生あるものはその誕生の時にその終わる時、つまり死ぬことを約束されて生まれてきます
始まりがあって終わりがあるー。
それはすべてのものの逃れられない運命なのかもしれません
それゆえに、人々の意識、もしくは無意識の中には終焉思想がしっかりと、または何気なく根付いているのだと思うのです。
人類の起源とその終焉を、今まで生きてきて一度も思わない人というのもあまりいないのではないでしょうか。
昔何かの漫画を読んだときに、人類が核爆弾を作り、それを実験かもしくは広島に落とした日かのシーンで
「そして人類は長い懺悔の時代に入った。」のように表現する文章に出会ったことがあって、心に食い込みました。
今は年代を紀元前・紀元後と言う西暦を使っていて、その意味を知らない人はあまりいないと思うのですが、歴史の時間はほとんどお昼寝の時間だったと言う方のために補足すると、あれはキリスト生誕前と後と言う意味で6世紀頃教会で使われだしたのが世界中に広まったのですよね。それだけ西洋では教会の力が大きかったことの表れでもあるかもしれません。
そう思うと暦と言うのは、かなり不確かな数の集合体のような気がします。
因みにキリスト誕生は西暦4年・・・・・・・・!?
これ、中学一年の時に先生が教えてくれた時から「!?」という感じがしました。
要するに後々の研究などから、分かったと言うことなんだと思います。
私なんかはB型らしく
「へいへい。歴史なんかそんなもんだべ。」的に受け入られるけれども、何事もきちんとしていないとダメなタイプの人なんかは、最初からずれたようなこの暦にイラッとするんじゃないですか。
私は思うのです。
人類史的な観点で見れば、実は広島前・広島後と言う発想が実はアリではないかと。
ああ、広島駅前じゃないですよ。って、このタイミングでぼけてどうするんだ・・・・!
もしくは3・11前/3・11後。
日本と言う国はに日本人が思っているほど大国じゃないし、有名な国でもないんですね。世界の中の地理と言うお勉強に熱心じゃない人には、
「日本って、なにそれ。」ぐらいに思われている、東のはずれの小さな国なんです。
だけれどこの民族は、人類の未来のキーマンでもあると思うのです。
(今はキーマンじゃなくて、キーパーソンか。民族なのだからキーパソンズというべきなのかって微妙なところで引っかかる。知ってる方は教えてね。)
その経験ゆえに。
人類の終焉がどのような形で来るのかは、知る由もないことで、そして今は関係がないと思いたい所でもあります。
歯止めの効かない出生率低下とか、未知なる病原菌の蔓延とか、または宇宙からの攻撃(SF映画の見過ぎか)、いや宇宙からの攻撃というのは異常なる宇宙線の飛来とか巨大隕石のの落下など。
生物に当てはめたら、老衰による機能低下・病気・事故などと重なるようなものかもしれません。
だけれど、もしも核の脅威にさらされて人類の終りを迎えてしまったとしたならば、それは人類の自殺と考えざるをえないと、私は思います。
※ ※ ※
6月8日、山の上にあるような広島空港に降り立った私達のツアーは広島市街に降りてきました。
前日予定表を見てみると「広島城」と「原爆ドーム」は車窓からになっていました。
パックツアーはこういう所が我慢なんですよね。
でもガイドさんが、時間を見て予定変更をしてくれたのです。要するに平和記念公園をガイドしながら突っ切って資料館まで案内してくださったのです。
嬉しいサプライズでした。
このバスガイドさんは地域柄なのかもしれませんが、ちょっと口が悪くて最初私は
「東京のはとバス転職なんかしようものなら、最初の一週間で叩かれまくりだな。」などと心の中で思っていたのですが、このサプライズで一気にこの人が好きになりました。
広島に来た人に平和記念公園内をガイドしないと言うのはどういうことなんだろうと、この人は思ったのではないでしょうか。
説明は分かりやすく、頷くことばかりでした。
その再現は出来ないので、ちょっと資料などを添付しておきます。
平和記念公園マップ ←このマップの下の方に少々詳しい説明が載っています。
以下は写真日記です。
川の岸辺には詳しい説明ボードがありました。
「平和の鐘」です。鳴らしてきました。静かないい音がします。この鐘には国境のない世界地図が描かれています。
その鐘の周りの池には綺麗な蓮の花が咲いていました。この池には本来大賀ハス(2000年以上前の古代ハス〉が植えられていたそうです。でも今は他の蓮の花も多数咲くらしいので、この蓮が大賀ハスかどうかは私にはわかりません。
「原爆の子の像」 この像のモデルの少女は佐々木禎子さん。詳しくはWikipediaさまで→ここ
「原爆死没者慰霊碑」 このオブジェのトンネルの向こうに原爆ドームを見る事が出来るのです。
少しずれて見るとこんな感じです。
原爆資料館には多くの外人の方も訪れているのが印象的でした。資料館の中ではフラッシュをたかなければ撮影okなのです。展示はたくさんありましたが、その中の僅かを撮ってきました。
あの時のまま時間が止まった時計
白壁に残った黒い雨の後。
これは別に原爆の資料と言うよりその当時の資料なんですが、思わず撮ってしまいました。
なんでって言うと、まあ、「ごちそうさん」を見ていた人には、へえ、これかと言う感じで分かっていただけると思います^^
原爆投下直後の広島の模型。
広島城は予定通り車窓の旅でしたが、平和記念公園が充実していたので満足でした。(因みに、お城好きな方はこちらでチェック→広島城 〉
ガイドさんが言うには、爆心地に近かったので地上の部分は吹き飛んでしまいましたが、その地下には軍の通信するところがあって、そこにいた学徒の女子高生が新型爆弾投下の事を全国に通信したのだそうです。
「ドラマチックです。」と言うのは簡単なのですが、彼女たちだってその後はその地下から出てきたわけで、その後はどうしたのかと思うと胸が痛くなりました。
ふと映画の「夕凪の街・桜の国」の中のヒロインが原爆症で苦しみながら死んでいく時のセリフを思い出してしまいました。
「今頃爆弾を落とした人は喜んでいるだろうな。やったー、また日本人を一人殺したって。」
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・・・・・・・
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なんだか暗い事ばかり書いているようだけれど、この部分を書かなかったらまったく意味もない事だと私は思います。
広島と言う街は、たかだか70年弱で街は緑にあふれ高いビルが立ち並び、人口が50万以上の政令指令都市にまで復興したのですよ。
この強い人の再生の力を見よと、私は嬉しく思い感動もします。
だけれどこの「明」の部分に当たるその力は「暗」の部分である過去から決して目をそらさない姿勢があるからだと思うのです。
次回からはお気楽な旅行記です。
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