人は必ずいつかは死ぬ。でもその終わりが、あまりにも予期せぬようなものであったりすると、感じた大きな驚きになかなか心が落ち着かなかったりすることもある。
例えばそれは、すぐに思い出などを語ってはいけないような、そんな気持ち。
「そう言えばさぁ」とある日の夕食の食卓でラッタ君が言った。
「『クレヨンしんちゃん』の作者が行方不明って知ってる?」
それまで、その作者の事を意識した事はなかったが、漫画家は難しいタイプの人もいる。噂では「お○○」の作者はドラマが酷くて、しばらくペンが持てなかったとか。←噂ですよ。
「なんで?実写版の映画が気に入らなかったとか?」
「いや、山に行ったきり戻ってきてないんだって。」
「エッ、それじゃ遭難かもって事・・・」
私は自分の軽薄な発言を恥じた。
翌日家にやってきた中学生が、何処で仕入れたのか、作者の最近の作風から失踪だと噂していた。 なんだか今の世は怖い。噂が小さな立ち話の中ではすまない。その少年の言っている事は、私もネットの中の文で読んだ。だけど心幼き者達は、自分の脳で咀嚼しないで、それをそのまま吐き出していく。
何か彼に注意らしき事を言おうと思って、開きかけたその口を、だけど私は閉じた。遭難ではなく失踪、それが私の願望だと気がついたから。
折りしもその頃、酒井被告の記者会見の映像が朝に晩に放映されいた。
どうだっていいじゃん、もう。お辞儀が何秒だとか、涙の粒の数だとか・・・うんざり。 出来る事ならば、クレヨンしんちゃんの作者の臼井さんの帰宅会見が見たかった。願ったけれど・・・・
先日横浜の実家に帰ったら、父が「しんちゃんは本当にこんなに面白い子供だったんだろうなぁ。」とわけが判らないことを言った。
「『しんちゃん』って漫画だよ。」と言うと、モデルがいて、それは有名な話なのだそうだ。
「その子はもう小学4年ぐらいにはなっているだろうになぁ。」
あまり興味もないので
「ふーん、そうなんだ。」と相槌を打っていた私。
が、そんなわけないじゃん!!
「クレヨンしんちゃん」がアニメで始まった頃、下の子供はタイムリーに幼稚園児で、しんちゃん言葉に悩まされた。あの口調に嵌った子供はなかなか抜け出せない。真似するなら見せないと言った事もあったかも。
だけどその悩みも小学生になった頃に、あっけなく終了。そんなしんちゃん口調に嵌ったルート君も20歳は超えているんだから、もしモデルがいたとしても、小学生であるわけがない。でもそれは仕方がない。父や母にとって、「クレしん」がいったいいつ始まってどれだけ続いているかなんて、それこそ彼らにとっては興味もないことだからだ。
だけどいい加減な事も書けないので、ちょっとリサーチ入れてみた。
で、こんな所にたどり着いた。→双葉社Webアクション「クレヨンしんちゃん誕生秘話&ヒストリー」
そのモデルと言うのは、臼井さんの自作漫画の「だらくやストア物語」の二階堂信之介の子供時代のイメージを想像して誕生したキャラのようで、私の父が言ったようなものではなかった。
でも、父が言ったことだってあながちでたらめとは言えないのではと少しは思う。多くの子供たちが、「クレしん」を見て愛したけれど、多くの子供たちの姿を臼井さんは観続けて来たのではと思うからだ。
作家と言う人たちは、想像力を武器にして作品を生み出していくのだろうが、そこには多くの取材とリサーチが存在していると思うからだ。
無事に帰ってきたならば、高い崖から眼下を見下ろし
「ウッヒョヒョーイ、おら、お尻の穴がキュっとしちゃうぞ。」なんてシーンを、彼の作品の中で見ることが出来たかも知れない。
我が家の子供達は「クレヨンしんちゃん」の卒業は早かった。実は私もあまり好きではなかった。だって、ちょっと下品だし。
でも、ある日考えが変わった。ビデオで借りてきた映画版のしんちゃんを見てから。
映画版の「しんちゃん」はほとんどがSF。結構レベルが高い&時々マニアック。
加えてキャラの魅力が数倍増し。ちょっと現代的なかあちゃんのみさえは、ひまわりをおぶい紐でおんぶし、危機に直面した時に見せる逞しさは、なんて言うか、私の憧れだ。普段はちょっといい加減で普通の人っぽい父ちゃんのひろしも、同じく家族の危機にはスーパー父ちゃんになる。だけど時には力及ばず。そんな時二人は抱きあって泣くことも厭わない。犬のシロも含めて、この家族には愛がある。
「サザエさん」同様に「クレしん」が長寿番組なのも、そんなところに秘密があるのかもしれない。
そんな訳で、子供が大きくなってからは積極的にはDVDなどは借りもしないが、テレビで放映されたりすると、子供達は興味を示さないのに、私とだんなの二人だけでそれを見ているなんて事が、我が家では珍しくなかった。
ある時の私のマイブームは英会話を習うことだった。(そんな時代があったのか~。遠い目)
友人がネットで探して決めたのは、アメリカ人の元軍人の男性だった。最初はグループレッスンのつもりだったのに時間が合わずにプライベートレッスンになってしまった。だけどその人は眼光鋭く、本箱には軍人らしい本が並んでいた。私は心の中で彼をアーミーと呼んで、会う時はいつも緊張していた。彼とは映画の趣味も合わず、「キアヌも素敵。」と言ったら馬鹿にした顔をされたのもムカついた。
何か理由をつけて止めたいなと行くたびに思っていた。
ところで私は人の家に行くと、さりげなく本箱の本、壁に貼ってある絵葉書、置いてある小物を無意識に観察してしまうタイプ。
ある日、ずっと気になっていたことを聞いてみた。本箱に飾ってあるのはクレヨンしんちゃんの人形で、電気の紐の先に付いているのもしんちゃん。
「しんちゃんがお気に入りなんですか?」
すると彼は以下の事を言った。・・・たぶん。
―そう、僕は彼がだーい好き。
「ええ~!?何で?」
―だって、彼はとっても可愛いもの。本当に子供らしくてさ、見ていて抱きしめたくなるよ。ハワイの宿舎(たぶん軍人の為の)にいた時に、夕方になるとみんなで彼のアニメを見たよ。なんか癒されたな。
私は心の中で、「へエ~」とか「ふ~ん」とか言いながら、アーミーのイメージチェンジを図るのに忙しくそれを聞いていた。それで、ちょっとだけ気持ちが彼に近づき、数ヵ月後に彼が帰国するまで、息も絶え絶えだったが、通い続ける事ができたのだった。
テレビで、女性アナウンサーが
「『クレヨンしんちゃん』はアジアの国に人々に限らず、最近ではアメリカなどにも知られており、多くの人に愛されていました。」と語りました。
言葉にすれば、ホンの数秒。
だけど私は深く頷いて、その言葉を聞いていました。
―世界の人々に愛されていた。
そんなかけがえのない子供とその物語を生み出した臼井さん。まだ歳若く、ご家族の無念さを思うと胸が痛みます。なので時ずらし私の思い出を語らせていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。