森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「その街のこども」を見ました。

2021-01-17 16:46:32 | テレビ・ラジオ

1995年1月17日午前5時46分に起きた、阪神淡路大震災。

今年はそれから26年経ちました。

昨晩、日付が変わって17日になって、さあ、寝ようかなと思ったら、ツイッターでこのドラマの情報が流れて来て、ご覧くださいとあったので、寝る前に録画して、先ほど視聴しました。

この作品は、2010年に放送されたもので震災15年の特集ドラマでした。

広島に行くはずだった中田勇治は、新神戸で飛び降りてしまいます。

新感線のドアの所にある電光掲示板が、しきりに神戸の震災から15年経ったことを伝えていました。飛び降りてしまった理由は、勇治自体も、よく分かっていなかったのだと思います。

そこで彼は、大森美香という女性と知り合いになります。

勇治は15年ぶり、美夏は13年ぶりの神戸でした。

あの震災に対しての考え方の違いから、意気投合したとは言い難い二人でした。それでも成り行きで美香の祖母の家まで行き、そして翌朝の1.17の集い会場まで、実かを送っていく羽目になった勇治。

その道すがらで、二人は今まで、心の中から吐き出せなかった想いを、お互いにぶつけあっていくのでした。

蓋をし続けた、自分の中の本音。二人にとっては、神戸はあまり思い出したくない場所だったかもしれません。だけど15年経って、二人は向き合う時が来たのでしょうか。

震災成金だった中田勇治の父親。最初はそれも頭の良いやり方とかばっていました。だけど本当は友だちも、かばってくれるはず周りの大人たちの優しさも得る事も出来ず、そのまま家族は神戸にはいられなくなり、共に神戸から離れる事になった勇治。

「舞い上がってしまったんだろうか。もっとうまいやり方があったんじゃなかったのか。」

勇治の口ぶりからは、やっぱり父親への愛のようなものを感じます。けっして批判や攻めるだけの口調ではないのです。ただあの時、それによって傷ついた自分に正直に向き合ったような気がしました。

親友を失って、何故良い人だった親友は死なねばならなかったのか、また愛する人たちを失ってボロボロになっていく、「良い人」である親友の父親。昔はその父親が怖くてたまらなかったのは美香でした。父親の仕事の都合で神戸を離れる事を知った時にも、挨拶に行ってもやはり怖かったと彼女は語りました。その怖さの理由が大人になってから理解したと言う美香。「不幸には法則がない。」そんな事が怖かったのだと、語るのでした。

良い人だから助かって、悪い人だから助からない・・・・・そんな事はまったくない世界。

あの時の震災で、両親や家族を失ってしまった子供たちはたくさんいました。愛する家族を失わなくても、こんな風に苦しんで、街を出ると分かった時に、思わずホッとした子供たちも多くいたことでしょう。

 

このドラマは、先にも書きましたが、2010年の1月17日23時から放送されました。ラストシーンの「1.17の集い」のシーンは、その日の早朝に撮影され、ドラマ内に織り込まれました。

私は、毎年そのような震災の集いがある事を知らず、このドラマで知りました。

場所は、このドラマにあるように中央区東遊園地。今年はオンラインでの集いもあるようです。「あった」と書かないのは、ラストの午後の部が残っているからです。

HPは→ここです

 

中田勇治は森山未来。

大森美香は佐藤江梨子。二人はともに10歳と中一の時に被災し、実年齢でリアルな感情で臨みました。

派手なシーンはありませんが、心に残る良いドラマでした。

最後の二人の「ありがとう」と言うハグのシーンは、ジーンとしました。

 

26年前の阪神淡路大震災で亡くなられた方々に、心からご冥福を祈ります。

今大変な今日という日々を過ごしている私たちですが、それでも、あの日に起きたことを忘れてはならないと思います。

 


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