先日、久しぶりに友人に電話をかけました。
これといった用もない電話。
だけどこういう電話は、人と話すという形を取りながら、実はどこかで自分と会話をしているのかも知れません。
言葉にしなければ自分の気持ちが分からない場合もあるからです。違う言い方をすれば、会話を通して自分と語り
「どうしてた、お元気?」という友だちの言葉に
「元気だけれど、なんだか毎日がフワフワと幻のように過ぎていってしまった夏のような気がするわ。」
―そう。
今年の夏ほど、気持の所在のない夏はなかったような気がします。
夏という日は、大気の粒子を熱して正常とは思えない空間に人を投げ出し、そしてその逃げ場のない箱のなかで私は幻のような夢を見ているのです。「毎日」という夢を。
ここまで書いて、この記事は長い間放置されていました。ブログも放置。
自分と向き合うのが嫌だったのではなく、生活が変わって非常に早起きな生活に変わった私は、夜は今までどおりの夜更かしで、寝る前にスマホで目覚ましをかけると、いつも3時間45分後にとか4時間5分後とかにセットしましたという言葉が出ます。
そんな寝不足の毎日では、文章を綴る気分になれなかったのです。
でも、そうこうしているうちに、私は自分となんとなく対話をしフワフワした気分から抜けだしたようにも思うのです。
夏の初めには、お気楽に「success summer」と言うコピーとともに、夏の暮らしを楽しむという目標を立てて、ささやかなことを更新していこうと思っていたのに、それが出来かったのは、表面ではニコニコとしていても、やはり大切な人の大きな節目は、当たり前のことですが私には大きな出来事だったのです。その事は、「『宝塚星組公演ダンサセレナータ』を観て参りました」の中に書きました。
このブログ放置の「間」は、私にとっては必要な時間だったかも知れません。なぜならそのままストレートに書けば、自己心情の分析文を書き連ねていたかも知れません。
だけど私は、今になって思い出したのですが、このブログを始めた頃も、私は幾つものストレスを感じていたように思います。その頃は主に仕事の事でしたが、重い気持ちのその核になる部分を、私は書かずに、他のことを書き連ねて乗り越えていったようにも思うのです。文を綴ると言うのは、そのような摩訶不思議な力があると私は信じます。
今年の夏は「success summer」なんてものにはならなかったかも。
いやいや、こんなに暑くて、どうして今を夏と言ってはいけないのでしょうか。粘りますよ、ワタクシ。
名残の夏を感じましょう、楽しみましょう。
しかし、横浜という街は美しい所だと再確認。
画像は、父が入院している病院の窓から見た風景です。