トップ画像は津和野の鷺舞の像。
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遠い昔に行った事のある場所に再び訪れると言うことは、それは自分の記憶の中をまた旅すると言う二重の楽しみがあるのかもしれません。
覚えているつもりでもいろいろと曖昧になり薄れていく過去の記憶ー。
バスの中から津和野駅の前を過ぎた時に、駅前にD51の蒸気機関車が展示してありました。
それを見た時に、
「ああ昔、此処で写真を撮ったんだわ。」と私は思いました。
だけど家に帰って昔の写真を見た時に、不思議な違和感を感じました。
あっ、本当だ。汽車の番号が・・・・
なんて事には、列車に詳しくない私には分からない事でした。
実は服なんです。
他の写真の服を見て、
「うーん、おかしい。これが津和野である訳がないよな。」って。
写真の裏に場所を書いておきましょうよとか思うけれど、18歳か19歳の若い私には、こんなに劣化すると思いもよらない事だったのです。記憶も写真も。
だけれど今はインターネットの時代でありがたい事ですよ。この「D601」でここが何処なのかわかりました。
ここは山口県立博物館の屋外展示だと思います。山口駅から徒歩で15分ぐらいの所にあります。
うっかりと間違えた記憶の上書をするところでした。
そしてさりげなく蒸気機関車の展示場所を二か所ご案内させていただきましたよ・・・・・・・・なんちって。
今回のツアーに津和野の名前を見た時に、眉間にしわを寄せて言いました。
「小京都津和野とか言うけれどさ、あそこ本当に何もなくて鯉しかいないよ。」
良く「小京都ミステリー」とかで出てくる津和野で、なんとなく雰囲気も素敵ですが、私が覚えている印象は鯉がたくさんいたなと言うことぐらいでした。
そして説明をしてくれた町のガイドさんもこの町には痩せ細った鯉しかいませんと言いました。
確かに鯉がたくさんいました。
だけれどその鯉は・・・・
ちょっとその前に、またも昔の写真です。別に若いときの自分の顔をさらしても良いのですが、ニタついていたので切りました。いや、見てもらいたいのは一緒に映っている鯉なんです。たくさんいますがみんな普通の大きさでしょう。
そしてウン十年後・・・・。
ふくよかな人の姿を切って、またも鯉を見てください。なんとやせ細って・・・・って、もう町のガイドさんたらっ!
丸々と太って凄く大きくなっていました。
いやいや、このぐらいなら近所の公園にもいるぞって思いましたか。写真だから分かりづらいと思うのですが、要するに比較するものがなくて撮り方が下手なのよね。撮ってる時からそう思ってましたって、おいおい。近所の公園にもこのぐらい大きいのはいるかもしれませんが、なぜか「わー」と言いたくなってしまう津和野の鯉たち。
そしてそれはやっぱりこの鯉たちが巨大だからだと思います。
分かりますか?
地味だから分かりづらいと思うのですが、黒い真鯉の大きさを見てください!
特にアップして撮っていません。ずっと同じ大きさで撮っています。
津和野は鯉だけの町ではありませんでした。だけれどもし鯉しかいない町であっても、その鯉は見ごたえ十分でずっと見ていても飽きないのでした。
なぜ津和野に鯉がたくさんいて、そして丸々太っているのかと言うのは、戦乱の非常食として飼い始めた鯉ですが、幸いにして鯉を食べなくてはならない状況にはならず、それ以来鯉を食べる事はこの町の住人にはなくなってしまった習慣なのです。町の中の鯉は、この住人の人たちに愛されていてストレスなし。
バスガイドさんに言わせると、鯉は満腹を知らず、与えられた餌を全部パクパク食べてしまうのでこのように太って大きくなったらしいのです。
ただ鯉は水温が低い冬などはほとんど食べないのだそうですね。
そして鯉の寿命は20年から30年。真鯉などは70年ぐらいあるのだそうです。
そうすると君たち・・・・・・
君たちとは再会なんだねえ。
私は鯉を相手に、しみじみと懐かしい気持ちになったのでした。
津和野の記事は続きますが間に旅行の記録以外の他の記事を挟むと思います。