森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

太く短く生きたのか。

2012-12-08 08:43:14 | 同じ時代の船に乗る

5日の朝、いつもの様にパソコンをつけたらツイッターで中村勘三郎さんが亡くなったと言うツイートが目に飛び込んできました。

「嘘っ!?」

思わず私は夫にその事を告げました。

「嘘だ!」とやっぱり夫が言いました。

その時テレビに速報が流れました。

「あっ、じゃあ、これ?」と夫が言うと、やっぱりそれは中村勘三郎さん訃報の速報でした。

「ええ、なんで。早過ぎる・・・・。ええ、どうして。だって~。」と気持がざわざわしました。

午後、姉と電話。

姉の家でも同じ様な会話があったのだと聞きました。

きっと同じ様な会話が多くの家であったのではないかと思います。

※      ※       ※

勘九郎―

彼が子供だった時、もちろん私も子供。

その頃、私は彼を特別な所に生まれた生まれながらにして恵まれた子供だと思っていました。子供だったので梨園という言葉も知らない頃です。

生まれながらに恵まれた子供に特別に興味なども持っていませんでしたが、ずっと親しみを感じて「勘九郎」という名前を身近なものに感じていました。

歌舞伎の役者さんがその後継の子供を幼少から舞台に立たせるのは、すごく意味があるなと、今ちょっと思ってしまいました。稽古と修行を幼い頃からするという意味だけでなく、観る側からしても子供の時から知ってる役者として、親しみ度が深くなるような気がします。

同じ時代の船に乗る・・・・子供の時からずっと知っていた彼は、まさしく同じ時代の船に乗っていた人でした。

 

横浜の片隅でタミーちゃんやバンカスゲームに、私が明け暮れていた頃、早くも彼は芝居に対して確固たる夢を持っていたようです。

その後の人生で、彼は山のような仕事をしました。

彼自身の舞台の充実ということはもちろんですが、きっぷの良い親分肌のようなそんな雰囲気が、時々テレビから流れる様々な情報から感じることが出来ました。

時代を同じように通過していくうちに、私はこの人にどんどん心惹かれるようになっていったと思います。

彼はいろいろな垣根の高さを低くした人だと思います。

歌舞伎の世界でも名門の否かの門を広げ、なんだか勉強をしないと観に行けないように感じてしまう歌舞伎自体の垣根も低くしました。

浅草の歌舞伎は難しくないから面白いよと、私も何度か人から聞いて行きたいなと思っていたのです。もちろん歌舞伎座の歌舞伎にも一度は挑戦したいとは思っていますが(ほらっ、やっぱり挑戦になってしまうのですよね。〉

それにやっぱり子供は親の鏡というように、勘九郎、七之助が素敵な役者さんに育ったことにも、凄く心惹かれました。

特に六代目中村勘九郎は藤原竜也を贔屓にしている人には、同じ様に気になる存在の人も多いかと思います。

 

病気だということは知っていました。だけど元気になって新歌舞伎座で復活してくるものだと思い込んでいました。

あのパワーと生命力が、病気などで潰えるわけがないと思っていました。

57歳―

早すぎます。

 

翌日会った友人は、
「私はお芝居などに全く興味が無いから、良く分からない。」と言いました。

そうかもしれないと、また私は思いました。

だけど演劇を愛する者の端くれである私には、やはりものすごく大きな損失に感じてしまうのです。さながら日本の宝をひとつ失ってしまったような、そんな感じさえするのです。

 

勘三郎さん―

遣りたいことは、概ねはやり切れましたか。

「概ねは」と言うのは、「全て」なんてワケがないからです。

だけど今生に未練を残しても仕方がないこと。やり残したことは、きっとあなたが厳しく育てたお子様たちが引き継ぎますよ、きっと。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

彼の舞台を生で観ることは叶わぬ夢になってしまいました。
唯一観たのは、シネマ歌舞伎の「法界坊」。その感想は→こちらです

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I Will Always Love You

2012-02-12 13:37:31 | 同じ時代の船に乗る

今朝、「サンデージャポン」を見ていたら、デーブ・スペクターさんがホイットニー・ヒューストンさんの死亡を伝えました。入ってきたばかりの情報だったみたいです。
そのニュースは→ここなどで

ショックでした。

彼女が出演した「ボディ・ガード」はとても好きな作品でした。本当に素晴らしい歌声だったと思います。

だけど最近聞こえてくるのは、薬物依存症で入院した話とか、その他のあまり良い話じゃないような話題ばかり。

勿体無いなあとずっと思っていたのです。

まだ48歳。

早すぎる死に、私、本当に悲しいです。

YOU TUBEでも歌だけのものもありますが、やはり私は映画からのもので彼女の冥福を祈りたいと思います。

最後の流れるエンドクレジットが、悲しみを感じさせます。

埋め込みが無効になっているみたいなので、中のYOU TUBEで見るをクリックすると飛ぶことが出来ます。
映画の映像なので、又すぐに消えてしまうと思うのですが、それでも今日だけでも・・・と思います。

 

I Will Always Love You


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さよならスーちゃん

2011-04-28 12:35:58 | 同じ時代の船に乗る

昨日友人とランチに行きました、やはりそこで出た話題はキャンディーズの田中好子さんの訃報のことでした。彼女の死はかなり衝撃的なものでした。
20年近くも癌と向き合って戦っていたなんて、彼女の仕事ぶりからはうかがい知る事も出来ない事でした。「東京DOGS」で肝心なときに「奏ちゃあん。」と電話をかけてくる可愛いお母さん。キラキラしていました。信じられません。(でもこの作品2009年の作品なんですね。ああ、時間が経つのが早すぎます。)

 

彼女の訃報を知ったのは、またもツイッターからでした。結構大きな地震があり、それが怖かったのでパソコンを開けたのでしたが、地震よりも衝撃的な彼女の訃報を知らせるツイートが並んでいました。

本当にショックでした。

なぜならその昔、私はスーちゃんに一目惚れ。キャンディーズが大好きだったからです。その頃同級生の男子が、テレサ・テンの顔見て、お腹が一杯になるようで好きなんだと言っていました。それと同じような感覚を彼女に感じたのですね。もともと芸能人に興味を持つことが稀でしたので、(フォーク系の人は別)好きになる人は男女はあまり関係の無い私だったのです。

そして芸能人に興味が無い故に、私が稀に好きになる人は必ず売れる人なのだと確信していました。もちろん私などが応援しなくても、キャンディーズが一時代を作った事は、その年代の人たちでは知らない人はいないことだと思います。

あなたが好き~
  とっても好き~♪

かなり鼻歌で歌わせていただきました。

ヒット曲がたくさんあって、どの曲が一番好きかと言われると、迷うところでもありますが、やっぱり「やさしい悪魔」でしようか。拓郎さんの曲ですよね。

でも私=春一番。
近所の女子友とよく一緒に歌いました。お陰で結婚式の時も、歌っていただいたと言うより、呼ばれて共に歌いました。

思い出がたくさんあると言うわけではありませんが、彼女が「黒い雨」で原爆症で苦しむ女性を演じた事は印象深い事でした。

      ※                       ※                           ※

その日の朝、たまたまある知人と電話で話していました。
「今日が癌再発1周年なんだ。」
「もうそんなに。でも治療が上手くいって良かったね。大丈夫だよね。」
「大丈夫、私これから30年生きるから。」
「ええ、そんなに生きるの。」
そう言って笑いあいました。

だけどその夜のスーちゃん、いや、今はスーさんってお仲間に呼ばれていたのですね、その田中好子さんの訃報で、20年も闘っていた事を知りました。ちょっと複雑な気持ちになってしまいました。なんと言う長い闘いでしょう。この事で勇気付けられる人と言うよりは、心騒ぐ人たちもたくさんいるんじゃないかしらとも思ってしまいました。

でも美しい人は死に様まで美しいのですね。

お葬式に流された彼女の肉声のご挨拶を聞いていたら、そうではないなと思えてきました。

癌に勝つと言うのは、死なないという事だけではなくて、最後まで生き生きと生きるってことなんだなとしみじみと思ったのでした。

 

最後の最後までキラキラ生きた田中好子さんのご冥福を、心の底からお祈りいたします。

 

 

 

 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MICHAEL JACKSON ELIZABETH I LOVE YOU

2011-03-24 01:54:46 | 同じ時代の船に乗る

近頃、ゆ~ちゅ~ぶさんにお世話になりっぱなしのブログになりつつありますが、それはたまたまですよ(汗)
書きかけの記事、実はあるのです。でもね、毎日毎日吃驚するような事ばかり報道されていて、今それじゃないだろうって感じでそれらの記事は奥の引き出しで眠っているのです。

 

昨日は水道水の乳児飲用制限の事が一番の話題ですよね。思う事も調べた情報もありますが、、テレビの言っている事とも若干違うようにも感じますし危ない事は書かないほうがいいかなと思っています。
とりあえず、乳児のいない皆様は、水の買出しは無用ですよ。むしろいつもウィスキー飲むのに買っているのよという方も、ちょっとだけ控えてハイボールにすると良いですよね。

 

そして昨日はエリザベス・ティラーさんが亡くなったと言うニュースが飛び込んできました。

綺麗な女優さんでしたね。彼女以外に出来る人は居ないと思われた「クレオパトラ」は大作で見応えがありました。

ツイッターで素敵なところを教えていただいたので、皆さんにも。

 

MICHAEL JACKSON ELIZABETH I LOVE YOU


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逝く人へ

2011-03-14 15:21:26 | 同じ時代の船に乗る

12日の土曜日の夜、姉から電話がありました。

「一応報告だけするね、」

どきっとしました。

「なあに。」

「おばさんが、昨日亡くなったの。」

「えええ~~、あの地震で!?」

「ううん、肺炎で。」

「なんちゅう空気読まずな死因・・・」
おっと、大失言。
悪魔kiriyはうっかり言ってしまいました。

でも天使kiriyは
「死んでいくのに、空気なんか読めるか、あほ。」と、そんなもうひとりの自分を諌めました。

 

ずっと昔からこの人たちと両親はお付き合いをしていません。と言うより、最近までどこに住んでいたのか分からなかったのじゃないかしら。この人たちと言うのは、このおばさんとその夫。夫の方が母と一応兄弟なのです。一応とは、小説のような出来事がまあいろいろあるのですよ。両親にとってはかなり辛いような事がこの人たちとあったのかも知れません。ただ私は自分に実害がないと、人を嫌いにはなれない人なので、どう言う訳かこの人たちをあまり嫌いになれなかったのです。

おじさんは頭が良くて飛び級で大学に行ったと言うのが母の自慢でした。今は復活しているその制度ですが、昔もあったみたいなのです。でもそのせいで、母が犠牲になりました。女だからと言う理由。

でもおじさんは頭が良かったかもしれませんが、心は弱くて会社の倒産、子供の障害には立ち向かう事が出来なかったのか、お酒に溺れていきました。私は母から自慢と言うか恨み節と言うか、その飛び級の話を聞くたびに、犠牲になるのに値しない人だと子供ながらはっきりと思いました。はっきり言ってろくでなしです。でも、子供の頃しか会っていませんが、おじさんは私の事が好きでした。

私は次女と言うポジションゆえに、あまり両親に愛されていると自覚が持てない子供でしたので、自分のことを好きになってくれた人の事はやはり嫌いになれないのかもしれません。

そしてその妻は、つまりおばさんは子供の目から見たら、深く物事を考えない人のように思えました。もう言う事がボロカスですが、正直なその時の気持ちです。

それでもそのおばさんは、絶対にアル中に違いないおじさんも見捨てずに
「パパは愉快な人だから。」とパパ、パパと言っていました。

本当は何も考えないようにしていたのかもしれません。夫に失望したり、子供の事で悩んだり、思う事は一杯あったのかもしれないけれど、へらへら笑っている事が、とっても大事な事だったのかもしれません。いやいや、もしかしたらもっと強かな人だったのかもしれません。私はたぶん、何も知らないのかも知れません。

だけど障害のある息子と、家族を支えてくれた娘と4人で肩寄せあって生きてきたのは間違いのないことです。

 

その最後の日、誰もが余震と津波の恐怖に打ち震え、身近な人の、または見知らぬ誰かの命を思って祈らずにいられなかった日、そんな日におばさんは逝ったのでした。

 

ちょっと経つとがががががと揺れ、またちょっと経つとゴゴゴゴゴと揺れ、またユサユサと揺れ、そんな中で逝くなんて・・・。

命の炎は消える日は選べない。

この日に消えていった命がひとつ。

「いつ」と言う日にちは忘れてしまっても「どんな日に」と言うのは、みんな忘れないと思います。

おばさん、静かに安らかに眠ってね。

 

※      ※       ※       ※

 

一つ前の記事で、まだ「ご冥福を」と言う言葉を使えないと、私は書きました。こうして書くことは出来ますが、それは言葉としてであって、言っているわけではないのです。どうしてなんだろうと思っていましたら、テレビを見ていて分かったような気がしました。この人たちはまだ家族の元に帰っていないからかも知れないなと思いました。

ようやく津波の心配が去って引き上げが始まったと思いますが、目視でも200から300あった溺死体と言われていましたが、1000人以上の遺体の確認とか安否不明が一万人以上とさらに言われています。

でも家族の方々は、その命を信じて待っていると思うのです。

まだまだ諦め切れません。奇跡がどうぞ一つでも二つでも数多く起きますようにと、お祈りいたします。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幽霊を模写した男

2010-12-05 02:21:53 | 同じ時代の船に乗る

11月27日TBSラジオで「「野沢那智さん、ラジオでお別れ会」」と言う番組があったのですが、夕食が遅すぎて、聞き逃してしまいました。とっても残念です。

野沢さんの訃報は、10月30日、奈良に家族で旅行に行く為に横浜に向っている時に、携帯のツイッターで知りました。
凄く吃驚しました。心の中のアラン・ドロンがあまり歳をとらないのと同様に、野沢さんもいつまでも若い人、そんなイメージがあったからです。71歳。もうそんなお年だったのですね。死因は肺がん。私の舅と同じ病気です。私はこの舅が70で亡くなった事が、まだ若いのに死んだと思えてなりませんでした。71歳は、やはりまだまだお若くて、残念な死だったと思います。ご冥福をお祈りします。

高校時代、隣の席の少女は野沢那智さんのファンでした。定期券入れなんかにも彼の写真が入っていました。それって、結構マニアックな趣味に思えましたよ。私も彼は好きでしたよ。なんと言っても「どろろ」の百鬼丸ですし、アラン・ドロンですし、イリヤ・クリヤキンなわけですから。でも定期券に写真を入れるなら、彼が声を勤めた俳優さんの方が多いのでは?

そんな彼女も、きっと悲しんだ事でしょうね。青春時代の淡い想いと共に別れを告げたかもしれません。

私にとっても、彼がやっていた深夜放送「パックインミュージック」は、青春時代の一駒、そんな感じがしますよ。

結構毎週聴いていたのです。でもどんなお話をしていたのかは、さすがに大昔、全部と言って良いくらい忘れてしまいました。そんな中で、唯一、覚えているのが、タイトルの「幽霊を模写した男」のお話です。

パックインミュージックはリスナーからの投稿で成り立っている訳です。だからそのお話も作者様が実は何処かにいらっしゃるのですね。
作者と言うのは変かしら。投稿者さま?

もちろん、覚えていると言っても詳しく内容を覚えていると言う訳ではなく、そんなお話があったという程度です。

ナチ・チャコパックでは、夏になると怖いお話特集をするのですが、皆さんの投稿も結構怖くて、それを読むナッチャンが凄く上手いのですよ。とても一人じゃ聞けませんよ。姉とか私とかが寝てしまっていたら、お互いに起こしあうくらいです。また、彼は上手い具合に間を取って沈黙するのですよね。ラジオで沈黙はまずいですよね。だから、相方のチャコちゃんが上手い具合に「キャ!」とか「うふふ」とか声を入れるのですが、そのタイミングが上手すぎて、余計にワクワクまたはドキドキしてしまうのですね。

そして、その中でダントツに怖かったのが、その「幽霊を模写した男」のお話だったのです。

「ナッチャン、チャコちゃんこんばんは。小生の友人の奇妙な話を聞いてください。」と言う普通の挨拶から始まったその話はの内容は・・・うーん、うーん、なんだっけな・・・・おい、こらっ、引っ張っておいてそれはやっぱりないよな。
と言うわけで、ちょっと創作が入ってしまうかもしれませんが、こんな内容だったと思います。

『小生(投稿者)の友人はちょっと一風代わった男でしたが、絵の才能に恵まれていました。日頃から付き合いが悪い男でもありましたが、最近あまりにも学校にも出てこないので、気になってその男の家を訪れて見ることにしました。

すると家から出てきた友人は、思っていた様子とは異なり、異常にハイテンションで骨董屋から偶然素晴らしい幽霊画の絵を買ってしまったいきさつを述べたのです。その絵は素人の小生など見ても見事な掛け軸画で、なんでそんなものが友人の所にやってきたのだろうとなんだか腑に落ちない思いが少々はあったのです。そしてそれは見れば見るほど吸い込まれるような何かがありました。訪ねて行った後も、やはり友人は家に引きこもったままでしたので、また訪れてみると、彼はその幽霊画の模写に取り付かれてしまっていたのです。しかもその模写は製図の道具を使って、せんをしっかり写し取ると言うやり方だったのです。

常軌を逸したような友人の姿に、もうそんなことは止めろと忠告をしたのですが、事もあろうか、その彼は、今度は・・
その幽霊画の拡大画に挑戦し始めてしまったのです。呆れ果てた私は、もう彼の事は気にかけないことにしました。

だけどある日の真夜中、いきなり彼から、『絵が完成した。絵が完成した。』と叫ぶような電話が掛かり、その後断末魔のような悲鳴が聞こえたのです。気になって警察に連絡を入れた私は、警官と一緒に彼の家を訪れました。でもそこには彼の姿はありませんでした。家の中は荒らされた様子もなく、事件性はないということで処理されてしまいました。

ただ、その時私は警察にも言わなかったことがあるのです。家の中はこれと言って変わった様子はなかったのですが、ただ壁に掛かっていた幽霊画の掛け軸の中に、その幽霊はいなかったのです。

今でも彼は家出扱いになっています。』

やっぱり、怖い!

えっ、何?!

この文章じゃ怖くないって・・・。
すみませんねぇ。
って、いじけるのもなんですが、その頃の私はイマジネーションだけが友達のような者でしたので、拡大する幽霊の絵。いなくなってしまった掛け軸の絵。幽霊を定規やコンパスで測って写し取っていく。みんな悲鳴ものですよ。加えて上記の如くナッチャンが上手いのですよ。

怖い、怖いと耳を塞いでいましたら、姉が、
「ちょっと、大丈夫だよ。これ創作らしいよ。」と教えてくれました。

なぜなら最後に
「小生のつたない真か嘘か、嘘か真かの文章にお付き合い下さりありがとうございました。」と言う挨拶が入っていたのでした。

なーんだ、と私は思いましたが、反面ホッとしました。こんな恐ろしいお話があったらたまりませんからね。

ちなみに完全な余談ですが、自分が書いては放置してある創作文の中に、このお話に影響されて思いついたシーンがあるのです。さりげなく過ぎていく一夜の事でも、なにげに影響を受けていくものなのですね。

お話を元に戻しまして、この投稿は創作、いわば作者様がいらっしゃる訳で、「インチキ書きやがって~!」と言う場合は、ぜひとも訂正にいらしてくださいませ。あくまでもこんなんじゃなかったかなと言うことで書かせていただいていますから。&愛をこめて。

たまたま、私はこのようなお話が想い出です。でも、パックインミュージックに投稿した想い出を持っている人はどれだけいらっしゃるのでしょうね。読まれた想い出を持っている人は?私のように、忘れられない内容や掛かった曲をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

野沢那智さん、想い出をありがとう。
それから映画を日本語でたくさん楽しませてくれてありがとう。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガッチョーン!!

2010-09-12 01:30:12 | 同じ時代の船に乗る
今日(もう昨日でした)、多くの人が心の中で、又は声に出して言いませんでしたか?
「ガッチョーン」って。
だから、タイトルもそれ。

9月11日の今日、2時半ごろお昼寝から目覚めて、珈琲タイム。そんな時は、私はツイッターです。そこで見つけた「谷啓さん、亡くなったんだ。」と言う呟き。
―エー、本当?入院とかしていたんだ・・・
でも、それは違いました。
検索したら、こちらがありました。→△△

10日の夕方躓いて転び、顔面や頭部を強打し、入院先の病院で11日の午前5時ごろ亡くなったとありました。
ある意味、事故死。
あまりに突然で、ご家族の方も気の毒だと思いました。

谷啓さんと聞くと、なぜかお葬式のシーンばかりが思い出されてしまいます。

青島幸雄さんのお葬式の弔辞は涙を誘いました。
「青ちゃん、谷だぁ。あおちゃん、たにだぁ。返ってきませんね。寂しいです。」
と言って、青島さんを見送った谷啓さん。
そして、植木等さんも見送って・・・・

変な言い方ですが、子供時代にかっこいい大人たちと見上げてきた人たちが、そうやって儚くなっていっても、何か谷さんの存在がクッションになっていて、まだその時代は終わっていないのだと言う気持ちになっていたのです。
例えば、クレージーキャッツと言うバンドはハナ肇さんが亡くなった時に解散してしまった訳ですが、それでもその仲間の一人でもいる限り、そのバンドは消えないと思うのです。

先に逝ってしまった者の事を覚えている。覚えている人が存在している。それは悲しみのクッション。
だからその谷さんが逝ってしまったのは、また違ったショックを感じたのでした。

だけどもちろん、そういった意味では犬塚弘・桜井センリさんがいらっしゃる訳ですが、谷さんはお二人よりも少々若かった訳で、このお二人の気持ちを思うと、凄く寂しいのではないかと推察してしまいます。


存在している、それが自然体。そんな人っているんですね。だから凄く正直に自分の気持ちを言ってしまうと、「悲しみ」と言う言葉はないのです。ぜんぜんピーンとこないんです。だけどある時、やはり突然に、「そうか、彼はもういないのか。」としみじみとしてしまう予感がします。その時、私は凄く寂しいなと思い、やはりひとつの時代は終わってしまったなと、クッションなき今は思ってしまうのでしょう。


想い出を語れば
釣りバカの佐々木課長よりも、私は「カメレオン」に出てきた、詐欺グループのお年寄りの一人かな。最後まで現役。素敵でしたね。

ご冥福をお祈りしています

そうそう、ちょっと思い出しました。谷さんは1932年2月22日生まれ。ピンクの林家さんじゃなくても覚えやすい誕生日ですね。そして、亡くなられた日も9月11日。だから・・・って、その先は言わずもがなですね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「当たりまえだのクラッカー」と世界の片隅で呟いてみる

2010-02-20 12:04:22 | 同じ時代の船に乗る

 実はワタクシ、駄洒落って好きじゃありません。なんとなくおじさんっぽいから。それでも、時にはつい思いついて、言って見たくなる時もあります。そんな時「なんちゃって」と言う言葉を最期に入れて、大いに照れてしまうのです。

そんな私でも、ふと思い出し、使ってしまったと言うか、物凄く言ってみたくなったのが、この「当たり前だのクラッカー」。

これ、駄洒落じゃないよと叱られそうです。分かっています。チョー有名なキャッチコピーです。(それも微妙に違う?)

でもこれ、使う時同じように照れてしまいますよ。

と言うか、今、使う人なんかいないんですよね。でも、きっと昔は猫も杓子も使っていたんだと思います。普通に「当たり前」と言う言葉を死語にするくらい。イヤ、これ想像で、本当のことは知りません。

だけど、思い出すと使いたくなってしまう、懐かしい言葉です。現にこのブログでも使っていました。

それはこちらです→「毎日一万円生活

 

 18日、藤田まことさんが亡くなっていたというテロップが流れました。

私は昔から「必殺シリーズ」のファンで、いつか「好きなものがある幸せ」と言う記事の流れで書いてみたいと思っていました。でも、あれやこれやと長くなってしまいそう(また)なので、またいつかと先延ばし中だったのです。 だけど、ドラマ記事の中で「必殺仕事人2009」の感想を短く書きました。そこでけっこう書きたかった事をさりげなく言っていたかもしれません。

短いので再掲させていただきます。

 

  そして昨日は「必殺仕事人2009」。
なんて言うか、凄く面白かったです!!
表現力が乏しいと言うか、細かく書くのが面倒になってきたので「!!」で誤魔化していますが、映像美と音楽に惚れちゃうよ、もう~。
キャストも全員芸達者な感じで良かったです。それに衣装も本当に素敵ですね。けなす所はほとんどないので、私はかなりの「必殺」好きなのかもしれません。

最終回では、小五郎の同僚で気の良い伝七の死が悲しい。
主役の座を明け渡してはいる主水ですが、やはりその存在感は大きいですね。仕事をする時の登場の仕方が、彼が一番怖いかも知れないとふと思いました。
いかにも普通のおじさんが、低い声で闇の中から「~様」と現れる。
なんだか死神登場と言う感じがしました。

経師屋の涼次のセリフ
「とりあえず地獄で待っていろ。またそこで殺してやるから。」
凄いですね。このセリフを書いていた時ライターさんはフフフと笑ったに違いありません。
と、ここだけ読まれたら、私ってなんだか危ない人に思われそうなので、もう終わりです。

「必殺仕事人2010」お待ちしています。

 

>「必殺仕事人2010」お待ちしています。
だけど、主水はいない・・・・

上記の繰り返しになってしまいますが、歳を取って枯れた主水は本当に良かったのです。彼にも(中村さん)にもいろいろな時代があって、どの時代も好きでしたが、ラスト(になってしまった)主水の仕事人ぶりは最高でした。

 東山の小五郎は全身から、その恐怖が伝わってきます。触れれば切れてしまう凶器のように。
だけど、主水からは殺意が感じられないのです。ゆえにターゲットになってしまった者は、油断して、時には見下して、その間合いに入ってしまうのです。
そして、「さあ、私は今あなたを殺しますよ」と言うサインなく、いきなりドスッといく・・
美意識のない美学がそこにはあって・・・

ああ、だめですよ。こんな事を「堪りません」などと書いていると、やっぱり私が危ない人みたいですよね~。

ああ、と思って両手で顔を覆ったら、そのまま思わず涙が出ました。

仕方がありません。だって、お付き合いが長いのですもの。もちろん、役者様とそれを見る人としての付き合いと言う意味です。

うっすらと涙ぐんだその目を拭ったら、遠いかすかな記憶の扉が開きました。

それは舞台の上のお堂の扉。妙に明るい舞台です。
その扉からバッと出てくる時次郎。

「良かったよ~。お芝居、いろいろ。」

一瞬浮かんだ映像は、すぐに消えてしまいました。

仕方がないので、こっそり自分で呟いていました。

「あたりまえだのクラッカー」

 

藤田まことさんのご冥福を心からお祈りいたします。今までたくさん楽しませてくれてありがとう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気分を変えて : 山崎 ハコ

2010-01-20 08:59:26 | 同じ時代の船に乗る
気分を変えて : 山崎 ハコ


popoloさんから山崎ハコ派だったと聞いて、彼女を思い出しました。
学生時代に友人に、浅川マキが好きだと言ったら、じゃあと言って、ハコさんのテープを作ってプレゼントしてくれたのです。
あれっ? って思いました?
マキが好きと言ったらハコのテープ・・・。
でも、たぶんマキさんのはレコードを持っていたのですよ、たぶん。
あまり記憶にないのですが、とにかく一時期毎日聴いていたのです、たぶん。

でも、友人の選曲が悪かったのか、語りがボソボソと小さかったのがいけなかったのか「暗ーーい。。。」と思っていました。しかも曲の記憶がないのです。昨夜真夜中にいろいろ記憶をたどって曲を探してみました。
ハコさんじゃなかったのかなぁ?
この時代のもっと暗い人知っていますか?・・・って、変な質問ですね。
でも、この歌は好きだったような気がする・・・「呪い」
やだー。私ってダークな人だったのかしら(汗)

でも、今回はpopoloさんお勧めの「気分を変えて」をアップしました。
なんか、昔思っていたイメージとぜんぜん違います。
元気が出ます。

話しが難くなるので書きませんが、このイメージの変化に対しては学ぶ事が多かったなぁ、私。



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅川マキ 赤い橋

2010-01-18 12:08:25 | 同じ時代の船に乗る
朝、ツイッターで「おはよう」とか呟こうと思ったら、浅川マキさんの訃報の事が・・・
エエエッ~、なんかショック。
信じ難くて、彼女のHPを見ると1月15、16、17日は名古屋でライブと情報が載っていました。他の方のブログではそのライブ先で亡くなったのだそうです。

 
 昨日、私が友人に藤原君の事を熱く語っていたら、他にはどなたが好きなのと聞かれました。好きな人がいっぱい居て困っちゃうなあとか言って何人かの人のお名前を挙げていたのですが、後で考えたら、昔から好きだった人の事を、すっかり無視していた事に気がつきました。

 昔の私、どなたが好きなのと聞かれたら何て言っていたのかしら。女性ではと聞かれて、今は「ダントツ松たか子」と答えていたのですが、その昔桃井かおりは、私にとっては女神でしたので、「絶対桃井かおり」と答えていたと思います。そして「後、浅川マキとかね。」だってかっこ良く聞こえるじゃないですか。「夜」は私の親友。そして彼女はその住人。闇に揺れる煙草の煙、語るように歌う女の歌声・・・

雰囲気に憧れては見ても、ひよこがカラスに憧れるようなもの。
このブログの中で言った事はないけれど、子供の頃北山修さんは未来の妄想夫だったもので、作詞がそのサムの「赤い橋」には心惹かれて(私が好きそうな歌でしょう?)、たぶんこの歌から彼女のことが好きになったのかもしれません。へたくそでも、マネをして良く歌っていました。

今この歌を載せるのって、ちょっと不謹慎かなと迷いました。
「浅川マキ」と名前を見て「夜が明けたら~」と口ずさんでいたのですから、そちらにするか
一緒に載せた、「ふしあわせと言う名のネコ」だけでも良いのですよね。

でもね、この早すぎるブログ記事は彼女と彼女の歌を歌っていたその時代を思い出したかったからなんです。
何かちょっとと思われる方は、下の「・・・のネコ」の方をお聴き下さい。


ソースがツイッターで、その前はミクシィ。ミクシィは確認できないのでこれも迷いましたが、
ここにありました。
http://www.webdice.jp/dice/detail/2250/


ご冥福をお祈りいたします。



浅川マキ 赤い橋



ふしあわせという名の猫・・・浅川マキ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする