「ホワイトアウト」とタイトルに載せて、ちっともそうなっていない画像添付は如何なものかと思うのですが、真っ白な雲の中に居た時、私は「思う」と言う作業が忙しくてカメラに手が行かなかったのです。だけれど、もしもその画像があったとしても、ただ真っ白なだけでなんにも面白くもなかったと思います。
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夫のリフレッシュ休暇中に二人で広島・山口・萩・津和野に行ってきました。
二人だけで旅行なんて、よく考えてみれば子供が生まれてから初めてじゃないかしら。
3月に二人で京都に入院した姑を見舞いに行こうとした時は、彼が体調が悪くなって秋葉原で引き返しちゃったしね。
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今回の旅は飛行機利用で羽田に8時半集合だったので、早朝のバスに乗って出かけました。
空模様は雨。傘をさしてバスを待ちました。
天気予報でも広島もあまりよくない感じでした。
私は高い所が大の苦手で飛行機も怖いと言うことは、ずっと昔に書いたことがあるのだけれど、、今回ちょっと違う感想を持ったのです。
飛行機はすぐに飛ぶわけじゃなくて、滑走路まで走っていくでしょう。その時だってゆるゆる走っていくわけじゃないのに、何でか遅く感じるんですよね、あの時。
だから急にエンジン音が高く大きくなった時には、ちょっと「やっとだわ。」って嬉しくなったりもするのですよね。
そして飛び立った時、滑走路がいきなり小さくなっていき、
「私、もしかしたら飛行機って好きなんじゃないかな。」って思ったんです。
雨粒が飛行機の窓を真横に走っていきました。
するとポワーンと真っ白な雲の中に入っていきました。もう雨粒はありません。
飛行機に慣れている人には何でもない光景だと思います。でも私には真っ白で、そしてなんとなく明るくて光っているその空間は不思議な感じがしたのです。
飛行機ですのでエンジン音が止まる事はありません。
映画好きドラマ好きの私には、同じような光景を映像などで見ていて記憶の中にある光景だったかもしれません。だけれどその記憶の中にある映像には音が無音なのです。
真っ白な雲の中を飛ぶ事と無音と言うのはある種の心象風景なのでしょうか。
こういう時、人は何かに向かって祈りたくなるのではないでしょうか。
何にも見えない真っ白なだけの空間の中で―。
同じ光景を、見慣れていると言っても操縦室にいる人たちも見ているはずです。きっとその人たちは何の不安も感じてはいないはずです。不安など感じてもらっていては困りますし、私も感じてはいません。パイロットたちは計器と指示する繋がり、そして自分の知識と培った勘と技術を信じているからです。そして私たちは、そのパイロットを信じているからです。
飛行機はその真っ白な雲の中を突き抜けて、更なる上空に出ました。
そこには真っ青な空が広がっていました。真下には抜けてきた真っ白な雲のじゅうたんが何処までも続いていました。
なんというラッキーな、と私は思いました。
「この曇天の雲の上には真っ青な空が広がっているんだよ。」
そんな風に、私は自分に言って自分を励ますし人にも言って励まします。
でもその言葉は、晴天の空の青さと深く垂れた重い雲の様子を自分の頭の中で組み合わせて、想像の力を借りて、そしてそれを信じて言っているのです。
雨の地上を飛び立って雲の上に抜け出て、まさにリアルなその言葉そのものの体験が出来たのですから、とても幸福な経験だったと私には思えたのです。
今度の旅行で雨に降られたのは、この時だけ。
もしかしてだけど、もしかしてだけど、私にこれを見せるために雨って降っていたんじゃないの…なんてね。
私、今度から想像の力を借りてではなく記憶の力を借りて言いますよ。
「このね、重くずっと続いているような雲の上には、ほんっとうに綺麗な真っ青な空が広がっているんですよ。いつか雲は切れてその青い空を必ず見る事が出来るんですよ。」って。
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