一つ前の記事「その時、心がキリリと鳴った」で、
「ほんのちょっと先を生きている人たち、つまり今の視点で考えると大した歳の差はなかったのに、先に大人になっている人たち」と言う言葉を使いました。
この人達のことは、中学生の私には、本当に大人に見えました。
大人として尊敬もして傾倒もし、時には愛を感じていました。
吉田拓郎氏などはその一人ですが、この時代、もう一人、私が心から大切に思っていた人がいるのです。
その人の名は北山修。
私の彼への想い出はまた別の機会に話させていただくことにしますが、彼のエッセイなどには大いなる影響を受けました。
※ ※ ※
ある年の中学の文化祭、ラストは体育館でフィナーレを迎えたように記憶しています。その時実行委員だった生徒会の役員の人たちが、ある歌の歌詞を配りました。
それがこの「戦争を知らない子供たち」だったのです。
私はこの歌詞を読んで、ちょっと小さくですがドキドキしました。
学校でこの歌を歌っていいのだろうかと思ったのです。
でも先生たちはニコニコしています。うちの学校の先生は、生徒の自主性や自由な雰囲気を大切にしてくれるいい先生たちなんだなと思いました。
と、書いたら、何でこの歌詞でそんな風に思うのか、今の時代で思えば不思議な事だと思います。
でも、この歌は紛れもない反戦歌であり、また大人に対してへの若者側からの挑戦状のようなものだったと思うのです。
堂々と大人たちの前で大合唱をしていいものかと思ってしまったというわけです。でもそれはほんの数秒・・・
その時の生徒会の人たちは、私から言わせれば中学校の中ではシンクタンク集団で、加えて気骨のある人たちだったように思います。意思を持って、この歌をフィナーレ曲に選んだように思いました。
このように書き込んでも・・・
この歌のどこが若者からの挑戦状なんだと、やっぱり不思議に思われてしまうかも知れませんね。
かつては男性の髪の長さとか、早すぎる恋愛とか、はっきりと意見をいう人とか、
ほんっとうううに,いちいちいちいちいちいち、レッテルを貼られる時代だったのですよ。
と、分かりやすいように過激に書いておきました。
その時初めてこの歌を聞いた時に、良い歌だなあと思いました。
私たちは何回も歌い、盛り上がりも最高潮を向かえ、文化祭は終わりを迎えたように思います。
私的には素敵な思い出です。
ただ大人になるに連れて・・・、というか時代の変化とともに、なぜだか非常に甘っちょろい歌のようにも感じてしまったのも、実は本音です。歌謡曲っぽいというか・・・・。
「・・・」のだんだん多い文章になって来ましたが、まあ微妙にぼやかしたい気持ちの現われなのかも知れません。
だからこの歌を、私はあまり口ずさまなくなってしまったのだと思います。
だけど私は今思うのです。
あの時、体育館で配られた歌詞。生徒会の人たちが一節ずつ歌唱指導をしました。そして二回目にはみんなでもう大合唱が出来たのです。素晴らしいと思いませんか。
今、こんな時代だからこそ、このような歌が必要なんじゃないかなと。
馴染みやすいメロディと分かりやすい歌詞、誰もが歌える、だけど心がひとつになるような主張のある曲。
今、そんな歌があったら本当に良いですよね。
最後にこの歌の事を、歌謡曲っぽい甘っちょろい歌のように感じたなどと書いてしまいましたが、この記事のために何度もしみじみと聴き直しました。
>平和の歌を口ずさみながら
この一節を聴いた時、心がやっぱりざわついたのです。
―大人になって、本当に平和の歌を口ずさみながら、私たちは歩み続けたと言うのだろうか―
この「歩み続ける」と言うのは、難しいことなのかも知れません。
大人になって余計な知恵がついたり、生活に追われたり、事なかれ主義に走って利口そうに振舞ったりしてきたかもしれない。
そんな戒めの気持ちを、ちょっと思い出させてくれた古い歌なのでした。
この歌の作詞は、先の述べた北山修氏です。
―この歌を知らない若い人も、下に貼っておくので聴いてみてね。一回聴いたら歌えるよ~^^ ―
ジローズ 戦争を知らない子供たち