その利害が大きくて、それに絡む人も多かったならば、その兄弟げんかも凄まじくなってしまう。古今東西、そんな兄弟げんかで歴史のモザイクは組み立てられていたりもするのかもしれない。
今川の家督相続の争いであった「花倉の乱」。こういう歴史は到底教科書からは学べない。
年長であっても、側室の子供であった玄広恵探と、年少であっても正妻の子供であった梅岳承芳の争い。人はそれぞれ利害のみならず、正義と感じる感覚が違うと思う。その時の軍師、雪斎や、力あった寿桂尼のことをないことにして、利害を考えずに行動するならば、あなたはどちらに付くだろうか。
私は・・・・に付く。でも、それが正義かは分からない事だ。
ところで勘助、すわっ、兄弟対決!
なにやら、いやな展開! と、思ったら、兄ちゃん剣をおろして、
「もう、いいや。こんな風になるのは本位じゃあ、なかったのさ。」
福島が今川の家臣だから、彼についたのに、こんな風になるとは父も思ってはいなかったと。それでも、その主君を逃す為に勘助に切りかかった兄に侍の心を感じた。だからといって、弟と直接争うなんて望んでいることではないのだ。
「勘助に討たれたとあっては、あの世で母が嘆く。」と言って自害する兄。
討ったわけではないが、自害する兄の介錯をするなんて、切なさは同じではないのか。
死に望んだ兄は泣かず、それを見送った弟は泣きまくっていた。死に逝くものは断ち切り、生きていく者は今起きているそのことを、背負っていかなければならない、その違いのような気がしてしまった。
さて、話は前後するが、
「信虎に身内を殺された。」
「身内とは誰じゃ。」
「摩利支天です。」
・・・・・・そうじゃないだろ、って。
―妻を、妻を殺された。―この時代は、妻ではなく何と言っていたのだっけ。この時代のその言葉。
勘助殿、何故、そうは言ってくださらぬ。摩利支天と同じように大事な者というのはわかる。だけど、私は聞きたかった。
―妻―という言葉を。