この大河「いだてん」、泣き虫の私でも意外と涙は無縁でしたのに、前回と言い今回と言い、いきなり涙モードになってしまいました。
四三の一番の理解者でもあったお兄ちゃんの金栗実次。
歳の離れた弟を父のように守り愛してきました。そのストレートな気持ちの表現は分かりやすく、時には思わず微笑んでしまうような可笑しさがありながら、いつも感動していました。そんな中村獅童さんのお兄ちゃんが大好きでした。
だけどこのお兄ちゃんが死んで、そして四三が故郷に帰って行くと言う流れになるとは思っていませんでした。
実次の死を知ってやって来た四三の姑の幾江。この母と四三の母のシエ。共に息子を先に見送らなければならなかった悲しい母になってしまいました。それを思うと、また悲しみが増しました。
兄の最後の願いも帰郷でしたし、これからはこの老いた母たちの傍に彼が戻って来てもいいころだと思います。
故郷に帰っても、彼の事ですからまた何かをし続けるのではないでしょうか。
今回のラストシーン。
まーちゃんが独り言で四三の功績を讃えます。で、気が付くと、まだ戸口に四三が立っていて
「えっ、まだ立っちゃいなかったのか。」←セリフは不正確
誇り高く良い笑顔で礼をして、立ち去って行く四三。
ジーンときました。
そして上手いなあと思いました。
孝蔵の妻への想いを娘たちに聞かすように語る独り言。
で、納豆売りに出掛けたと思っていた妻は、まだ玄関の外に立っていて、それを聞いていたー。
「まだ出掛けちゃいなかったのか。」
と言いながら、心を通わせるシーン。
そのシーンを先に見せて、だから最後は、なんか四三退場に生きてきたような感じがしたのではないかしら・・・・・って、上手く言えませんが。
今回、私的ツボだったのは、
30歳前に死んでしまうと占われていたまーちゃんでしたが、それゆえに生き急ぎ忙しい毎日を送っていたのだと思います。だけど忙しすぎて、自分の歳を数えるのも忘れていて、いつの間にか32歳。
その占いがあたる当たらないはともかくも、ふとワタクシ、更年期の話を思い出しました。
誰かが言っていたのか何かで読んだのかは忘れてしまった事ですが、「毎日を忙しく過ごしていたら更年期の頃を何事もなく通り過ぎてしまった。」と言う言葉に共鳴して、来るべき更年期の不調をそれで乗り越えようかなと40代の頃漠然と思っていました。そんな当てにもならない作戦が功を奏したのか、ちょうどその時期は、毎日を忙しい忙しいと過ごしていたら、やっぱり何事も感じず(たぶん気が付く事もなく)、その時期が過ぎてしまったのです。
それからまたある日、つい最近の事ですが、私と友人は会う時は遊びに行くか、そうでないときは遊びに行く計画などを語り合っている時が多いのです。
あそこに行きたいね、あれを見たいね。それに加えて、あれをやってみたいこれもやってみたいと、果てしない欲に溺れています。
ひたすら怠いと体調の悪い日も結構ある私。
だけど思わずワタクシ、江戸っ子弁で言ってしまいました。
「こんなんじゃあ、オチオチ死んじゃいられねいなぁ。」ってね。
「そうだよ!!」と友の声。
何も大それた事をしなくても、自分の生活に見合った欲を持つことは大事な事なんですよね。それを叶える為に毎日を忙しく生きる。
イキイキと生きるコツなんじゃないかなと思います。
「いだてん」の感想じゃないみたいですが、一応はドラマの感想です。だって頭の中でリンクしてしまったのですから^^