その日まで( 忌野清志郎)」にしようと思っていた。なぜなら彼の生き様は、そのタイトルにぴったりだと思ったからだ。

知り合いは、私の貼ったYouTubeを道案内にしているらしい。

それで最初は「デイ・ドリーム・ビリーバー」にしようと思っていた。
ちなみに→ここ

 だけど「summer tour RC succession」というのを見つけてしまったら、胸がいっぱいになってしまった。最初にとしちゃんが出てきて驚いてしまうけれど、「夜ヒット」に出たRCの映像。これ、本当にいいですよ。涙が出てきちゃう。

私は歌わない彼も好き。この映像を見ていると、彼の声で
「若者よ・・」とか聞こえてきてしまう。ちなみに→ここ♪

私も21世紀は子供はみんな中味のある高い教育がなされ、老人達は明日の不安なく生きて、そして世界は平和、そんな時代が来るのだと思っていた。「IMAGINE」→ここ☆

彼の歌が胸に響いてくるのは、彼に中味があるから。

YouTubeのコメントを読んでいると、「彼に救われた。」と言う言葉に出会ったりする事がある。その人は、何かの時に彼の歌に支えられたのだろうか。それなら私も彼の歌に凄い影響を受けた。

私にとってRC=「君、かわいいね」。

この歌はガーンと来た。ドキドキしたというか・・・
ハイネだったかバイロンだったかも忘れてしまったのだが、
「瞳はバイオレット
・・・・・
・・・・・
だけど、心は腐っていた」

そんな詩と同じだと思った(昔は全部覚えていたのだけれど)

 

―君かわいいね、それだけさ~

と言われない女になりたいと思った。だから本も読んだ、と言ったら言い過ぎかもしれないが、決して何も影響がなかったわけではない。

「それだけさ、」の前に、果たして「君かわいいね。」が当てはまったかどうかは・・ムニャムニャ

 

この映像があるとは思わなかったので、嬉しかったです。
カッコいい人はある日突然カッコ良くなるわけではなくて、最初からカッコイイのですね。

ずっと彼の曲を聴いていたら、アタシ頑張ろう、なんだかそんな気持ちになってしまいました。

ありがとう・・・・・

 

キミかわいいね・初期のRCサクセション

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Get wild

2008-11-12 08:50:05 | 同じ時代の船に乗る
先週の水曜日、何気なく一人で入った喫茶店で、話し相手もいないので本を相手にブレイクタイム。だけど、隣に座ったおば様四人組みの話し声が大きくて、同じところを三回も読んじゃったじゃないのよ。

如何に隣の話が盛り上がっていようとも、普段はその会話の内容はわからないものです。だけど、
「一ヶ月2千万」「一年2億」「生活を変えられなかった。」と、そんなキィワードが聞こえてくれば、彼女達が何の話題で盛り上がっていたのかは、今なら誰だって分かることですね。

「change」と言えば、今ならオバマさんの次期大統領の演説を連想するかしら。初めての黒人大統領の誕生は、やっぱり凄いことだと思います。

先週もいろいろな事がありましたね。

筑紫哲也さんが肺がんで逝ってしまいました。それも悲しいニュースでした。彼には復活してもう少し頑張って欲しかったです。

そしてもう一人のテツヤのニュースも、本当に大きなインパクトがありました。おば様たちが喫茶店で盛り上がってしまう気持ちが分かります。

ずっと彼のファンだった人には申し訳ないのですが、私はずっと全盛期の頃から彼が苦手でした。彼の造った音楽が流れない日はないと言う時代があったように思いますが、その音楽も苦手。本当はそんなこともなく、音楽を聴けば、ああこれ好きだわと思う曲もたくさんあると思うのですね。でも、生理的に何か受け付けませんでした。

ただ私には「嫌い」と言う感情は、あまり持ち合わせがなく、「好き」か「興味ない」で成り立っているので、いつしか彼の曲が聴かれなくなっても、全盛期に稼ぎまくったお金で優雅にセレブ生活を送っているんだろうぐらいに思っていましたよ。

小室哲哉氏が逮捕された日、多くの人が「栄枯盛衰」と言う四文字熟語をふと思い浮かべてしまったのではないでしょうか。
ちなみに意味は
―人・家・国家などの勢いにも盛んな時と衰える時のあること、ですよ。


喫茶店での事ををラッタ君に話したら
「人は『掛ける×』の生活をしてはだめなんだと言う教訓だな。1×100で100を出してしまうと、そいつは1かまたは100の生活しか知らない。だけど、1+1+1+・・・で100を出したやつは20の暮らしも30の暮らしも知っていて、変えることが出来るんだよ。
アレッ、俺また良い事言っちゃってない?」と言いました。
「言った、言ったブログに書くわ、それ。」と、ちょっと感心したので褒めておきました。


ところで巷の話題もですが、ワイドショーでも話題独占でしたね。でも、その時掛かっていた曲なんですが、やたらタイトルの「Get Wild」だったように思うのです。興味がないということは恐ろしいことですよ。
私はこの曲が大好きなんです。でも、今までこの曲と彼がイコールで結ばれたことは意識としてはないのです。「意識としては」と周りくどい言い方ですが、知識としては実は知ってはいたんですよね。彼がその曲を歌っていたTM NETWORKから出た人と言う認識・・・・。


この曲はアニメ「シティーハンター」のEDに使われていました。そのアニメが放映されていた頃、ラッタ君は2歳、私は若い母親でした。子供が小さいので、帰りの遅いだんなを待たずに二人だけで食事をしていたことが多かったのです。男達は母と言う名になった女が、子供相手にお気楽な優しい時間を持っているようなイメージがあるかもしれませんが、話し相手にもならない幼い子供と二人だけの食卓は、時には若い母親になんともいえない寂しさと不安を感じさせるものがあるのでした。私のように大家族で育ったものには、特に辛い時間帯でもありました。

そんな時、子供と一緒に見るわけでもなかったのに、そのアニメが時にはなんとなくかかっていたりする事もあったかも知れません。
世間的には絶大な人気のあったアニメでしたが、コメディであったこと、子供が小さかったこと、ヒロインが好みでなかったことから、そんなに好きなアニメではありませんでした。

が、そのラスト、物語の終わりから音楽のイントロが入りそのままEDが流れるそのスタイルが、もの凄くかっこ良かったのですよ。そしてその音楽を聴くと、また元気が出るのです。
「何も怖くない~」
なんだか、励まされているような気になりました。


たまたまですが、「相棒ー還流」でも「フェルメール展」の記事でも「音楽の力」と言う事に触れましたが、「Get wild」には人の気持ちを高揚させる何かがあったかもしれません。

だけどこんな事件があったからといって、急に感傷的になり、今まで興味のなかった人に応援しているみたいなことを言う、そんなつもりはぜんぜんありません。ただ皮肉にもワイドショーで繰り返し流されたことにより、小室哲哉という人が若き日の私を励ましてくれた曲を作ってくれた人とイコールで結ばれてしまったのでした。

ちょっと驚いたことに、彼はこの曲をglobeで出す予定だったとか。
甘ちゃんな私などは
「ああ、彼は原点に戻ろうとしていたんだわ。」などと言ってしまいそうですが、ナわけありゃしませんて。
でも、起死回生の選択だったのかも知れませんね。

錬金術ではない音楽の力・・・・
そんなことを呟いたら、子供を膝の上に乗せて、ワクワクしながらアニメの音楽を聴いていた、20代の私の顔がふと浮かび消えていきました。
遠い昔・・・、それは彼にとっても・・・。










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ラミパス・ラミパス・ルルルルルー

2008-08-03 15:02:34 | 同じ時代の船に乗る
 ある日の私の家での会話。
私「そんな事言っていると、これからは『天才』って言っちゃうよ。」
子供「嫌味ですか~。」
私「イヤイヤ、聞こえなかった?『天才バカボン』って言っちゃうって言ったのよ。」


昨夜、寝る前にちょっとニュースを見ようとテレビをつけたら赤塚不二夫氏の訃報が報じられていました。8月2日5時近くに身罷られたそうです。
ちょっと、思い出をつらつらと・・・





ちなみに私はこの「天才バカボン」と言うギャグ漫画が苦手です。苦手でも知っています。この漫画の主人公は「バカボン」ではなく「バカボンパパ」で、かつてバカダ大学を出たパパは天才だったのです。何かがあってあんな人。でも、バカボンと美人のママと本当に賢いはじめちゃんという家族はパパを尊敬し逆らわず、話の最後には上手いことまとまって、パパの決めゼリフ「それでいいのだ~」で終わると言うわけです。

まともに見たことも無いのに、よく知っているなぁ、あたし。(何か、間違いがあるかな?)

それだけ有名でよく知られていると言うことですね。

 でも私は「おそ松君」は好きでした。子供の頃、少年漫画はいつも歯医者さんの待合室で読みました。そんな時読んでいたのが手塚治虫の漫画か「おそ松君」でした。ギャグ漫画のくせにおそ松君はハンサムでした。六つ子と言う家族設定に憧れていました。

 今でも夏休みになるたびに、昼ドラで「大好き五つ子!」なんかが始まりますが、昔から兄弟が一気に多数と言う設定には人気が集まるのかも知れません。ただ、このおそ松君は六人の性格が微妙に違いますが一卵性なので、数のパワーで勝負です。が、彼らは「イヤミ」や「チビタ」「でかパン」とあまりに強烈な個性の脇役に主役の座を追われてしまったことは、別に私が言う必要の無いことですよね。

 私は今でも時々、おでんをチビタ風に串刺しにしてあげるですよ。理由はただ面白いからなんですが、子供が小さい時は喜びましたよ。
それから誰もがやった「シェー」。私が嬉しかったのは、やっぱりゴジラの「シェー」でしょうか。


 でもやっぱり私は「ひみつのアッコちゃん」。
月刊りぼんに連載されていたものなのですが、やたら昔の事を覚えている私でも、さすがにその漫画を読んでいた記憶は残ってはいないのです。
だから記憶の中にはアニメの思い出ばかりのようですが、ちょっとそうでもないなと思うことがあるのです。

アッコちゃんといえばコンパクト。でも私は、アッコちゃんがコンパクトではない鏡を持って変身している記憶が強く、それは原作を読んでいた証なのですね。それから呪文です。誰もが知っていると思う(?)「テクマクマヤコン」と言う呪文ですが、それはアニメの時から登場したもので、本当は逆さから言葉を言うものだったように思います。

「れあなにしたわのえまんねうゅじに」  と、いうふうに。難しいですね。


 余談ですが、この「テクマクマヤコン」と「ラミパス、ラミパス、ルルルルルー」を作った人はドラクエの「ホイミ」や「ルーラ」を作った人同様に罪な人ですよ。人生に何の役にも立たない知識なのに、すぐ覚え忘れることがありませんから。

そのアニメ版は、1969年、1988年、1998年と三回ありますが、私が子供だったとき見たのは1969年版で、エンディングテーマの水森亜土が歌う「すきすきソング」などは大好きですが、一番良く見たのは1988年版だったと思います。上の子供のラッタ君も幼稚園児、ルート君は赤ちゃんだったと思いますが、親子で安心して楽しめるアニメだったと思います。


下にその時のオープニングとエンディングテーマが一緒になったものがありましたので張っておきます。特にこのエンディングは凄いです。映画ファンなら必見です。貼って置いた動画は、元が消去されたので、こちらも消しておきました。
テーマソングはこちらなどで聴くことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=lsZAqD0NtGM



でもその前にクイズを少し。
① 1969年版のエンディングは先に述べた「すきすきソング」ですが、団地のはずれでアッコちゃんが来ると思って待っていると、そこに来たのは誰でしたか?

② アッコちゃんの親友の名はモコちゃんですが、その弟の名前はなんですか?

③ アッコちゃんの飼っている猫の名前もアニメの中でつきました。その可愛い名前はなんですか?

④ おそ松君の苗字は何でしたか。また6人全部の名前はいえますか?

⑤ おそ松君のガールフレンドの名前はなんですか?






 なんだか、やけに楽しそうに書いているなと思っていますか。そう、楽しみながら書いているんですよ。喜劇王と言われる人が楽しい人かは分からないことですが、トキワ荘の中でも遅咲きだった赤塚さんは仕事に関しては真面目な努力家で、そして常に前向きな楽しい人だったのではないかと思うからです。最後まで仕事をしてみんなを笑わせたいと願っていたそうです。


 
 生まれ出時から「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、」みんな「・・・」になあれと生まれてくるのさ。だから彼は「テクマクマヤコンテクマクマヤコン、赤塚不二夫になあれ。」って生きてきたのかも。彼は病室で「ラミパス・ラミ・・・、ちょっと待てよ。これは俺が考えたんじゃないよな。」「良いじゃないでがんすか。」
「そうざますよ。みんなユーが生み出したざます。ほら、」
病室はギュウギュウと、彼が生み出したキャラクターでいっぱいだ。
「そうか。じゃあ、まあいいか。
『ラミパス・ラミパス・ルルルルルー』元居た場所にかーえれ。」
・・・・・・
「これでいいのだ~!!」



ご冥福をお祈りいたします。


答えざます。
①納豆売り②カン吉③シッポナ④松野おそ松・カラ松・十四松・一松・チョロ松・トド松⑤トト子ちゃん
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さらば涙と言おう

2007-08-05 03:12:22 | 同じ時代の船に乗る

阿久悠さん死去 歌謡曲黄金期の作詞家(共同通信) - goo ニュース

 

 普段、

「私は阿久悠が大好きだ。」と自覚する方は居ないと思うのだが、「ああ、この歌いい歌だなあ。」と思うと、阿久悠氏の作詞であったと言う事は、誰でも経験があることなのではないだろうか。

 

 私は歌のジャンルの中では演歌と言うものが苦手で、なぜかみんな同じ歌詞、同じメロディに聞こえてくる。そんな私でも、何作かは知っているものもある。いずれも大ヒット曲ばかりだ。その中の「北の宿から」「津軽海峡冬景色」「舟歌」は、彼の作品である。

 

とりわけ、「舟歌」は好きな曲である。

しみじみ飲めば、しみじみと、

ほろほろ飲めば、ほろほろと、

ぽろぽろ飲めば、ぽろぽろと、

酒の肴なんてどうでも良くて、男は思い出を肴に酒を飲んでいる。店の明かりはぼんやりと灯り、遠くで霧笛がかすかに聞こえてくる。

 

思わずその空間に引きずりこまれてしまうような歌だと思う。

その「舟歌」の歌詞はコチラ

 

ところでタイトルにした「さらば涙と言おう」は、青春の巨匠(訳の分からないニックネームだが)と言われている、森田健作氏が歌ってヒットした曲である。この歌を歌っていた頃の彼は、ハンサムだったので、私はかなりのファンだった。先日インタビューに答えて、その彼が、いろいろな場面で、自分のこの歌を口ずさみながら頑張ってきたというようなことを、言っていた。

 

このときの森田氏の言い方のどこかが、私の気に触って嫌な気がしてしまったのだが、言った内容には頷いていた。

 

阿久悠氏の歌詞は、苦手な演歌であっても一度ちゃんと目を通すと、なぜだかすんなり頭に入ってきて覚え易い。それは、曖昧ではない確かな日本語で出来ているからではないだろうか。

 

歌詞と言うものを、あまり国語の教科書では見た事がないが、(本当は皆無、あるかもしれないので、「あまり」にしておこう。)詩として、捉えてみるのも良いのではないかと思う。

確かに、載せても良い詩を見つけるのも、難しいかも知れない。だけど、この「さらば涙と言おう」はどうだろう。森田氏ではないが、青春時代、私はこの歌を結構口ずさんだが、時代に色あせない歌もあれば、忘れられていく歌もある。この歌も後者なのかも知れないが、歌自体はそんな曲ではない。

 

さよならは誰に言う

さよならは悲しみに

雨の降る日を待って

さらば涙と言おう

・・・・・・・・・・

中略

 

恋のため愛のため

真っ直ぐに生きるため

泣ける事もあるけど

さらば涙と言おう

 

 

あまりにもたくさんの歌の中に、人それぞれの思い出があるのだと思う。凄い人だったのだとしみじみと思う。

 

彼のHPに行ってみた。その「あんでぱんだん」の中の「あまり売れなかったが、なぜか愛おしい詩」を読み出すと止められない。かぐや姫のデビュー曲の話や吉田拓郎との仕事の話など、興味深い内容が盛りだくさんだ。

 

ところで、この―あんでぱんだんーの意味だが、語源はフランス語で「自主・独立を意味する。」。

 

8月1日、阿久悠氏が亡くなられたその日、たまたま、私はアンリ・ルソーのことを書いて「アンデパンダン展」に触れた。今、阿久悠氏のHPの名前が、同じだと知って少し驚いている。

本当は、何も関係はないことなんだと分かっている。だけど、それでも人はそこに何かあると感じてしまう習性を持っているのかも知れない。

逝く人を想う日であるのだと。

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植木等の「花とおじさん」

2007-03-28 10:55:54 | 同じ時代の船に乗る

植木等さん死去 80歳 「無責任男」で一時代(朝日新聞) - goo ニュース

 

昔、ラジオの深夜放送のリクエストの企画で、一枚しか来なかった葉書の曲をかけると言うものがあった。

出さなかったのだが、出したらかかるかも知れないと思ったのが、この「花とおじさん」だ。この曲は、他の女の人が歌ってヒットしたが、もともとは植木等の曲だ。だから、もちろんその葉書には「植木等の」という文字を忘れてはいけない。

 

私は、この植木等が歌う「花とおじさん」が大好きで、初めて聞いたときからそれ以後いつも、まるで条件反射のように涙が出て来てしまう。

 

「サラリーマンは気楽な家業と来たもんだあ~」と、外では、明るく元気に頑張っている男達。でも、ひっそりとした家に帰って来ると、心を癒してくれるのは、自分を無言で励ましてくれる一輪の花。

その花は、本当の自分を知っていてくれる。優しくて責任感の強い自分のことを・・・

その花に水をあげていると、花は「うん、うん。」と頷いてくれているような気がしてしまう。

 

私は植木等が、大好きだった。だって、彼はスリムでハンサムだったから。私の父より年上だが、イメージが父と重なったのかも知れない。子供の時、いつも行っていた二番館の映画館で「日本一のゴリガン男」と言うのを見た。あんなふうに、智恵を生かして強気で生きてみたいものだなと子供心にも憧れた。

 

 お気楽無責任男を演じていた彼は、実は真面目な責任男だった。でも、たぶん彼のことが好きだった人は、みんなその本当の人柄を知っていたような気がする。

 

 「なんである、アイデアル」
「お呼びでない。」「はい、それまでよ~。」と言う言葉や「スーダラ節」など、たくさんのものを持っていた植木等だが、今私の心を通り過ぎていくのは、この「花とおじさん」だ。

 

この「花とおじさん」ってどんな曲と思われる方は→■

 (もう、リンクしてないともいます。音源が見つかりません。ここにあるよと教えて頂けたら幸いです。)

 

この曲を聴いていると、いつもこんな物語が頭に浮かんできていた。

―  男は(もちろん、キャストは若き日の植木等)、会社ではテキトーに調子良く遣っている会社員だ。ある日路地裏で、足を怪我している少女を助けてしまう。

酔っ払っていた男は、とりあえず家に連れて帰って手当てをしてあげるのだが、少女は自分の事は何も言わない。代わりに、小さな声でこう言った。

 

『あの、治るまでここにいてもいいですか。』

 

 最初は戸惑った男だったが、清楚な感じの少女に、何か事情でもあるんだろうと思い、自分の事もそのうち話すだろうと、何も聞かず置いてあげる事にした。

 

 でも、少女が家に待つ生活は、男にとっても予想以上に楽しいものだった。足を怪我している少女はこれといって何もしてくれるわけではないが、一緒に食事をし、今日あったことを話す。少女は微笑みながら聞いている。

 

男はだんだん、生活に張り合いが出てきた。

 

 だけど、そんな矢先。家に戻ると、少女が部屋の中で倒れていた。驚いて抱きかかえ
『どうしたんだよ。』と声をかけると、少女はやっぱり、小さな声で
『ごめんなさい、あたし本当は・・』と言って、息だえてしまった。

 

少女の事は、警察にも届けたが、結局何も分からないままだった。死因さえ、突然死と言われただけで、本当の事は何一つ分からなかった。

 

 ある日男は、スィトピーやデイジーや、マーガレットなどの花を買って不器用に花瓶に入れ、少女がいつも座っていた場所の近くに飾った。その花を見ていたら、涙が込み上げてきて、男は大きな声を張り上げて泣いた。

 

 ある日の会社。通りがかりに課長が男の肩をぽんと叩いて
『例の件、またテキトーによろしく頼むよ。』と言うと、男は
『俺、遣りませんよ。』と言っている。
『えっ。』課長は驚くが
『俺、テキトーになんか遣りませんよ。一生懸命に遣りますから。』
そんな風に呟く男の姿があった。 ―

 

植木等さん、楽しい時代をありがとう。


 

 

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「いまに見ていろ」

2006-12-29 01:30:28 | 同じ時代の船に乗る
 
 ―朝焼けを見たと思ったら、もう夕焼けだ。さらさらと日々は過ぎていくのだ。ただ、いつものように日々は過ぎて行っているだけだというのに、「今年最後の」と言う言葉が私を走らせる。
 だけど、その中で我らが船から去っていってしまった人たちがいた。少し遅くなってしまったけれど、私は立ち止まり敬礼をして、彼らを見送ろう。
「さよなら、楽しい時間をありがとう。」―


「青ちゃん、谷だぁ。あおちゃん、たにだぁ。返ってきませんね。寂しいです。」
谷啓氏の弔辞は胸を打ちましたね。昨日は、先週20日に亡くなった青島幸男氏の葬儀の様子が繰り返しテレビに映し出されていました。

 青島幸男と言ったら、「意地悪ばあさん」が代表作と言われてしまうのでしょうか。でも、私は彼の名前を聞くと、タイトルの「いまに見ていろ」を思い出すのです。たぶんネットを覗く人たちのほとんどはこの作品のことなんか知らないと思いますよ。この作品のことを言って
「ああ、アレは面白かったね。」と言うのは私の両親の年代の人だと思います。
1964年、なん時からやっていたのでしょうか。9時から?10時から?いずれにしてもその頃の私にとっては深夜でした。楽しみに待っていたのに、大体途中で寝てしまって、本当の事を言うとほとんど見ていないのかもしれません。

 汽車だい好きの男が国鉄に入って、巨大組織と対峙しながら生きて行くという自由奔放の鉄道マンの話だったかな・・・・?
ただ、最終回の最後のシーンだけは良く覚えているのです。

 遊園地のおサルの電車(ちんちん電車?)の駅長さんになって、もの凄く楽しそうににその電車を運転しているところで終わるのですね。
 
 理解能力のナイ幼き頃の事です。「今に見ていろ、今に見ていろ・・」と歯を食い縛って、最後に手に入れたものは、そんなものだったのかと言う驚きがあったのです。

 ですが、今思うと、自由奔放に右往左往と生きてきて、挙句組織からは外れてしまっても、それでも自分の愛するものに携わって飄々と生きていく幸せと言うメッセージが、そこにはあったのかも知れません。

 いろいろな場面でかっこ良かった青島幸男氏の御冥福を祈ります。

―そうそう、青島さん、都知事になるときの公約だけは、私ちょっといただけないなと思っていたんですよ。―

青島幸男氏のことを調べていたら、「23分間の奇跡」の訳をされていることを知りました。「世にも奇妙な物語」でやりましたよね。子供達に思想の洗脳をするのに23分しかかからなかったと言う恐ろしいお話。その小説の訳者でもあったのですね。

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聖なる場所に祝福を―つま恋

2006-09-25 12:22:37 | 同じ時代の船に乗る

拓郎&かぐや姫31年ぶりつま恋ライブ (日刊スポーツ) - goo ニュース

 1時から9時半のコンサートはあっという間に終わってしまった。行く前には、行き方から、長時間のコンサート、帰り時間、皆なんとなく不安でドキドキしていたが、それはすぐにときめきのドキドキに変わってしまった。

 拓郎の一部、「ともだち」を彼が歌った時、ふかくにもというか、早くも涙があふれてしまった。―とも~だちは、遥かなたびじを~

私は過去の私に会いに来たのだろうか。

あの時、この歌を歌っていた。あの時、その曲を聴きながら、私は泣いていた。あの時、あの歌で負けないぞって思ったんだよ。

歌の向こう側に、泣いて笑っているもう一人の私がいた。

 

別に感傷に浸りに来たわけではない。でも、そこにいた3万5千人のかって若かった人たちの中にも、時には、私と同じような感覚があったのではないだろうか。そこには不思議な一体感があった。

 かぐや姫が二部では白いスーツ姿で登場した。

あのね、白状しちゃうと、「かぐや姫」って私の中ではおまけだったんだよね。だから、眠くなったらここで寝て、トイレに行きたくなったらここで行こうなんて思っていた。

でも、姉が電車の中で言った言葉・・・
「わたしも、今頃気がついたんだけど、ここにはさあ『かぐや姫』が好きで好きで、大好きって言う人も来るんだよね。」

そうだよね。私のような失礼な事思ったりしてはいけないよな・・・

が、眠くなったらここで寝る?トイレに行きたくなったらここで行く?
とんでもありませんよ。聞き惚れてしまいました。

しかも、斜め横後ろにいる昔のお兄ちゃん達は、姉の言っていたところの「かぐや姫」ファンみたいだ。次の曲を紹介されるたびに
「ア~、この曲好きなんだよ。」
「これ、いい曲なんだよなぁ。」
「もう、これやっちゃうのかぁ。」
「俺、これ聴いたら泣いちゃうよ。。」
全曲コメント付き。

私はラッキーな人だ。その人のコメントと一緒にこの人たちが歌う声を聴きながらどんどん「かぐや姫」にはまっていく。この人たちは、何気に歌も巧かった。

「かぐや姫」の歌は、優しさに満たされている。歌が巧い。そして何よりも舞台進行が素晴らしい!!!!
二部と四部と進むうちに私はすっかり彼らの虜だった。

何を今頃、って「かぐや姫」のファンの人は思うよね。ゴメンね、だけど知らなかったんだモン。

「モン」って言っても、もう「かぐや姫」と言うグループはないんだよね・・・・

 

最後の拓郎のステージが始まった。
「人生を語らず」
―超えて行けそこを  超えて行けそれを―
もう、会場は一つ。

でももう分かっているよ。どんどん終わりが近づいているんだよね。なんだあ、あっという間じゃない。その時曲は「永遠の嘘をついてくれ」・・・・共鳴しちゃうな、いい曲だわ・・・って、中島みゆきが登場。思わずキャーって喜んでしまった私はやっぱりミーハー?    いえいえ、みんな喜んでいたよ。しかも、この歌は彼女の歌だった?と言うくらいかっこよかったのですよ。そしてクールに退場。かっこよすぎるぞ。

そう、クールに退場しようぜ、今日という一日を。

何時の間にやら、私たちは新しい水夫ではなくなってしまった。それでも、古い水夫達の古い船は、「我らの時代」の海を渡っている。私たちの船は、新しい船の先導でいよう。

今日という日が終わり明日を迎えたら、本当は中身なんか何にも変わっちゃいないのに、したり顔をして、社会に出て行かなければならない。又は思慮分別のある顔をして、父、母を一心不乱に演じている。一生懸命生きてきた。そして生きていく、また明日から。そう思ったとき、曲は「落陽」で、まるで、何かのご褒美のように、美しい花火が夜空を飾ったのだった。

その時私は忙しかった。だって花火を見て、ともに空を見上げる拓郎を見て、また花火を見て、会場を照らす明かりの中を花火の灰が雪のように舞っている。本当に細かいので、気付かない人も多かったと思うけれど、きらきらと会場中に降り注いでいる。

私は拓郎からのメッセージを受け取れたと思う。なぜなら、最後の曲は「今日まで、そして明日から」だったから。

アンコールを求める手拍子の時、後ろの方から、「人間なんて」の歌が聞こえてきた。静かに静かに増えていく。姉は、その歌に感激して泣いている。会場中が「人間なんて」の大合唱、そして、拓郎が出てくる・・・・かっこいい~
・・・・・・いやいや、そうはならなかったのだけれど、そうなってはだめだよね。だって、アンコール「かぐや姫」の「神田川」が先だったのだから。

―若かったあの頃~      って、こうせつさん、この日のためにこの歌作っておいたのかなあ。

そして、拓郎のアンコール曲「聖なる場所に祝福を」。。。。

私は過去の私に会いに来た?
いいえ、私は明日の私に会いに来たの。

 


 

 

 

 

 

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同じ時代の船に乗る―ジャック・ワイルドの死を悼む

2006-03-11 14:23:20 | 同じ時代の船に乗る
 映画「オリバー・ツイスト」もまた映画館で見損なっちゃったな、と思っていたら、いろいろな方のブログの記事でジャック・ワイルドが亡くなっていたことを知った。

 私は子供の頃、彼が好きだった。やっぱりきっかけは「小さな恋のメロディ」。子供の時、この映画を見た人たちで、この映画を悪く言う人は余りいないのではないか。
 
 当時見たときは、トロッコで逃げて行った後二人はどうなってしまうのだろうなんて考えたりもしたけれど、後にテレビで放送された時に、今は亡き淀川氏が解説で「まるで蝶がひらひらと・・・・」と、大人のメルヘンと称していたような気がする。それで私は、その後の二人の心配なんかする必要がないことが分かったのだった。御伽噺のお姫様と王子様のめでたしめでたしの、その後を知る必要がないように。
 そして、美しい御伽噺のその中で、彼だけが現実の中の少年だった。マーク・レスターとトレイシー・ハイドの、セリフのほとんどない美しい映像の中で、演技力でこの映画を支えていたのは彼だった。
 孤独を秘めたようなまっすぐな瞳に、心ときめいた少女も多かったのではないだろうか。

 私もそのひとり。
 その頃やたら「小さな」が頭につく映画がはやった。マークの「小さな目撃者」、ジャックの「小さな冒険者」。「目撃者」の方は記憶にあるのに「冒険者」の方は記憶がない。その頃子供だったわけだから、片っ端から映画を見る環境ではなかったのかもしれないが、なんとなく残念だ。

 だけど、「別れのクリスマス」は見た。
まだ見てはいないのだが、「誰も知らない」という映画の予告をテレビで見るたびに、私はなぜか、その「別れのクリスマス」のことを思い出していた。
 母を亡くした14人兄弟の話で、何とか家族がバラバラにならないようにと頑張るジャック。この映画にもいろいろ感想もなくはないが、一番印象が残っているのは、福祉関係の役人が訪れて
「学校にも行かなくては・・」と、言うと、ジャックが子供たちの一人を呼び寄せて、
「ノートを見せてやれ。ほら、ちゃんと学校にも行ってる。」と言うシーンだ。
14人もいれば一人ぐらいは勉強好きの変わったのも(?)いる。そうじゃないだろ、と言う顔をする役人達に、そうだよねと共鳴するものの、なんとなくその時、私の中で人はみんな同じじゃなくていいじゃないと思えた瞬間だった。

 その後、彼の映画に触れるチャンスは無かったが、彼のイメージは私の中で「ささやななえ」のある漫画に引き継がれた。

 残念ながら、読みきりの短編で題名も覚えてないし、ストーリーも曖昧だ。ただ、イギリスの荒地にある孤児院が舞台だったような。作者も昔の「オリバー」を意識していたのかも知れない。だったら、イメージが重なっても当たり前だと思う。その中にとっても素敵な詩があって(余りにも昔なので忘れてしまったが)、私は、イギリスの荒地にあこがれた。その翌年だったかどうか、私は姉と高山と白川郷に旅をした。高山から白川郷に向かうバスの中から、蛇行する川とその向こうに広がる風景に思わず、憧れていたイギリスの荒地の風景が重なり、心ときめいた事がある。
 そして、そのときめきを誰かに伝えたくて、余り好きでもなかったのにイギリスに留学中の英語の先生に手紙を書いたのだった。
それが初めてのエアメールだった。

さよなら、ジャック・ワイルド。
あなたは、あなたの人生を生きただけ。でも、その時受け取ったメッセージの欠片を、私は私の人生の中で紡いでいったのよ。それは、たぶんあなたを好きだった人の数だけ同じような事がある。あなたは、53歳の短い人生でそんな事考えた事あるかなあ。




私達は「同じ時代の船」に乗っている。私は、心の中で敬礼し彼が「全ての始まりという名の海」に帰っていくのを見送ろう。
コメント (4)
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