「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

タイ 中進国の選択肢、日本の選択肢

2010-01-21 18:30:38 | 国政レベルでなすべきこと
 2008年11月下旬の「民主主義のための人民連合」(PAD)による国際空港の一週間の占拠と、2009年4月の「反独裁民主国民連合戦線」(UDD)によるパタヤーでのASEAN関連会議の暴力的な阻止行動は、タイに対する国際的な信用の大失墜を招いた。

 PADは、「黄色のシャツ」を着て反タックシン勢力、UDDは、「赤色のシャツ」を着て親タックシン勢力と言われているが、両者の対立は、民主主義の推進派と反対派の対立、王制擁護派と反対派の対立、都市の中間層と農村の貧困層の対立という国を二分するグループ間の対立で読み替えるのは適切ではない。

 なぜなら、国民の大半は、両グループのなりふり構わない実力行使にうんざりし、どちらも支持をしていない。2005年以降、タイ経済はミニバブルから不況へと転じた。原油価格の高騰とインフレの進行、世界金融危機の発生とその波及による失業の増加は、都市部も農村部も等しく襲っている。国民が望んでいるのは、政治の「改革」ではなくて、この急速に悪化している経済の悪化を建て直してくれる政治である。

 タイは今、二つの課題に直面している。
 一つは、1980年代後半に冷戦体制が崩壊し、それを契機に国内の民主化運動が大きな流れになっているなか、民主化や政治改革をどう進めるかという今後の政治体制の選択の問題である。民主主義をどのように発展させ、王制との調和をどのように図るのかという政治的な課題であり、この選択肢は、「政党政治家による政治」「市民を主役とする政治」「強い首相による政治」「国王を元首とする政治」の四つの道が考えうる。
 もう一つは、1990年代半ばに、「中進国」となったが、同時に、消費社会や情報社会が到来し、少子・高齢化の進展、精神的ストレスの増加、高等教育の大衆化が起こってきた。今のグローバル化や経済の自由化の流れに対し、かつて「微笑みの国」と言われた「タイらしさ」を維持しつつどのように対応していくかという経済社会的な課題である。選択肢として、中進国タイの制度や価値意識を、国内外の新しい環境に適合したものに変えていこうとする現代化の道と、グローバル化とそれに付随して生じている経済の自由化が、不可避的にもたらす不確実性や不安定性に対抗し、王制を軸に社会の公正と安定を優先させる道の二つがある。

 二つの課題の起点はいずれも、1988年と考えられる。
 政治的な課題でいえば、1988年は、政党政治の本格的な開始年になった。政党政治の開始は政治の腐敗のさらなる増殖を招き、そのため、クーデタが勃発し、五月流血事件、憲法改正運動を経て、1997年憲法へと帰結した。この「人民の憲法」と賞賛された憲法は、タックシンという「強い首相」を作り出した。そして、2006年のクーデタ以後の政治は、タックシン体制の根絶か、それともその復活かを軸に、先行き不透明な政治抗争を繰り返している。
 経済的な課題で言えば、1988年がタイにとって経済ブームの出発の年になった。その後の経済の拡大や社会変化はすべてここから始まった。経済拡大はバブルを引き起こし、バブルの崩壊は通貨危機に発展する。そして、この通貨危機が、一方では「国の開発」より「国民の幸福」を重視する開発計画の転機となり、他方では、タックシン首相の「国の改造」の発想の源となった。

 中進国タイで起こっている経済社会的な課題は、グローバル化した今、世界中が同時に似たようなトレンドで経験したであろうし、世界第二位の経済大国の地位を今年、中国に明け渡すことになるであろう先進国日本でも経験していると考える。今、日本人の選択肢もまた、「現代化への道」を突き進むのか、足るを知り、心の満足度を重視する「社会的公正の道」を選ぶのかという分岐点に来ているのではないか。

 タイ人と同じような悩みを私は経験していると思うのである。例えば、私が関わっている築地市場移転問題でも、土壌汚染問題を抜きにしていうのであれば、市場移転することで、物流センターをつくり、卸から仲卸を飛ばして大手物販店に直接品物が流れやすくする仕組みで、“安さ”を優先させた商品を供給するという「現代化」への道と、市場流通の構造を守り、古くからの仲卸という取引の段階を守ることで、大資本に生産者や消費者、街の小売が脅かされることなく、また、商品の“品質”や“安全性”、“味”を守っていくという「社会的公正」の道の分岐点にいまあるのではないだろうか。

 市場移転に関わらず、再開発問題、学校改築問題、歌舞伎座取り壊し問題など、問題の構造は類似している。なら、どう解決するか。それは、情報公開のもときちんと議論していく中で、「両者が完全に相互に排他的な関係にはない」というところから折衷をさぐりつつ、見い出されると信じている。タイでは徳を兼ね備えた王の存在が大切なように、徳を兼ね備えた政治家をきちんと選ぶこともまた肝要である。
 

*『タイ 中進国の模索』 末廣昭 著を参考にして

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする