*****裁判所法*****
第三条 (裁判所の権限) 裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。
○2 前項の規定は、行政機関が前審として審判することを妨げない。
○3 この法律の規定は、刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない。
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Q君 裁判所法3条の「一切の法律上の争訟」の例外を説明してください。
A先生
1)憲法が明文で認めたもの~議員の資格争訟、裁判官弾劾裁判
2)国際法によって定められたもの~国際法上の治外法権、条約による裁判権の制限
3)事柄の性質上裁判所の審査に適さないもの~議院の自律権、行政裁量・立法裁量
統治行為、団体内部の事項(部分社会論)
Q君
十分な審議を行わないままに、国民生活に重大な影響を与える法律(たとえば、共謀罪など)が、衆参両院において強行採決で可決成立した場合、当該法律によって(訴追されるなどして)不利益を受ける国民は、法律の成立過程に瑕疵があって、法そのものが違憲の存在であるという主張を行うことができますか?
A先生
自己に適用される法律が違法であることを争う審理には、二段階の審査があり、裁判所には、これに対応した二つの審査権があります。
一つは、成立過程に国会法等に反する瑕疵があるかどうかという形式的審査権。もう一つは、当該法律が憲法に反するかどうかの実質的審査権です。
明治憲法下の通説は、実質的審査権(違憲審査権)は否定していましたが、形式的審査権は肯定していました。
そうすると、実質的審査権を付与された日本国憲法の下で、形式的審査権を放棄する理由がないことになります。
裁判所の形式的審査権は、法の支配からみると当然の権限であって、自律権を侵害することにはなりません。
重要な人権であれば、以下述べますが、なおさら、形式的審査権を行使すべきであります。
*ワンポイントアドバイス
形式的審査権と実質的審査権の違いは、刑事事件・行政事件における、手続的違法と実体的違法の違いとパラレルに考えると分かりやすいはず。行政事件であれば、脱税で起訴され、課税処分の違法性を争う場合は、手続的違法(課税のための調査がプライバシーを侵害したなど)の主張と、実体的違法(税法の解釈適用が誤っている)の二つの主張がなされる。
<自律権>
Q君
自律権に属する行為を説明してください。
また、自律権に属する行為はどのような理由から、裁判所が審査できないのかを説明してください。
A先生
議院の自律権とは、各議院が内閣裁判所など他の国家機関や議院か監督や干渉を受けることなく、その内部組織及び運営等に関し自主的に決定する権能のことをいいます。
内部組織に関する自律権と運営に関する自律権があります。具体的には、審議が国会法・議院規則に違反していることの審理と懲罰の審理です。
なぜ、自律権が司法審査の対象外かというと、司法権の独立とちょうど逆に考えると分かりやすいです。
重要な法案の審議(イラク戦争関連法案とかを想定してください)をどのように進めるか、という問題は、国会からみると、国民の民意を背景にして必要な法案を成立させることであり、それは高度の政治性を有し、さまざまな判断を必要とすることから、他の国家機関の干渉に本来的にはなじみません。端的に言うと、権力分立に反するということです。
懲罰についても、その事情をよく知っている内部の判断が尊重されるべきであり、裁判所が審査をすることは、権力分立に反することになります。
Q君
自律権とされる事項が審査できないという説には、どのように反論が可能でしょうか?
A先生
第一に、上で指摘したように、形式的審査権が当然裁判所にあるはずであること。
第二に、人権が問題となっているときに、三権分立を持ち出すのは矛盾しています。
そもそも、三権分立は何のためにあるのか、という点を無視しています。
権力分立は、一つの権力(特に政治部門)が人権を抑制しないように相互をチェックするためのものであります。三権分立を持ち出して、人権侵害の可能性のある法律の審査を否定するのは問題です。
また、懲罰権の場合は、議員の人権が問題となることから、権力分立原理を持ち出すことは説得力がありません。さらに、懲罰権は、少数会派の排除に用いられることが多いことから、デモクラシーの過程を維持する役割を担う裁判所が、審査をするのはむしろ必要なことであります。
<裁量行為>
Q君
裁量行為の当不当と裁量行為の濫用・逸脱は、法的効果にどのような違いがあるかを説明してください。
A先生
ある行政行為が、行政庁の自由裁量に委ねられていると判断された場合は、裁量権の範囲内であれば、違法性は生じません。裁量権が逸脱・濫用した場合に違法になります。(行政事件訴訟法30条参照)。
例 典型的な自由裁量行為である公務員の懲戒処分の場合、比例原則におおむね従っているときは、違法にはなりません。痴漢と泥棒は、懲戒免職。度重なる遅刻は一カ月の停職など。しかし比例原則に反したり、別の理由で(組合つぶしなど)処分をしたりするのは、裁量権の逸脱・濫用になる。
逸脱は処分の目的に反するもの、濫用は比例原則に反するなどして、度を越したり、過度に人権を侵害する内容となったりするもの、というように考えておくとよいでしょう。(逸脱と濫用が重なる場合もあって、概念的にはっきりと区別することが難しいのです。)
では不当な裁量行為とは何か? 少し「やりすぎた」(軽度な比例原則違反・行政担当者から見て職務の目的からはずれる)場合など。不当な裁量行為は、行政不服審査によって是正されます。
立法裁量の場合は、国会が裁量権を逸脱・濫用したものは、違憲となります。
国会が不当な立法裁量を行ったと非難することは可能であるが、それは裁判所によって救済されないし、不当性が司法過程で是正されることはないです。裁判所の違憲審査権の範囲外であります。
Q君
生存権・生活保護法を例にとって、立法裁量と行政裁量の違いを説明してください。
A先生
生存権に係る立法裁量は、生存権を具体化する立法(生活保護法)を行う、行わないという裁量と、生活保護法をどのような内容にするか、という二段の裁量があります。
判例は、プログラム規定説を採っていなくて(採っていると裁量権はない)、国会に広い裁量権があると言っている(堀木訴訟の「具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられていて」という記述を参照してください。)。
生存権に係る行政裁量は、生活保護法の執行の問題であります。生活保護の認定基準等をどのような内容・レベルにするかどうかは、行政庁である厚生労働大臣の裁量行為であります(朝日訴訟判決 )。
(注意 なお、朝日訴訟判決が憲法25条1項をプログラム規定説と解釈しているとしているテキストもあります。判決文を読むと確かに、判決当時は、プログラム規定説ととることができますが、今の判例理論は、堀木訴訟判決等に見られるように、生存権については、立法府に広い裁量を与えるという説を採っているので、抽象的権利説に近いものとなっています。)
Q君
立法裁量は広い場合と狭い場合を分けて考えるべきであるとしていますが、立法裁量が狭い場合とはどのような場合を指すと考えるべきでしょうか。また、判例は、どういう領域について広い立法裁量を認めていますか。
A先生
立法裁量が狭い領域とは、裁判所が積極的に違憲審査権を行使すべき領域であるので、精神的自由、経済的自由の消極的規制、選挙についての規制です。
ただし、判例は、精神的自由については、信教の自由以外は、それほど立法裁量を狭いととらえているわけではありません。
逆に広い領域は、経済的自由の積極的規制、租税政策、社会福祉の領域です。
<統治行為>
Q君
統治行為とは何かを説明してください。
また、統治行為を否定する説が主張されていますが、その根拠を説明してください。
A先生
統治行為とは、直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為で、法律的な判断が可能であるのに、(事柄の性質上、)司法審査の対象から除外される行為です。
ポイントとなる要素としては、1)高度な政治性があって、2)法律的な判断が可能であるのに裁判所が判断しない行為であります。
否定説の論拠は、以下です。
形式的理由 ○81条には除外事由がないので、あらゆる国家行為の審査が可能である。
○98条の最高法規性の宣言から違憲な行為はすべて存在しえないはずである。
実質的理由 ○法治主義に反する。
○権力分立によって人権を保障することの意味が没却される。
○司法権の独立が保障されている以上、政治紛争に巻き込まれることはない。
○多数決に抵抗し、匡正作用を発揮することが裁判所の使命であるのに、政治性(つまり多数決)を理由に統治行為の存在を肯定するのは矛盾している。
○統治行為の概念があいまいであるので、本来裁判所が救済しなければならない事件についても用いられる危険性がある。
******憲法*******
第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
Q君
統治行為についての代表的判例を挙げて、説明してください。
A先生
砂川事件では、「安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査の原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。」と判示しました。
砂川事件は、政治部門の自由裁量の要素を残した「準統治行為論」を採用した。
苫米地事件では、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきものである。」と判示しました。
苫米地事件は、純粋な統治行為論を採用しました。また、その根拠づけとしては、内在的制約説を採用しました。
Q君
砂川事件の「一見極めて明白に違憲無効である」とはどういう意味か説明してください。
A先生
条約の違憲性の判断は、政治部門の自由裁量でありますが、裁量権の行使が逸脱・濫用した場合は、違憲無効になるという意味です。
一見極めて明白に違憲とは、裁量権行使の枠組みを超えた場合を指します。したがって、裁判所は、政治部門による裁量権の濫用があったかどうかを審査できることになるので、砂川事件型統治行為(準統治行為)は、純粋な統治行為(苫米地事件型)とは、その点が異なります。
Q君
統治行為の自制説と内在的制約説について説明してください。また、芦部説はどの立場をとっているのですか。
A先生
自制説は、司法審査を行うことによる混乱を回避するために裁判所が自制すべきであるとします。自衛隊・安全保障問題のような事件に対する判断を下すことは、司法部に対する批判を招き、政治紛争に巻き込まれる可能性があるということを重視しています。
内在的制約説は、非民主的で政治責任を負うことがなく、能力的な限界のある裁判所には、本来的に審査の対象外の事項がある、という見解であります。権力分立の概念からも、そのような判断は、政治部門に委ねられていると解するべきである、としています。
芦部説は、内在的制約説を基本にしながら、自制説の要素を加味すべきであると考えます。
すなわち、裁判の結果生じる事態、司法の政治化の危険性、司法手続の能力的限界、判決の実現性(以上は自制説的要素)と、政治過程の維持・権利保護の必要性(以上は否定説的要素)のバランスをとって慎重に、ケースバイケースで判断すべきであるとします。また、できる限り、他の理由で説明できるもの(裁量行為・自律権など)、裁判所の基本的な使命に属するものについては、統治行為を用いるべきではない、としています。
Q君
統治行為を回避する方法の一つとして、違憲判決において、「違憲判断」と「効力」分離する考え方がありますが、どのようなものかを具体的な判例を挙げて説明してください。
A先生
当該法令・処分が違憲であることを宣言しつつ、その効力を発生させない手法であります。
行政事件訴訟法の事情判決の考え方を応用したものである。
衆議院議員定数違憲判決「衆議院議員選挙が憲法に違反する公職選挙法の選挙区及び議員定数の定めに基づいて行われたことにより違法な場合であっても、それを理由として選挙を無効とする判決をすることによって直ちに違憲状態が是正されるわけではなく、かえつて憲法の所期するところに必ずしも適合しない結果を生ずる判示のような事情などがあるときは、行政事件訴訟法三一条一項の基礎に含まれている一般的な法の基本原則に従い、選挙を無効とする旨の判決を求める請求を棄却するとともに当該選挙が違法である旨を主文で宣言すべきである。(事情判決)」判例 S51.04.14 大法廷・判決
Q君 この事情判決方式はどういうメリットがあるのですか。
A先生
自制説が懸念する混乱を回避しつつ、積極的に違憲判決を行使することができるようになります。
<部分社会論>
Q君
部分社会論について説明してください。
部分社会論に否定的な考え方がありますが、その根拠を説明してください。
A先生
部分社会論とは、地方議会・大学・政党・労働組合など、一般社会の中にあって、これとは別個に自律的な法規範を有する部分社会に対しては、その内部的紛争はすべて司法審査の対象とならないという見解です。
富山大学単位不認定事件
「裁判所は、憲法に特別の定めがある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するのであるが(裁判所法三条一項)、ここにいう一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争を意味するものではない。すなわち、ひと口に法律上の係争といっても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上裁判所の司法審査の対象外におくのを適当とするものもあるのであつて、例えば、一般市民社会の中にあってこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。」「それゆえ、単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであつて、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。」
以上のように、判例は、司法審査の対象の可否を考察するにあたっては、一般市民法秩序と直接の関係を有するかどうかを決め手としています。
紛争に係る各団体の設立目的・性質・機能・憲法上の根拠の相違に応じ、かつ紛争の性質や権利の性質等を考慮にいれて考えるべきであって、法秩序の多元性を理由として、部分社会論を機械的に当てはめて、司法審査を否定すべきではないとしています。
よって、部分社会論に対する否定的な考え方では、ケースバイケースで判断すべきであって、部分社会論を一律に当てはめるべきではないとします。
Q君
判例は除名または退学とそれ以外の内部の処分に分けて判断しているがそれはなぜですか。
また、判例の問題点は、なにかありますか。
A先生
判例理論の含意は、「部分社会の自律性を尊重し、できる限り内部で解決する方が、結果的には個人の人権保障と団体の自主性の維持に資するし、部分社会を抜け出す場合は、もはや市民社会の規範で裁判をすることが人権保障に適う」ということにあります。また、このような判例理論は、わかりやすいことから、法的安定性にも適います。
さらに、「自主的にその社会に入ったのである以上、その内部にいる限りはその規範に従うべきである」という含意もあります。
注 含意(implication)とは、暗黙のうちにその中に含まれている意味のこと。
判例に対する批判点は、以下が考えられます。
1)「一般市民社会の法秩序」の意味が曖昧である。
2)部分社会の外に出なくても、重大な不利益を被ることがありうる。小さな不利益でも、卒業認定などの大きな不利益との因果関係が認められる可能性がある。
3)部分社会という概念が、人権制約の理由として用いられる。
4)個人の権利を団体の利益に優先させることになりかねない。
5)多元的な法秩序に従うことが、必ずしも人権保障につながらない場合がある。特に、強制加入団体(税理士会など)において、当該ルールを強制される場合は裁判的救済を保障する必要がある。
6)団体の性質に着目した、ケースバイケースの判断がなされていない。政党は公的資金を導入されていることから、むしろ公的機関に近い存在であり、内部での非民主的な統制は許されない。ただし、判例は、日本共産党袴田事件で、次のように述べる。
「政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがって、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。」
7)団体内部の少数者を救済できなくなる恐れがある。
8)重大な人権侵害がありながら、一方で、団体に所属する利益がある場合は、比較衡領して、権利侵害が大きいときは、司法的救済を行う必要がある。
Q君
部分社会論を事件性の要件という点から考察すると、どのように説明できますか。
A先生
判例理論は次のとおり。
事件性の要件のうち、第一要件については、一般市民社会秩序に直接関係することが、それを充足することになります。
第二要件については、第一要件が満たされると、一般市民法秩序の法を適用して最終的に解決できることになります。
Q君
富山大学単位不認定事件で、原告側としては、単位不認定に対してどのように主張して争うことができますか。弁護士の立場で考えればどうでしょうか。
A先生
以下、反論が可能でしょう。
1)学説に基づく主張としては、単位不認定が重大な不利益であり、裁判による救済が必要であると主張する。
2)判例に理論に基づいた主張としては、単位の不認定が、卒業などに影響を与え、一般市民社会秩序に直接関係すると、主張する。
3)当時国立大学であったことから、不利益を課した単位認定手続が31条の適正手続に違反すると主張する。
4)単位認定が裁量行為であることから、裁量権の逸脱濫用であり、学習権の侵害につながると主張する。
以上