なにげに「ほんのちょっと先を生きている人たち、つまり今の視点で考えると大した歳の差はなかったのに、先に大人になっていた人たち」に影響された中学生時代の、かつて好きだった曲や思い出の曲の連続的な記事は、「スカボロ・フェア」の曲を友達がピアノで弾いてくれて心が動いた事で続いた連想ゲーム的なものでしたが、この連想と言うのはなかなか続いていってしまうもので、なかなか終わりがきません。折しもその時に予定していた「きたやまおさむアカデミックシアター~あの素晴らしい愛について~」にも行き、まるで計画的な企画のようではありませんか。
はっきり言って、無意識下ではそれがあったのかと思います。あれやこれやと考えるより、無意識の計算に任せたほうがうまくいくほうが、ままある私なのです。無意識の計算高いというと、何やら悪女的な香りが漂いますが、言葉を持たない動物たちが、しっかりあれやこれやと思考して生きているのは、言葉を持たなくても脳が機能しているわけで、言葉あっての私のようにも思えますが、言葉に還元しないほうが、時には上手くいく率が高いというのも、人間って面白いなと興味深いものがあるのです。
と、この前の二段落・・・
思わずチャンネルはそのままで、とか言いたくなるような長いセンテンスの前置きですね。
という訳で・・・
先に大人になった人たちは戦争を知らずに育ち、そして戦争が終わって20年経った頃、彼らは反戦の歌を歌い始めました。戦争はちょっとだけ昔の「過去」の出来事だったし、そしてベトナム戦争があったからです。
だけど今・・・
やっぱり同じ様に、この地球の上のどこかには銃声が鳴り響いているのです。
愛されたり守られたりして当然のような子供たちが銃を持っていたり、大人の都合で飢えたり殺されたりしているのですよね。
じゃあ、誰がそれを歌にしてるんだろう。
誰がそれを歌っているんだろう。
いいえ、きっと誰かがそれを歌にして歌っているのだと思います。
私はただ知らないだけ。
いつの間にか私は古い船に乗る古い水夫になってしまいました。
だけど古い船の古い水夫だってなかなか捨てたもんじゃないのです。
もちろん今も歌われ続けていますが、私達の時代の好きな歌。
これもフォークルの歌ですが、珍しいものを見つけてしまったので、それを貼らせていただきました。
カルメン・マキ 戦争は知らない