森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

チュネル乗車体験とイスティクラル通り散策

2019-10-20 01:27:11 | トルコ旅行記

6月15日、トルコ旅行最終日の事を書いていきます。

とうとう最終日。と、言っても旅行記はまだちょっと続きます。

年内は実家以外に泊まり込みでの旅行など予定にないし、旅行記の方は「何も急ぐ旅じゃないんだ。」と言う所かしら。

 

ところで「チュネル」と言うのは、トルコ語でトンネルと言う意味で、イスタンブール新市街から地下を走るケーブルカーで、ガイドさん曰く「世界一短い地下鉄」だそうです。

コインを買う所。

 私たちはツアーなので買いません。

中に入ると、ちょうど出て行く所でした。

トルコは何処でもチューリップとタイル。

待っている間は模型などを眺めます。帽子をかぶった魔女のようなシルエットは私。映り込みで参加するのがマイブームです(笑)

そして私たちの乗る車両が来ました。

乗り込んで出発です。下の画像は星子さん撮影です。運転手さんもサービス満点ですね。

 

 

そして「イスティクラル通り」散策です。

向こうの端まで行って戻って来るだけの、朝のお散歩です。

 

まだお店も閉まっていて、静かな通りでしたが、こんな風にただ街を歩くと言うのも楽しいものですね。

路面電車とか

ポリスとか

ちょっと重々しい車なども見たりして・・・・・。

珍しいキリスト教の教会。

これを書いていて、ふと、トルコにおける仏教と言うものが思い浮かび、今ちょっとリサーチしてみましたが、そんなには簡単には調べられないみたいです。

そしてそこから歩いて、私たちはガラタ塔に向かいました。

 

この街に居た猫さんたち。

猫が出てくるのは、もうお約束の様なものですね。

では、たまにはノラワンコなども。

トルコのワンコ、結構大きいじゃないですか。野犬と言うと怖い感じで、気を付けなければならないのは事実。

だけどインドでもそうでしたが、いじめられた記憶が無いみたいで、テリトリーに侵入しなければ、こんな呑気な感じでいる事が多いかったです。

穏やかな顔をしているでしょう。

だけどこのワンコたちが、後から起き上がって凄く咆えている場面に遭遇しました。

それは服を着た飼い犬が、飼い主と共にこのワンコたちの反対側の道を歩いて居たときです。

服を着てリードに繋がれた、日本では当たり前の犬を見たのは、この国では初めてでした。

このノラワンコたちが激しく咆えると、飼い犬ワンコが応えるように咆えました。

 

普通なら、

「ここは俺たちのテリトリーだ。入って来るんじゃない !!」と言っていると解釈すると思うのですが、あまり攻撃的に吠えてるとは思えず、

私には、

「お前大丈夫か ~~!?

どうしたんだよ~、

そんな鎖につながれて。

なんなら助けに行ってあげようか。」

「大丈夫だ ~!!

俺はこれで幸せだ。

心配無用だ、この人に手を出さないで欲しい。」と、言い合っているようにしか感じなかったのです。

自由ワンコから言わせたら、飼い主の元で何も不自由なく暮らしているワンコの方が助けが必要なワンコに見えるのかもしれないのですから。

 

お店の写真はお願いねと星子さんに丸投げしていたら、街歩きの楽しげなものが一枚もありませんでした。

なんたって私の画像は猫やらノラワンコやらパトカーですものね。

それで、街歩き画像を星子さん撮影から頂いてきました。

 

旅行に行くと、ご一緒した人の持ち物や写真の撮り方まで、いろんなことが勉強になりますよね~♪

 

と言うわけで、星子さん画像を数枚どうぞです♡

 

 

 

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シュラトンホテル2連泊

2019-10-09 12:26:54 | トルコ旅行記

「トルコ旅行記」もようやく終盤になりました。と言っても、もう少し続きます。

そこに居た猫や花たちや、すれ違った人たちの事まで書いている旅行記なので歩む速度も遅くなって当然ですね。

だけどすぐに忘れてしまいそうなささやかな事ほど、(忘れてしまうので)書いておきたいと思う私です。

旅行中には「何なの、それって。」ということもあったけれど、それはあまり書かない方かもしれませんね。

 

ああ、そう言えば確かにありましたよね~。「書かない方」と書いたら逆に、ちょっと「何なの、それって。」を思い出しちゃったかも。

ごく稀にトイレでちゃんと並べないヨーロッパ人のお姉ちゃんの事とかをね。

並んでいる隙を狙ってドアが開くと、横入りして入っちゃう若い女性。若くてピチピチの女性だったけれど、育ちが悪いんだなって感じてしまいましたよ。ああ、そうよ。品性が無いってこういうことを言うんじゃないのかしら。

 

それはさておき16日17日はシュラトンアタキョイホテルに二連泊しました。

風景がとっても素敵なホテルでした。

下の二枚目の画像に映り込んでいる宇宙人の目の様なものは、スマホカメラのレンズ部分です。私は窓越しに写真を撮るのが下手なんですよね。ガラス越しにぴったり付けて撮ると言うのが、なぜか苦手。

高い所が苦手なので、無意識にちょっと離れてしまうのかも知れません。

 

 

 

一日目はアンカラからブルサ経由でイスタンブールと移動の強行スケジュールで、これで中華と言えるのかという夕食も午後8時と遅く、それからホテルにやってきたのも更に遅い時間だったのです。窓の外の風景が素敵だなと思いつつ、荷物などを片付けてお洗濯などをしていたら夜も更けてしまったので寝てしまいました。それでも結構寝たのは遅い時間になってしまいました。

翌日の朝食。(7時半スタートだったかな。)

 

黄色く見えるあれは、蜂蜜べったりのハチの巣。トルコではどこに行っても蜂蜜三昧をしてきたように思います。

(この後は14日のイスタンブール観光。)

 

ついでなんで、下のはその翌日の15日の朝食です。(時系列が分かり辛い書き方になってしまいました。)流石にラストの方になって来ると、ビュッフェスタイルでも取り過ぎはなく、意外と少量。それでもトルコのホテルでの朝食は最後だったので、前日よりは多めにとったかも知れません。

この朝食の時点で、午前7時。朝は早く忙しかったと思いましたが、それでもここでの朝食は優雅な時間であったような気がします。

その前日はブルーモスクの後にオリエント急行駅舎レストランで夕食を頂いて、その後にホテルに戻ってきました。

ホテルのすぐ近くにはショッピングモールがあって、その中にスーパーがあったのです。

前日には行けなかった私たちは、疲れていてもいそいそと出掛けました。

 

そこの駐車場に居た猫。角度によって見える模様が違います。三毛猫ちゃん。私は思わずあんずさん(我が家の猫)を思い出してしまいました。可愛い猫でした。

 

 

スーパーでの写真はありませんが、ゴディバのチョコレートが滅茶苦茶安くて、それとメイド・イン・トルコのチョコレート、はちみつにビールなどなどを買い求めてきました。

私たちが欲しいものが見つからず(今となっては何だったか忘れてしまいました。ザクロソースかしら。)ウロウロとしていると、ひとりの若者が近づいて来て、

「私は日本が大好きです。」と言ってくれました。

(それを良いことに)探し物の事を質問する私たち。若者には分からなくて、するとスマホで検索してくれたのです。結局はそのお店では見つからなかったと思います。

親切で優しい人たちはたくさんいました。

だけど彼が出会った大好きな日本人が、私たちでなんだか悪かったナぁと、私はほんのちょっぴり思ってしまったのでした。

日本人が好きと近づいて来てくれた人に、日本のどんなところが好きなのかとか聞いてみたり、もっと好きでいてくれることに感謝の気持ちを伝えれば良かったと、今でも思うのです。

もちろん「ありがとう。」と何度も言ったし、お辞儀もしました。だけどそれはスーパーでの親切な行動に対してだったように思うのです。もっと大元の所からの感謝をしたかったと思いましたが、その時は頭がボンヤリ、足はパンパン、なんだかいつもうっかりですが、いつも以上に余裕のない人だったと思います。

 

レジの女性は愛想もなくて感じも悪かったです。早口で言われた金額を外国人である私が聞き取れないのは仕方がない事だと思うのだけれど、金額が表示されている所が高くて、チビの私には結構厳しい。そして尚且つ光ってしまって読みにくくて、どんなに目を細めても見えなかったのです。もう買い物にもシニアグラスは絶対に必要ねと思った次第。(悲しいわ~)

ただでさえまごついたのに、このレジの人が最初から不愛想だったのが、私の不愉快な気持ちを倍増させたように思いました。

 あらゆる場面で、マゴマゴする人がいるとその人をバカにするような目線で見る人が若干いて、そう言う場面にたまたま出会ってしまった時、それは対応できないあなたのレベルに問題があるのよって私は思う事が多いのです。これは自分がまごついた時の事を言っていないのです。なぜなら日本では会話と言う緩和剤があるからです。その緩和剤が上手く使えなくなってしまった人と、対応レベルが低い人。それのみじゃなくて、その対応者に今まで育ってきた中での人間性の構築の低さが加わると、時々傍から見ていても気分の悪い場面に出くわすこともあるのではないかと思います。

ここではまさに私はその緩和剤を失った人。だけど、明らかに外国人でマックス目が無くなるほど目を細めている私に、次の手段もない不愛想なレジの人。

「何なの、それ。」って私は思ってしまったので、支払いが遅くなってもうしわけありませんね~みたいな謙虚な気持ちなど湧き上がっても来ません。

そしてこのレジは買った品物をベルトコンベアで下の台に落とすタイプの物でした。日本にもありますよね。袋入れをレジ間近で行うやつ。それこそマゴマゴしているわけにはいかない台です。だけど日本では次の人は棒を真ん中に置き、ちゃんと品物が分かれるように流されるのです。

が、ここの人と言うか、この人は人の買った商品の上に次の人のを平気で流すので、本当に舌打ちしたいような気分になりました。本音を言えば「no!!」と叫んで、レジ指導をしたい衝動に駆られたくらいです。もちろんやりませんが・・・・。

よその国ですからね。

でもやっぱり、本当に教えてあげたかったです。棒を1本置いて、私の買った商品と次の人の商品を分けるなんでもない動作を。

 

長々書いていますが、確かに不愉快ではあったのですがそれは数分の出来事。

それよりも私、この数日間でガイドさんが言っていたトルコの女性の就業率とか、スカーフを街中で被っているのは、みんながやっているからという理由だけで自分の考えなどないなどと言う自国の女性を貶めるような発言とか、何かがフッと理解できたような気持ちになったのです。

ホテルでも、トルコ語で挨拶などすると、とろける様な笑顔を見せてくれた女性従業員たちも、だいたいはブスーッした顔で仕事をしていました。国際ホテルの真横にあって、様々な外国人が買い物に来るスーパーならば、それなりの対応力がある人が雇われてしかるべきなのに(日本人的発想では)、まったくそんな事もなく、言うなればいろんな意味で「これから」なんだと思ったのでした。

そう言えば、レジの私の前の前の人はインドの方々で、何やら集団で大変そうで手間取っていました。それもあって、レジの女性は最初から不機嫌だったかもしれませんね(日本だったら言い訳にはならないけれどね。お客様カードに書かれて叱られて終わりだ・・・・って、今人手不足なので叱られないかも。で、日本も接客が後退して、海外のお客様に『日本のサービス、思っていたのと違う。がっかりだ』なんてブログに書かれたりする日も近い…なんて事の無いように祈りたいですね。)

 

その数分間の出来事を除けば、はっきり言ってトルコスーパー体験は、親切な人との出会いありすれ違った人との微笑み交換あり、そして何よりもいろいろな面白いものに出会えてとっても楽しい時間だったのです。

レジでのことにしたって、私にとってはある意味学びの時間であったように思います。

 

カッパドキアの記事で、お酒を飲んだのはそこでのバーで一回だけと書いたのですが、それは過ちだったと思い出しました。トルコのビールは美味しかったかなと、買ってホテルで飲みました。

美味しかったです♡

 

 

 

 

 

 


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バザールでございます。その1

2019-10-06 02:00:56 | トルコ旅行記

 

「バザール」と言うと、「バザールでござーる」って言いたくなりませんか。でもそれは、ダメだろって事で、タイトルはささやかな抵抗でござーる。

「バザール&街歩き」のその1です。

6月14日には「エジプシャンバザール」に行きました。

と言ってもほとんど写真が無いのですよね。

 

星子さんの写真はどうだったかしら・・・・・

中はこんな感じです。

H 

私が映っている部分を切ったり星子さんが映っている部分を切ったりで、かろうじて中の雰囲気を載せてみました。

 

お土産の半分以上をここで私は買ったんです。

これを買うと決めていたものもあって、ラストの日にそれをやると、かなりの量を空港でカバンを開けて入れなくてはいけなくなるのが分かっていたので、まさか空港で整理整頓までは出来ないし、前日に出来るだけ買っておこうと決めていたのです。

そして相変わらず、こういう本当に主婦が買い物をしたい場所では、メチャクチャ時間が無いのです。写真が無いのも、それが理由なんです。

 

その日の午前中、

このような所で最初に写真タイムを取ってもらって、その後歩いて移動し、路面電車に乗ってエジプシャンバザールまで行ったのでした。

 

先にお買い物をして、それからランチ。

トップのエジプシャンバザールの写真を、11時16分に撮って、下のお食事の写真が12時38分。

男の人は首を傾げるかもしれないけれど、女の人は分かると思う !

このガイドさん、男だから、こういう所(お買い物の時間配分)が、はっきり言ってダメダメだと思うの、私。

時間が無いものだから、彼が勧めたマロングラッセ屋さんはワイノワイノと大混雑。皆さん、ここではあまり楽しいお買い物が出来たと言えるかどうかってところだと思います。

文句を言ったけれど、私たちは彼が安心と勧めてくれたお店で脱兎のごとく買い物をし、まあまあ予定通りという感じになったのは良かったです。

 

で、お食事の写真です。

 

このお料理の事は、よく覚えています。変わった形のハンバーグ。「キョフテ」と言うらしい・・・・。

しかし、これを食べたお店がどんなところだったのか、まったく思い出せないと言うのはどうしたことかしら。

 

うーんうーんうーん

あっ!!

ああ、あそこだわ、確か。

少し狭い同じ部屋に関西系の日本のツアーの人たちとご一緒になったのです。そのツアーの若い添乗員さんは、次の予定をテキパキと語ると、ツアーの人たちのテーブルにどうぞお使いくださいと、日本から持参した調味料などを置いて行ったのです。

席が近かったので(狭いから)そのお仕事ぶりが目に入り思わず感心してしまいました。

すると星子さんが言いました。

「関西では、あのレベルでやらないと苦情が来るらしいよ。」

ふーん、なるほど~と思ったりもしました。そう言う事って確かにありますよね。

 

君の事は覚えているよー。ニャンコはいつだって天下御免だよね。

 

 下の画像は食事する前の移動時間に撮ったものなんです。

この写真、単なる町の風景を写したものかと思っていました。

 

二人のイケメン少年を写していたのかしら  ?

そして私は、これらの写真を見て、ようやく思い出したのでした。

これは近づいて来る救急車を待ち構えて撮っていたのですね。

イスタンブールは人のざわめきと喧騒の街でした。

あの空と大地と岩と草原ばかりの日々は、すでに遠い過去になりつつあったのでした。

 

この日はここを後にして、トプカプ宮殿→ブルーモスク→オリエント急行の順に進みました。

 


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オリエント急行☆イスタンブール

2019-10-04 01:34:57 | トルコ旅行記

濃密なトプカプ宮殿の後、ブルーモスクではもう私はクタクタ。でもその後、私は復活しました。

夕飯の時間になったからです。

いやいやいや、「夕飯」だからの復活ではありませんよ!

お食事のために訪れる場所に反応して、シャキーンとなったのです。

 

だってだって「オリエント急行」ですよ。

キャー、キャー、キャーてなもんじゃないですか。

でもこの「オリエント急行」の旧駅舎のレストランって、トルコツアーの団体さんが良く定番の場所みたいな感じなんですね。言うなれば

「横川に行くなら『峠の釜めし』よね。」という場所なんじゃないかと思います (^_^;)

でも良いのですよ。例え、イスタンブールの『峠の釜めし』でも、私にとっては「オリエント急行」なんですから♡

 

それにね、私が「トルコ旅行記」を書いていると知っていて、

「あー、はいはい。旅行記ね。長く書いてるね。」と思われている方もいらっしゃるのではないかと思います。だけど、これはそのような方の中にも、ほんのちょっぴり「いいな~」と思ってくれる方もいるのではないかしらと思います。

 

 

そして中は、私のような人のためなのか写真がいっぱいです。

 

雰囲気もイイ感じです。車掌さんの帽子をかぶっての接客です。

他のお部屋。

 

そして元ホームかしら。

 

ここの端まで行ってぐるっと回ると、本当の駅があります。そこがなんという駅かは、ちょっと自由行動が過ぎるかと思って行かなかったのですが、金網にへばりついて電車は撮りました。トルコではごくごく稀にしか電車は見る事が出来ません。これは何処に行く電車なのかしら。

 

そしてそこに居た黒猫。オリエント急行のホームには、こんな黒猫が似合うと思いませんか。

(そうなんです。「ツキヨの黒猫」に載せた猫はイスタンブールの猫だったのです。)

待合室。

 

トイレの前もこんな感じで見えなくしています。

 

ホーム側にあった看板。もちろんこの横には、ニコニコの私が映っているのですが、撮ってくれた人が、

「手前の花にピントが合っちゃうわ。」と言っていたのです。下の画像の手前には、切り落としてしまいましたが花が飾ってあったのです。

そんな事ないでしょうと思って「大丈夫よ。」とか言っていましたが、撮ってくれたものを見てみたら、確かに花にピントが合っていました。この時、わずかな時間でしたが星子さんとはぐれていたのです。

今の時代、写真なんか誰が撮ってもある程度同じだと思っていましたが、そうとは言えないのだなとしみじみと思いました。

 

帰る時に、またお名残り惜しくてパチリと撮りました。

 

ええと。

なんか忘れているような・・・・・。

ああ、お食事でしたね。

 

           

 

ギュベッジと言う名前の煮込み料理らしいです。

 

明日は「イスタンブール」街歩きの予定です。

あっ、そうそう。今時は「イスタンブル」の表記が正しいらしいです。

でも私、「イスタンブール」の方が好きなので、このままいくとにしました。

コメント (8)
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ハレムの后妃たち

2019-09-26 00:36:50 | トルコ旅行記

はい !

分かっております。もうタイルの壁は見飽きたと言うのは。

だけど写真を撮りすぎて、余っていたものですからついつい載せっちゃった!

やっぱり綺麗だわ~♡

だけど私もそろそろ飽きてきました。というのは、ハレムの后妃たちの事を、夜な夜な読んでいることにです。飽きたと言いながら、更に嵌って、アレを読みだしたりコレを見出したりしかねない。そう言うのは先送りにして「後の楽しみ」にしたいところです。アレとコレについては、後程書きますね。「読む」「見る」で、すでにハハーンと分かってしまった方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

「トルコ旅行記」番外編です !!

 

トルコの至宝展と5月の東京散歩」の記事は「トルコ至宝展」に行った時のものですが、ハレムについての説明で、そこに集められた女性たちは奴隷狩りで集められたり海賊に拉致されて、やはり奴隷として売られて入って来たものも多かったとあったと思うのですが、その時、私はその事を知っていた事に気が付きました。

そして思い出したのです。

いつ頃だったかは不明ですが、海賊に囚われて奴隷としてハレムに売られながら、ハレムの中でスルタンに愛されて絶大な権力を握って行く少女の物語を。

海賊に拉致。奴隷と売られる良家の少女。しかもハレムに。

かなり衝撃的な物語ではないですか。

最初私はこの少女の事を、「ロクセラーナ」つまりヒュッレムの事ですが、その女性だと思ってしまいました。なぜなら、彼女をモデルにした漫画も存在しているからです。

 

夢の雫、黄金の鳥籠(1) (フラワーコミックスα)
篠原千絵

小学館

夢の雫、黄金の鳥籠 コミック 1-12巻セット
クリエーター情報なし
メーカー情報なし

 

またも篠原千絵さんの作品です。

またもと言うのは、「赤い川のほとりで」で紹介した「天は赤い河のほとり」も彼女の作品だからなのです。もう彼女はトルコのスペシャリストなんですね。

いつか読まねばと本当に思い始めています。

 

ヒュッレムは1502から1504年ごろから1558年の人で、スレイマン1世の皇后です。

彼女はスレイマンに、それまでのハレムの慣習を次々と破らせ奴隷から一夫一妻の妻となり、ハレムの頂点に上り詰めた人なのです。ハレムの慣習と言うのは、男子一人を出産したら、本来ならば二人目を孕む事はなくスルタンから遠ざけられることが普通だったのです。それを彼女は長男を出産した後も傍に居続けて、6人もの子供を儲けました。

そしてライバルたちとの攻防に勝ちそれらを退けて、唯一の妻となったのでした。

400人もの、または多い時には1000人とも言われたハレムの中において、それが如何に熾烈な女の戦であったのか、乏しい想像力でも分かると言うものです。

私は、「壁・天井・窓、トプカプ宮殿のハレム」の中で、共鳴は出来なくても、ある視点に置いてみれば、理に適っている部分もあるし、こういうシステムになって行ったのはそれなりの理由があったのではないかと思ったと書きました。

ある視点と言うのは、もう本当に女性の人権なんかまったくない腹立たしい視点ではありますが、優秀なスルタンの後継と政治と言う視点です。

だいたい日本の大奥もですが、宮中もそして中国の後宮も、正妻などは、皆実家の家柄は大事ですよね。そして外戚はたいがい力を誇って行くのが常の様な気がします。最初からそれを狙って、平安の貴族たちは娘を持つことは非常に大事な事だったと思います。簡単に思いつくところで言えば、藤原道長や平清盛など。

だけどオスマントルコの女性たちのほとんどはもとは奴隷です。

外戚のわずわらしさがありません。

そして家柄を重んじるあまり、血縁に近いもの同士の婚姻などを繰り返す事もないのです。美しくて、そして多くの女性たちの中からのし上がっていくような能力のあるものが、王子の母になって行くわけですから、優秀な遺伝子の確保という事になって行ったと思うのです。

また男子一人の出産というのも、ある時代まで後継者が決まると異母兄弟は処刑されたと言うのですから、同じ母で兄弟であると言うのは非常に厳しいものがあったと思います。結局は次の後継の者の母だけが勝ったと言えるのだと思います。だけどそれも、スルタンの母としてそれなりの扱いを受けるだけ。

あー、やだやだ。それなら庶民の方がよっぽど幸せじゃないと思っても、彼女たちはここに売られたり、献上されたりした人が多く、それゆえそこで生きていくしか選択肢がなかったのでした。

これでは完全なる「腹は借り物」の状態だったのだと思いました。でもだからこそ、このような状態だったら中国の西太后の様な後宮政治にはならないはずでした。

だけれども、歴史にしても人の生きていく道にしても、激流の川が流れていく如く、堰き止めても堰き止めても、溢れた川の水は必ず流れていく道を見つけるが如くですね。スルタンたちが相手にしたのは、綺麗なお人形ではなかったわけですから、ヒュッレムはオスマン帝国の後宮政治(女人天下)の幕を開けたと評されているのです。

(ちょっと、『ざまあみろ』ってな気持ちにもなりますよね。)

 

そしてまた、彼女の物語はトルコ発信のドラマでも見る事が出来るのですね。

「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」。世界の約8億人が見たそうですよ。日本でもチャンネル銀河で第四シリーズが始まるそうです。

トルコ版大奥とか言われていますが、それじゃあ、人気があるのも頷けますね。

 

ところがこのヒロイン、あらすじやその他の諸々を読んでみたら、海賊に拉致されてと言うわけではなかったのでした。

私の読んだのは誰がモデルだったのかしら・・・・と検索しても出てきません。

ネットも万能と言うわけでは無いのですね。

もしかしたら漫画ではなかったのかも知れません。

 

それでも怪しいなと思っているのは「エイメ・デュ・ビュク・ド・リヴェリ」。名家の姫君でナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌの従妹だった人。こちらはほとんど伝説のようになっているお話ですが、それも本当に面白いです。

または、「海賊に拉致された」と言う点において、「サフィエ・スルタン」だったのでしょうか。

 

どちらの方でも波乱万丈を地で行く人生。だけどちょっと(かなり)怖い人生の終わりでもあるのです。

 

ひとつ歩めば、そこから興味の輪が広がって、また「見たい・知りたい」の欲望の連鎖が起きる事は、むしろ大事な事なのではないでしょうか。

 

いつかまた、関連したドラマや書物(漫画を含めて)などを読む日は来ると、私は思っています。今の時点ではそれは「後の楽しみ」ではありますが、そのフォルダーにそれらを放り込んでいくこと自体も、今の楽しみかもしれません。

 

えっ?

やたら放り込んでどうするのと、おっしゃいますか。

大丈夫です。放り込んで放置ではありません。

今日も・・・・と、昨日でしたね、もう。

昨日も、そのフォルダーから一つ取りだして実践してきました。それは次の次の記事に書く予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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トプカプ宮殿のささやかな触れ合い

2019-09-24 12:25:52 | トルコ旅行記

※ 昨日の朝早く、30日に会う約束をしていた友人から骨折したと言う旨の電話を頂いて、なんだか何もしていないのに疲れてしまった私です。祭日であっても夕方からの短いバイトはあって、夜は「監察医朝顔」の最終回を観ました。「~願う~願う~♪」と言う絶妙のタイミングの音楽と共に泣きました。

なんでもない日常、それこそが宝。そんな想いを感じながら、今日も一日、それなりに頑張りたいと思います。

 

というわけで、「壁・天井・窓、トプカプ宮殿のハレム」の続きです。

トップ画像は、「愛妾のテラス」と呼ばれている所から見た風景だと思います。

「思います。」という怪しげな書き方は如何なものかと思うのですが、この時点ではツアーは自由行動で、この場所の正式な名称を聞いた記憶がなかったからです。「割礼の部屋」の説明はあったけれど、そこの前でもやっぱりタイルの前で二人でニコニコと写真を撮っていました。

正直なことを言ってしまうと、忘れてしまったからではなく、最初から自分が何の部屋を見ているのか、あまり意識がなかったみたいです。お風呂だとかは流石に分かりますが、前のページのトップ画像が「団らんの間」であることを、先ほど知ったくらいです。ガイドさんはそのくらい言ったのではないかと思いますが、すぐに抜けてしまったのですね。ここが何々の間と言うのは、私にはあまり意味のない事ですから。(ゆえに全くガイド的な記事は書けません。)

それでもブログ記事を書くのに、もう少しちゃんとしたものをと思って、かなり検索し直しました。それで分かった事は、やはり多くの見逃しがあるなと言う所かもしれません。

「見る」と言う事においては、かなり十分な量ではあるのですが、他の方の見事なガイド的なブログ記事などを読み、その場所は「抜けたな」と思うと、ちょっと残念な気持ちになったりもするのです。それは欲望は果てしないものと言う事なのでしょうか。

「トプカプ宮殿」は結構広いのです。迷う人もいるとかと言う文をどこかで見かけました。だけどツアーは途中で写真を撮ったり、かなり列はダラダラとマイペースで進んではいましたが、イヤホンガイドが聞こえる範疇に居るので、迷う人など居ないと思っていました。

が、ハレムを出て、いったんの集合をした時に、誰かが

「迷っている人がいると思う。」と告げたのです。

確かにひとりいませんでした。ガイドさんが慌てて探しに行き、ちょっとした時間が経過した後に、「すみません。」と恐縮しながら、その方が戻って来たのです。

その方に悪いので、聞きはしなかったのですが、どうして迷ってしまったのだろうかと不思議に思いました。

推理するに、一度庭園に出た時に、興味のある方向に歩を進めてしまったのかも知れないと思いました。

もしくは途中で一人でトイレに行ったとか。

だけど私が更に不思議に感じたのは、「迷っている人がいる。」と告げる事が出来た人がいた事なのです。

集まった後に数を数えて、足りないと分かった後に出た発言なら分かります。

だけどそうではなかったのです。

きっとその人は(これも単なる推理ですが)、違う方向に行くその人の背中を見て、気になっていたのではないでしょうか。すぐに戻って来て、ここに同じように集合するのであれば良いわけで、先には注意もし辛いものもあったでしょう。

結局誰にも確認もしなかったので、真相は分からないままです。ただ私は、このツアーはなかなか良いメンバーに恵まれたなと思ったのでした。

 

その後、わずかな自由時間になりました。

私と星子さんは、トップ画像の海を背景に写真をお互いに撮っていました。

そこに賑やかで華やかな四人組の女性がやって来ました。意外と写真を撮る事を頼まれたりします。安心な人と言う顔をしているからだと思いますが、自分から「撮りましょうか。」と言う事も多いです。たぶん元々おせっかい気質なのでしょう。この時はどっちだったのかは忘れてしまいました。なんたって6月の事ですから、そこまでの細かい事は覚えてはいないのです。だけど撮って差し上げれば、こちらも写していただけると言うものです。この場所での二人の写真は、この四人組の方に撮ってもらったのでした。

「違うツアーの方ですね。」と言うと、

「妹がトルコに住んでいるので、友達を誘って妹に案内してもらいながらの個人旅行です。」と答えてくれました。四人組の中の二人は姉妹だったのです。

「まあ、羨ましい。」と私は本当に素直に言ってしまいました。

「楽しい旅でありますように。」と、お互いの旅にエールを送りあって別れました。

 

 

 

向こうの壁の中が、「割礼の間」だったと思います。いろいろ工事中です。

 

そして外側の写真を撮り忘れましたが、「バクダードのキョシュキュ」。↓

 

 

 

 

やっぱりまた壁に魅せられて、壁と窓ばかりを撮ってしまいました。だけどこの部屋は見張りと言うか警備の方がいました。その方に写真を撮って欲しいと頼むと、爽やかに快く引き受けてくれたばかりではなく、カメラに他の人が入らないようにと周りの人に頼んでくれて、二人だけの写真を撮ってくれたのです。他の人に言えるのは、やはりこの人だからだと思います。

とっても嬉しい想い出の写真になりました。星子さんと二人なので、このブログには載せられませんが、上手く撮れていました♪

出る時に、先ほどの四人組が入ってきました。

こっそりと、「あの方に写真を撮ってもらうと良いわよ。」と小声で伝えておきました。

「陶磁磁器の展示室」前。中には厨房の道具や、日本の陶器などの展示もあります。

薔薇の季節のトルコでした。

以下星子さんが写した画像です。

【正義の塔】

そして


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壁・天井・窓、トプカプ宮殿のハレム

2019-09-23 15:48:46 | トルコ旅行記

※ この三連休はお彼岸のお墓参りをすっかり忘れて、映画に行きました(『引っ越し大名』、面白かった~!!! )。ほとんど欠席無しの墓参りだったのに、ちょっと残念だし心残り。その前日に姑の家を訪れたと言うのに何も言わなかったのは、彼女たちも忘れていたからに違いないと思われます。そして急に思い立った朝、お電話を頂いてもねえ。いつもこんな風にぶんぶん振り回されてきた何十年・・・・・・。まっ、良いか、って事で。そして夜は、「前畑、頑張れ!」でしたね。

 

それでも私は「トルコ旅行記」の続きを書く事にします。

 

ひとつ前に書いた「ブルーモスク ♪」は夕方4時半ごろの訪問で、そうとう疲れていたと言ったのですが、なぜかと言えば、その前に訪れた「トプカプ宮殿」が、私にとってなかなかの見応えがあって、かなり私と言う器が埋まっていたからです。

ごく稀に美術館のはしごなどをすることがありますが、私的には、あれも相当ヨロヨロとしますよ。

そのような感じのヨロヨロだと思っていただければと思います。

 

今年の5月の「トルコの至宝展と5月の東京散歩」は、もちろん「トルコ至宝展」に行った記事ですが、あまり内容の感想には触れていないのです。それはその時はトルコに旅行に行く事は決まっていた事なので、あえて書かなかったのですが、それでもその中で

『>スルタンにハレム。

いろいろなロマンを感じるし、立身出世は自分の才覚によってと言う所にも魅力は感じるのですが、まずは奴隷からと言うのも疲れる世界だななんて思ってみたり・・・・。』

と書き込んだのは、やはり印象が深かったからなのでした。

本当は昨日、この記事をアップしようかと思っていました。だけどついついハレムの后妃たちの事をネットで検索し、読んでいたら真夜中になってしまったので止めたのでした。

オスマントルコのスルタンたちは、本来は結婚をしません。ハレムで多妻で子を儲けるのは後継の子供を得て育てる為ですが、また本来は、女性は一人の男子を儲けたらその子と引き離され、二人目を孕む事は無いらしいのです。そして更に恐ろしい事に、後継者のスルタンが決まると、ある時代までその他の兄弟たちは殺されたのです。

それでは後継争いに命がけで必死になるのは当たり前です。また腹は借り物を地でいっているのですよね。

それでも私はちょっと、ある視点で見ると、理に適っている部分もあるし、こういうシステムになって行ったのはそれなりの理由があったのではないかと思ったのです。もちろん共鳴なんてしないですよ。アナおそろしや。

「トルコ至宝展」ではその中で、寵愛され一夫一妻制を貫き、結婚もした后妃の事が紹介されていました。

そして私の記憶の中にも・・・・・・。

しかしこの話を延々としていると、この記事の本文にたどり着きませんので、別記事にて書かせてくださいね。

 

要するに、「トプカプ宮殿」のハレムに行く事は、私の中ではメチャクチャに楽しみにしていた場所だったのです。愛と陰謀、血と殺戮、女たちの野望と悲しみ、そんな過去の空間を歩くのかとワクワクしていたのでした。

ところがです。

いざ行ってみると、私の中でそのような想いは微塵も湧き起って来なかったのです。

なんと言うか・・・・・

壁・天井・窓が美し過ぎて。

そして「壁・天井・窓」ばかりをこんなに写真に撮った事は、かつて無かったのではないでしょうか。

 

 

 

 

【挨拶の門】です。

 【帝王の門】

 

実はすぐ傍にアヤソフィアがあるのです。なんだかそんなに混んでないんじゃない?

まあ、くだらない場所に時間を使ってるからな、このツアーは。←心の声

 

 

そして天井

天井

 天井

下の絵は「トルコ至宝展」でも見た気がするのですが・・・・・。

本当に綺麗です。色が鮮やか。

よく見ると、鳥さんが巣を作ってました。

こんな通路を歩く時、ちょっとだけいにしえのオスマントルコの女性になったような気持ちになってみました。

家族のためのお風呂。

ボケちゃったのですが、トップの画像を大きく撮ってみました。

そして何百年も敷きっぱなしの、トルコ自慢の絨毯。

そしてまた、壁・天井・窓です。

確かに、考えてみると、どこかの国の宮殿のようにゴージャスな調度品が置いてあるわけではないのですよね。それでも女性たちがひしめき、スルタンをもてなす為のハレムは、そこに存在しているだけで美しさを肌で感じる場所でなければだめだったと思います。このトルコ自慢のタイルたちはその空間を見事に作り出していたのではないでしょうか。

この宮殿の記事はもう一つだけ、あっ、ハレムの后妃の話を入れたら二つかしら、とにかく続きます。^^


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ブルーモスク ♪

2019-09-22 00:31:35 | トルコ旅行記

※ トルコ旅行記、また再開します。

「イスタンブール」まで来たので、なんとなく安心しちゃって、しばらく放置していましたが、やっぱりこれを終わらせていかないと落ち着かないような気もしますね。

6月14日は朝からイスタンブール観光でした。

ここで有名なモスクと言ったら、「アヤソフィア」か「ブルーモスク」だと思います。だけど、「アヤソフィア」は遠くから見ただけ。不満に感じたツアーのメンバーもいたみたいです。内部の見応えが違うらしいのですよね。だけれど今は一部修復中らしいし、何しろ入場チケットを買うのにかなり並ぶらしいので、ガイドさんは外したのではないかしら。

今回のガイドさんは、けっこうなベテランさんで評判も良い人らしく、ところどころで私もそれを感じました。

例えば、午後から来ると逆光で上手く撮れないからと、午前中に一回写真の為に下車して写真を撮らせてくれたりした場所もあったのです。今時の観光客の要求、ちょっと分かってる感じですよね。

だけどこういう説明はしない方かも。こういうって言うのは、ブルーモスクは「スルタンアフメト・モスク」が正式名称だと言う事など。もしかしたらイヤホンガイドのイヤホンが外れた時の一瞬、それを言ったのだろうか・・・・・早口で・・・

毎度お世話になっているwikipedia様で、ちょっと復習しておきました。

1609年から1616年の7年の歳月をかけて建てられたー。

6本のミナレットと直径27.5mの大ドームを持っているー。

内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれるー。

(って、コピペじゃない (^_^;))

設計者の名前は、絶対に忘れてしまうと思うので、良いかな…といういい加減な復習でした(^_^;)(^_^;)

 

だけどそこに書かれている通り、内部は本当に美しかったですよ~♪

トルコはまさにタイル・絨毯の国。ステンドグラスも美しかったです。

以下は主に写真日記。

 

 

 

 

 

 

最後に名残り惜しく感じてパチリ。↓

 

イスタンブール観光の最初の記事に、ここを選んで書いてしまいましたが、本当はここは夕方の4時ごろに訪れて、タイルなどに感激しながら、またはしゃいでお互いの写真を撮りあったりしたのですが、ここに来る前のトプカプ宮殿での観光もあって、結構疲れていたのです。

今ここでブログを書くために見直さなければ、言葉だけの「結構綺麗だったわ。」程度の記憶しか残っていなかったように思います。

保険ではないけれど「見直し」大事ですね^^

 


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マルマラ海を見ながらイスタンブールに入る

2019-08-28 01:13:14 | トルコ旅行記

何処のタイミングで言ったのだったかは忘れてしまいましたが、私が

「この海は(黒海と言うわけじゃないのよね。じゃあ)なんと言う名前なのかな。」と呟くように言ったら、星子さんが不思議そうな顔をして

「マルマラ海じゃないの・・・・。」と言いました。

 

誰かが私に山陽新幹線から見える海を見て、あの海は何だろうと言われたら、「えっ、瀬戸内海じゃないの。」と言ってしまうようなそんな感じでです。

佐倉プチ旅行 その2」と言う記事の中で言った、

『私の「知らない」が誰かにとっては「知っていて当たり前」の世界。・・・・・・・・・トルコの旅行中にも同じような事がありました。』とは、この事だったのです。

 

もともと地理がそんなに得意でもなく、世界に目も向いてなかった私は、その時まで「マルマラ海」と言う名前を知らなかったのでした。

いや、これ、知っている人は知ってるとは思うのですが、知らない人だって山のようにいるんじゃないかしら…と、またも意識の中でみんなを巻き込む私。(^_^;)

だけど家に帰ってから地図を開きました。

フムフム。

ついでに

ギリシャの横はエーゲ海でしょ。イタリアの横はアドリア海よね。そこまでは知っるな。

ローマのこっち側の海はティレニア海って言うのか~。知らなかったなあ。みんな地中海って言っていればいいのかと思ってたかも。

黒海の上の内海は、アドフ海。へぇ。(すぐに忘れちゃいそう^^)

地図は見出すと、ヤバイほど限りが無いですね。

 

しかしトルコ旅行の今までのほとんどが、空と大地と草原と岩だったので、この海の風景は本当に新鮮に感じましたし、嬉しかったです ♪

 

 

来ました!!!

イスタンブール。

旧市街地の壁です。

その壁が一番綺麗に撮れるところと、バスで連れて行ってくれたのがここですね。

人がいるバージョンと、

居ないバージョン。

面白い壁発見 !!

こちらも人が混ざっているバージョンと、

人がいないもの。

どちらが好きですか。私は意外と人が入っていたりする方が、好きな時もあるのですよ。

そしてその後この日の夕食にありついたのでした。

中華でしたが、

いろいろと美味しいものもありました。

(まあまあ満足♪)

しかし、チャイニーズがこれを食べたらどう思うのかしら・・・・

って、階下に居ましたね、その人たち。

感想を聞いてみたかったです。

日本人軍団の結論は、

少なくとも、これは炒飯ではないなと言う事に・・・(^_^;)

 

と言うわけでとうとうイスタンブール観光の始まりですが、また少し違う事を織り交ぜて進む事にします。

いつ終わるの、この旅行記?

まぁ、秋までには終わると思うから・・・・?

コメント (2)
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イェシル・ウル、二つのジャーミィとコザ・ハン

2019-08-27 00:33:57 | トルコ旅行記

ジャーミィとはモスクの事です。世界遺産であるブルサには、たくさんのジャーミィがあるみたいですが、その中で見るべきジャーミィと言ったら、ここ「イェシルジャーミィ」と「ウルジャーミィ」らしいですね。

イェシルとは緑と言う意味で「緑のジャーミィ」。

 

その名に相応しく、美しい緑色のタイルが出迎えてくれました。

ここでも靴を脱いで、スカーフ着用です。

  

ブルサはオスマン帝国の初期の都だったのですね。

壁や天井が本当に美しくて、惚れ惚れと見とれました。

  

 

上の噴水(清める為の水)の所の水が出ている所を見たかったです。

下の人々は何をしているのかって言うと、

やはり、入り口の美しい天井の写真を撮っていたのです。

ここは、イェシルジャーミィの近くにある、イェシル・テュルベです。

テュルベとは霊廟の意味でメフメット1世とその家族の棺が置いてあります。もちろんその棺の中で眠っているのではなく、地下で眠っているのですが。

この中も本当に綺麗なタイルの壁面に圧倒されました。

 

H 

 

 

 そしてほんの少し、バスに乗って移動して訪れたのは、ウル・ジャーミィでした。

ここ、外観の写真が二人揃ってありません。ここの外観は、普通のモスク(ジャーミィ)とは異なる趣で、なかなか面白いのですよ。興味のある方は検索してください。なんで写真がないのかなと思っていましたが、いろいろと検索していたら、その時の事を思い出してきました。

この日は本当に移動に時間がかかり、お昼も2時半スタートだったじゃないですか。

中に入って、外に出たらもう次のバザールに移動だったのです。だけどそれはこのウルの隣にあって、ガイドさんが、そこまで案内したら時間まで自由行動だと言うので、また戻って来て写真を撮ればいいやと安易に思ったのでした。はっきり言ってとんでもない事でした。

すべてが時間不足だったのです。

だけど、その時の私に「見るべきものを見なければ」と言う強い気持ちがあったかどうか疑問です。

大きいモスクで入り口から人が多く、ここはブルサで一番の有名な所なんですって。

ずっと空と大地と岩ばかり見てきたものですから、いきなり人間が多い世界に舞い戻って来て、疲れが出始めてしまったかもしれません。

 

中には美しいカリグラフィーがいっぱいです。

 

 

 

そしてウル・ジャーミィの近くのバザール、コザ・ハン。シルクのバザールなんです。

安かったのですよね~。でもスカーフを今はいらないものだから、それは買わなかったのですが、ここではくずマロングラッセを買ったのですよ。それが意外とサクセスな買い物で、家に帰ってからあっという間に使ってしまったのです。

ここも本当に時間が無くて、ほんの少々の雰囲気を楽しんだと言う感じでした。

 

 

  

それでもその雰囲気がとっても素敵で、本当は満喫したかったです。

だけど仕方がない事です。この場所ではトイレ休憩も含めて40分もなかったと思います。そしてその後およそ2時間半かけてイスタンブールの夕食を頂くためのレストランに向かわなくてはならなかったのですから。

ブルサからイスタンブールまでは、まだ160㎞、あったのです。


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