森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ちゃんと捨てましょう。その5

2012-09-18 13:17:20 | 梢は歌う(日記)

唐突に「その5」。じゃあ「その4」はどこにあるのかというと、5月の連休辺りに続けて書いてあります。

一応「その4」は→こちら

上の画像はつい先日捨てたもの。

100年は使っていないけれど、かなり長い間私の家でメインで時を告げてくれていました。かなりというのは、ほぼ17年ほど。今のマンションに越してきた時に、夫の知人がお祝いにくださったのです。1時間ごとに時が来ると針がクルクルと文字盤を踊るように回って音楽が鳴るというかカラクリ時計でした。私の子供たちも、我が家にやって来た子供たちもみんな喜んで針が踊るのを見ていました。

でもそのうち音楽を奏でなくなり、そしてまた時を経るうちに針も踊らなくなりました。更にまた時を重ねて、その時を刻むのさえ5分、そして7分と先走るようになったのです。違う言い方をすれば「常に進んでる時計」というわけです。

遅れ気味の時計は意外と不便ですが、進んでいる時計は意外と便利です。特になんでもスタートの遅い私は、なんとなく助けられてきたかも知れません。

でもある日パタリと止まりました。電池の問題ではありませんでした。この時計の寿命がつきたのです。

綺麗に拭いて捨てました。

ありがとう。

そして今は文字のはっきりとした踊らない電波時計が我が家にやって来ました。ピッタリとあった時計に
「あっ、やばーい」などと時間に追われた毎日が始まりました。なんでも優秀な方が良いんだなんて言うのは嘘だななんて、ちょっとずれたような事を時々思ったりもしている、このごろの私です。

☆         ☆        ☆

この時計を捨てた日、ゴミ捨て場には信じられないようなゴミの山。

引越しでもあったのかと、興味を惹かれてそのゴミの入ったカゴを覗きこんでみました。
※ 注:決して何かめぼしいものはないかなと物色したわけではありませんからね。

ふと「めぼしいもの」ってどういう意味なのか気になってしまいました。

[形][文]めぼ・し[シク]いろいろあるもののなかで、特に目に立つさま。取り上げるだけの価値があるさま。「―・い品を持ち出す」「―・い作品を取り上げる」
[派生]めぼしさ[名]

こういった意味で言うなら、実はめぼしいものが山のように捨ててあったのです。

お値段が高いとはっきり分かる鍋や食器、ちゃんと着ることが出来そうな服。綺麗な飾り・・・

それらを見て、胸がキューンとしました。

ああ、これは整理屋さんが捨てたんだなと思ったのです。

と、そこに更に追加のゴミを捨てに来た人と遭遇しました。その人を見て、ああやっぱりと思いました。
その方は市から依頼されたボランティアの方で前にも会ったことがあるのです。

先日は体の自由が効かなくなったたったお一人のご老人のゴミ捨ての依頼で、それもめちゃくちゃ多くて、しかも分別なんかされていなくて大変そうでした。
今回は、ほぼ一軒分の廃棄処理みたいで複数の方が来ていました。

でもあの方がボランティアと言うことは、他の皆さんもそうなんですよね。

そのボランティアの方が今度運んできたのは、プラスチックの使い捨て紙コップ(プラスチックなのに紙コップと書くのはどうかなと思ったけれど、こう書けばイメージ一発でしょ。それに分別はどうなってるのって悩む必要もないでしょ。って、気配りし過ぎか^^)その紙コップ、全部未開封で何パックもあったのです。

そういえば、この部屋の住人は昔、敬老会の何かをやっていたよね。私達がこのマンションに越してきた頃‥・・と思いました。
それとも、食器を洗うことを避けて、頻繁に使うコップ類は使い捨てに変えていたのでしょうか。それとも入院時に使っていたのでしょうか。それにしてもこの数の多さは謎だ。
って、人のうちのゴミを見て、ひとりで「ムムム」と考えている私は、なんちゅう失礼なやっっちゃ。

だけれど、アンテナを常に張り、注意深く物事を見、推理し判断していく力を養うことは大切ですとか思っているのに、ある事には完璧に見ぬふりをせよというのは難しいことであって、やはりパッと目に入ってしまうことには頭に信号が送られるってものですよ。

その時の私の目は点になっていたのに違いありません。
ボランティアの方が、
「ネッ、これを見ると、いろいろ考えちゃうわよね。」と言いました。そこにやって来た別の方が続けて
「うん。私も今日からちょっとづつでも良いから捨てるわ~。」と言いました。

ああ、胸の痛くなるお言葉です。

ゴミ捨ての帰り道、その部屋の前が開け放されていました。リビング、廊下、玄関、その外まで、ゴミが自分で這って来たかのような乱雑ぶりです。でも多分、それらのゴミに見えるものは、一つひとつ手に取って見るとかつてはみんな意味があったものに違いないのです。


前にも書いたかも知れませんが(ブログ生活長いので、そういう事もあるかも)、こういうシーンを見ると、私はある女優さんがトーク番組で言っていた
「あなたが死んだら全てゴミ」と言う言葉を思い出してしまうのです。

値段の張った日用品も大切な手紙も便利だった道具も、みんなみんなゴミ。

まさにいろいろと考えさせられる出来事でした。

☆         ☆       ☆


その翌日、やはり違うゴミ捨ての日だったのでその部屋の前を通ったら、大きな粗大ごみが並べられていました。後でみんなで所定の場所に運ぶみたいでした。その日の午後、買い物に出かける時にもその部屋の前を通りました。通り道だから通ったのですよ。決して、気になったから覗きに行ったのではありません。そこの所は誤解のないように。

開け放されたドアの奥から朗らかな笑い声が聞こえてきました。振り向くとあんなに散乱していたモノは全て片付けられていて、すっきりした玄関から廊下その先のリビングまで何もないことが分かりました。あるのは片付けに頑張った人たちの笑い声だけ。

きっと打ち上げのような最後の休憩でお茶でも飲んでいるのでしょう。その笑い声からはやり遂げたという達成感のような響きが伝わってきたのでした。

 


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