森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

軍師官兵衛23回「半兵衛の遺言」

2014-06-14 15:35:48 | ドラマ (大河)

旅行記を書き始める前にもう一つ書いておきたいドラマの感想があるのです。もちろんタイトルにあるのでそれが何かは丸分かりですが^^

軍師官兵衛23回は旅行先の湯田温泉で見ました。その夜は瑠璃光寺の五重塔のライトアップ企画があったのに、夫が行かないと言い出しました。その行きたくない理由が、大河をどうしても見たかったからと言うもの。付き合って私も微かに不満な気持ちを抱えながら行きませんでした。

だけれど土曜日再放送は見られない確率も高いので、行かないで大河を見て良かったなと私は思いました。

毎週楽しく大河は見ていますが、23回ほど印象深い回はなかったからです。

 

 

23回「半兵衛の遺言」でははっきりと明と暗が分かれて描かれ印象的でした。

救出された官兵衛の復活劇。

死んでいてもおかしくないような姿であっても、命が繋がっていたことに家で待つ妻や父の喜びはもちろんですが家臣たちの喜びは如何様なものだったでしょうか。

それでも毎夜うなされ、まともに歩けない主君の姿に不安がないわけはないと思うのですが、その気持ちを隠してそして信じて支える家臣の姿に気持ちの良いものを感じました。

足は元には戻らないかもしれぬと嘆く栗山に一生をかけて支え足になるのだと諭す井上。

命が助かりさえすれば、もうここは大丈夫だと思えるのは、この家臣たちがいたからですよね。

再会した官兵衛に秀吉は、一刻も早く信長に会った方が良いと戸板に乗せて運びます。

官兵衛の姿を見て信長は悟り、人質であった息子を処分してしまったことを謝ろうとしますが、それを最後まで言わせないで松寿丸を信長の前で官兵衛と再会させたのは秀吉の作戦勝ちだったと思いました。

死んでしまったと思っていた息子の姿は、本当に嬉しかったと思います。そしてその場にいた家臣たちにとっても、この若殿の生還は青天の霹靂、もちろん良い意味でです。

 

だけど毎夜の悪夢と一向に良くならない足に官兵衛は焦り、もう馬にも乗れないと嘆くのでした。

そこにタイムリーに別れのあいさつに訪れた松寿丸が差し出したものは・・・・

竹中半兵衛の軍配でした。

軍配に込められた半兵衛の遺言。

去りゆく我の代わりに秀吉の知恵になり采配を振るって欲しい・・・・・・。

いや、「振るうのです!」に違いありません。

彼は馬上から槍や剣を振りますことが本分の人ではなく、采を振るうことこそ彼そのものなのですから。

 

そして彼は復帰!!

家臣たちとも絆はさらに深まり心は一つに。

 

ひとつ前の「有岡、最後の日」で牢番の息子を

「預かろう」と言った、あのシーンも良かったですね。

主君の脱出してしまった有岡に勝機などある訳もなく、ただ戦うのは落城までの時間稼ぎ。虚しい戦いです。

城に残されている者は家族と共に悲劇へまっしぐらの道であることは逃れられない事実。

その時、屍のような男が「預かろう。」と言うのです。

「何を・・」とつい一笑に付しそうになる牢番でしたが、はっと我に返って首を垂れて彼に託すのです。

いついかなる時もどんな姿であっても官兵衛は官兵衛。

かなりグッと来たシーンでした。そしてこの牢番の子供は、後に黒田家にとって大事な子供になっていくのだと夫が教えてくれました。

この時代は血の繋がりがどうこうとか言うのではなく、子供をたくさん持つと言うことは大切な事だったと思います。

 

と言うのが「明」の部分で、ここまでも長々書いといて言うのもなんですが、「明」と「暗」をと言うのであれば「明」の部分を書かないわけにはいかないと思って書いたようなものかもしれません。

本当に心に残ったのは「暗」の部分でした。

しかも本当に本当に胸を突き刺したシーンは、あのワンシーンだったかもしれません。

役の人が好きでその演じていた役者さんまで好きになってしまうことは、私には時々ある事です。

 

今日の夜も

「このカスッ!!」とか言っている素敵な彼女を見る予定です。

(これ、昨日書き始めていたので…〉

 

・・・・・!

と、ここまで書いて放置していたら、なんと今日の(だから昨日のです。〉「ガリレオ」の再放送に彼女が出ていました。なんで「ガリレオ」ッたら私の心にリンクしてるの!?

彼女ってだし役の桐谷美玲さんの事です。

 

このだしと言う女性には完全にノックアウトです。唯一の難点は「だし」って変な名前だなと思う所ぐらいかしら。

美しく気高く従順。いや、夫に従順なんて言う部分には全く惹かれないんだけれど、自分の決めた道に真っ直ぐな所が素晴らしいじゃないですか。

だから夫には裏切られた形になってしまっているのに、彼女は揺るがないのですよね。

男は主君に仕え女は夫に仕え、自分の生きる道を定めていましたから。

その処刑の時、彼女が祈りの言葉を唱えます。だけれど最後に彼女の言った言葉は、本当にいとおしい人の名前を呼ぶように「との~。」と・・・・・。

ああ、泣けます。

今もこれを書きながら、ハラハラと涙が溢れてくるのです。

彼女は誰も恨んでいなかったと思うのです。

まさに女の道は一本道・・・ってなんか昔そんなのがあったなあ。傍から見れば悲劇以外の何物でもなくても、すべてを赦しその道を貫いたものには悲劇ではなかったかもしれません。

 

だしの最後を聞いて荒れる村重。

なんで恋女房の妻を見捨てて逃げたと思うけれども、なんだかこの人の気持ちが分かってしまうだけに辛いのです。この正義一直線のようなだしを説得して城を脱出するのは不可能に近いと思うのですよね。だけれど追い詰められていた村重には彼の彼なりの戦いがあったわけです。

「生きる」と言う戦い。

もしもここで情に負けては、今まで織田の為に散った命がすべて犬死になってしまう。もちろん彼の論理です。彼の気持ちが分かってしまう私もかなりダークサイドの人なのかと思うのですが、この村重をやはり理解していたのは妻のだしだったのだと思うのです。

「との~、生き抜いてくださいね。そして勝ってくださいね。」と彼女ならそう言うと思います。

 

しかし刑場で、人々が

「なんと麗しい人だ。美しい人だ。お気の毒だ。おかわいそうに。」のようなことを口々に言うのを聞いて、少々複雑な気持ちになってしまいました。

だしが醜女(しこめ)だったら、人々は「かわいそうに。」って言うのかしらと。

 

この大河ドラマの物語の中では、運命の糸車がカラカラと不思議な音を立てて回っています。

信じていたのに結局は信長に切り捨てられてしまった尼子。

その悲劇を見て石山本願寺の攻略が上手くいっていなかった村重は追い詰められ謀反を起こしてしまうのでした。

裏切りの代償としての村重の家臣・家族への残虐な成敗。それを諌めたにも拘らず赦すことがなかった信長を見て、心に何かが残ったに違いないと見て取れる明智。

信長の運命の敷石は、敷かれるべきして敷かれていったのだとなんだか妙な説得力が生じてきています。

 

蛇足ですが、妙な説得力と言う点ですが、この大河で横溝正史の「八墓村」の「尼子の祟りじゃ~!!」と言う言葉にいきなりチョー納得してしまいました。

それまではそういう設定ぐらいにしか思っていなかった「八墓村」の単なる登場人であった尼子の残党ですが、裏切りの果てに命からがら逃げたのに、親切にしてくれたと思った村人たちにまた裏切られ、その無念は半端ないなと。

そりゃ、末代まで祟りたくなるのはもちろんだわと、大河を見ながらミステリー小説の背景を思うってのも楽しいかもしれません。

 

 

と言うわけで、すでに明日は24回「帰ってきた軍師」ですね。

優柔不断だけれどどこか憎めなかった小寺政職・鶴ちゃんはどうなるのか楽しみですね。

 

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