今体力ないので、ちょっと動いてもフウフウゼイゼイ言っていますが、そんな私でもやるべき事はやっているのです。
今日は衣替え。
やるべき事はやっているなんて偉そうな事を言っていても、既に衣替えは自分の分だけをやれば良い時代になってしまいました。夫の服は衣替えしなくても良いようになっているのですが、私の分はまだ夫と同じようにはなっていないのです。近いうちにしたいなとは思っているのですが、なかなかね。やっぱり普段着といっても枚数が多いし、みんな入る引き出しを手に入れるには、狭い家の工夫がさらに必要なわけなのです。こうなってくると息子たち早く出てお行きとか言いたくもなるけれど、まだ当分先になりそうです。
この数年、衣替えのたびに服を結構捨ててきました。だから今年はもうないかなと思ったけれど、シーズンの初めに少々買い足したので、その分だけでも処分しようと思ったら、結構ありました。
13枚。まあ、 買い足した分よりは多かったので、その分空間も空いたはずです。
今のこの先の計画では、お勤めに行くなんて事はもうないと思うので、お堅めのスカートは皆処分の対象になりました。服は着るシーンを思い巡らして、生活が変わったら、そこで処分していく必要があるなと思いました。
今、流行っているものの捨て方の基準は、いるか要らないかじゃなくて、手にとってそれでときめくかときめかないかなんですってね。
でもこれって、その時の気分に結構左右されるような気がしました。
衣替えって、結構好きな行事です。
だって、こんな服もあったのかとか、トキメク気持ち一杯になれる事が多いからです。でもまずい事に、今年全くときめきません。
なんだってこんなにハイネックの色違いのTシャツばっかりあるのとか、あんなチュニックこんなチュニックと入れ替えていて疲れてしまいました。凝り性で同じパターンが好きなのかも。それともこの「ときめき」と言うのは、生活充実と連動しているんじゃないかしら。
今、なんとなく元気がないから、いろいろなシーンを思い浮かべる事ができなくて、服一枚を手にとっても、全くもって感慨もなし。このときめき基準でいったら、タンスの中は偉くスッキリするけれど、明日から困る事間違いなしです。
これ別に、その発想への批判じゃないですよ。今の私の現実を書いただけ。
大切なのは、心がちゃんと動く生活をすることなんだと思います。
だいたい普通、家中を片付けようと思っている人は、ちゃんと心の動く人なのだよね。
だけどあの震災後には、多くの人が物との付き合い方を考えたのではないかしら。
終わってしまったドラマ、「おひさま」の中でも迫ってくる火事から逃れる為に、夫の和さんが
「本当に必要なものだけもって逃げるんだ。」と言うシーンがあって、凄く考えさせられました。ちょっとだけは時間がある。その時人は何を持ち出すんだろうかと。
財産的なものの確保はともかく、その後何を袋に詰めるのかしら。
ドラマでは陽子が棚に飾ってあった写真楯をさっと仕舞っている印象的なシーンだったのです。
服も日頃から自分にとって必要なものを自覚していることが大切で、いざとなって持ち出すものが最低限の大事な服なのかもと思ったりもしてしまうのです。だからと言って何でも二枚ずつあれば良いんだという極論ではないですが、やっぱり徐々に枚数はこれからも減らしていこうと思った今日この頃なのでした。
そうそう、これからの私の生活シーンは家で仕事と言う事もあるけれど、しばらくは本当に家でのんびりしたいので、おウチファッションに気合を入れようかなと思います。
家にいてもダラリンファッションはナシにして、白いブラウスなんかで決めちゃおうかななんて思ってみたり・・・
あっ、今ちょっと、あのブラウスにトキメイタ♪