森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

勝ったり負けたり

2021-06-24 15:57:26 | 梢は歌う(日記)

一体何をもって「勝ち」とするのかまた「負け」とするのか、それは終わってみなければわからない事ですよね。

何事においても。

 

※       ※      ※

そもそも土日に細かい事がたくさんあって、それがなかなか面白かったので、その日記を書こうと思い、タイトルと写真などを入れておきました。ところが既に木曜日になろうとしている今になってみると、その細かいあれやこれやのほとんどの記憶を喪失して、はて、いったい私は何を書こうとしていたのかやと思う今。

だけど思うに、その忘れてしまった記憶など、思い起こす必要もない記憶なのではないかと思うのです。

もう、あれやこれやと覚えていることに意味もなく、楽しい記憶の貯金を蓄えていけばいいのではないかと思うのです。

 

※       ※      ※

19日の土曜日、2か月に一回の病院の日でした。

バスの時間に間に合うように、バタバタと出掛けて行きました。

だけどバス停に着いて、思い出しました。今日が土曜日である事に。

時刻表が違います。思っていたバスの時間が間違えていました。(ああ、やりそうと思われただろうな(^_^;))

で、マイナス。

だけどバスの時間まで10分もあったので、この記事に載っている紫陽花の花の写真を撮る事が出来たのでした。

その日か水曜日には片付けると言っていたので、その前に写真を撮る事が出来て良かったです。

と言うわけで、プラス。

 

病院の診察の待ち時間がやたらと長いー。

その待ち時間の楽しい過ごし方。

・本を読む。

健康に関する本で、そく影響されて、翌日から毎日納豆&キムチとヨーグルトを食べています。

・Caféのない病院なので、自販機の引き立て珈琲を外で雨を見ながら飲む。

シャラシャラ降る雨は本当に綺麗で、そう言えば詩とか、最近全然書いてないなと思いました。

・血圧や心拍数を測る。

今回は必要に迫られてもあったのですが、血圧の上が一回目に147と言う、私的には見たこともない数字が出て来て、20分後に心を落ち着かせて測ったら127でした。血圧は微妙ですよね。

・飾ってある花を見る。

来るたびに、この病院の活けてある花を見るのが楽しみです。だけど今回、その机にいつも誰かが寄りかかっていて、花をちゃんと見る事も写真に撮る事も出来ませんでした。人の背中でふさがれて、ちゃんと見てもらえない花は可哀想に感じたけれど、それは一時の事だと思います。私と同じような人はたくさんいると思いますから。やっぱり人の多い土曜日、ディスタンスでと思ったら、その花の前の空間は、大事な空間だったのだと思いました。

 

整形の診察の時、10か月近くも痛い膝に湿布薬だけを出し続ける先生に、遠回しにご意見を申し上げました。

遠まわしじゃない言葉でいうと

「近所の通いやすい、やたら注射を打つ医者に変えてやる !!」

微笑みながら話す先生の言葉の、やんわりの部分を省くと

「じゃ、そうしたら良いじゃん!!」

そこでニッコリ笑い合いながらお別れすると言う選択もあったのですが、私は10か月ずっとここで我慢していた本当の気持ちを言いました。

「でもわたくしは、先生のお考えが正しいと思っているんです。」

痛いだけのあの注射は効かない場合も多々あって、加齢に寄る軟骨消失の痛みは、その痛みと闘いながら、またはその痛みに慣れながら、運動で他の筋肉を鍛えて、痛み緩和すると言うもの。「痛み」と言う言葉の大サービスだけれど、それが今の私だから(笑)

チョーが付くくらい簡単に書くと、こんな感じだと思います。

でもこの「正しいと思う」と言う言葉が効いたのか、かなりの歩み寄りがあり、聞きたい事も丁寧に教えていただき、次回レントゲンを撮る事になりました。

夫が「今更かよ。」と言いましたが、私はちょっとホッとしました。

私はただ単に、今の現状を知りたいのです。きっと先生は触診すらしなかったけれど、話を聞いて推理した・・・ああ、お医者さんなので診断を下したのだと思います。

だけどそれ、本当にそうなの ?

外科の先生などは、腹部が痛いと言ってもめったに触診せず、画像を見つめ出てきたデーターの数字が大切な模様。かつては内科しか受診したことがなかったので、それにも戸惑いましたが、それに慣れてみると、私の話だけではなく画像や数字から、やはり判断してもらいたいのだと思う私がいるのです。

その日は二つの科を受診してきました。

私はその病院ではコロナワクチンは受けませんが、私のかかりつけ医はそこしかないので、ワクチンを受ける際の諸注意も聞いてきました。問診票などの薬の欄の書き方まで、丁寧に教えていただき、いい感じで病院は終わりました。

飲んでいる薬が多いのでお薬手帳を持参すると良いですと、先生が言いました。

きっと問診票のどこかに、そんな諸注意も書いてあるのかもしれませんが、私は「なるほど」と思いました。

 

微かに時間は遡りますが、この先生に私が

「ワクチンの・・」と言った時、先生は「ワクチンの必要性はあるのか。」みたいなことを私が言うとでも思ったのか、

「霧島さんの(私の事)場合は、絶対に打った方が良いんですよ。もしもコロナにかかってしまったら・・・・」と語尾がぼやけたので

「死にますよね、私。」と補っておきました。

「まあ、その可能性が大きいです。なぜかと言うと・・・」とさらりと言い、私の病気に触れての説明がありました。

大丈夫。私、難しい事は言いませんから。

 

気がつけばこの先生とも、お付き合いが10年超えてしまいました。

さすがに毎回ハートフルな診療と言うわけにはいきません。

特に昨年の今頃、いやもう少し前だったと思うのですが、メチャクチャ体がだるくて、コロナの病状の詳しい事がまだ世の中には出回ってなかった頃だったので、こういう怠さは関係はないですよねと遠慮して否定形で聞いたのに、東葛地域の人口の数を言い、その中でたった4人しか出ていないんだと言われたのです。怯えるなんてばかばかしいみたいな感じで。それはある種の励ましだったと思うのです。

ふたりで「ハハハハ」と笑い合いましたが、そうとう二人とも乾いた笑いではありましたよ。

それ、違うと思うなって私は思いました。たった4人と言う時に、もっと何かを考えなくちゃいけなかったように思うのですよ。

そう言えば思い出したのですが、この時だったか次だったか、次回の2か月後の予約を取る時に

「次回はきっと空いていますね。」と私がうっかり口を滑らすと、先生は「えっ ?」と驚いたような顔をしたのです。

驚く顔を見て驚く私ー。

確かにこの頃は、病院は通常でした。

だけど流れで見えてくる未来ってあるじゃない。

その時「たった4人」と言った先生には、それは見えなかったのかも。

 

その考えで言うと、流れで見えてくる日本の未来ってどうなのと思うと、ちょっと気持ちも暗くなるってものですよ。

 

因みに、なんだかんだと書きましたが、私は私を見てくださっている先生たちが大好きです。

 

で、この日。

飾ってある花の写真なども撮れなかったので、さっさと薬局に向かい、それも終わってみると、珍しく12時半前。

夫に迎えに来てもらい、夕方から見る予定になっていた映画を午後一番のに変更して、映画を見て帰ってきました。

「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」

土曜日はなんだか充実した一日になりました。

 

けっきょくは、いろいろな事が勝ったように負けたようにあったとしても、一日の終わりに

「今日、なんか楽しかったな。」と思えたら、やっぱり勝った一日だったと言えるんじゃないのかしら。

 

以下はその日の朝にバス待ちの間に撮った紫陽花の花たちです。

 

 

 

そして今。


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