芦部『憲法』第6章 一 人権と公共の福祉 に関連しています。
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Q君
人権が制約される局面として、どんな場合がありますか。
A先生
次の3つの場合に想定されます。
1)権利行使が他者に害を与える場合。
2)権利行使が他者の正当な権利ないしは利益と衝突する場合。
3)権利行使が社会全体の利益にとってマイナスになる場合。
それぞれの場合を具体例を挙げてみます。
1)権利行使が他者に害を与える場合。
政治団体の街宣車がフルボリュームで、音楽を流すことは、彼らの表現の自由の行使ではあるが、市街地の平穏を乱し、市民に不快感を与えていることから、他者に害を与えている。人権は、まず、他者に迷惑をかけてはならない、という制約がある。
2)権利行使が他者の正当な権利ないしは利益と衝突する場合。
マスコミが、有名人のプライバシーや名誉を傷つける報道を行う場合は、マスコミの表現の自由(報道の自由)と有名人のプライバシーが衝突する。表現の自由もプライバシーもともに、極めて重要な人権である。
3)権利行使が社会全体の利益にとってマイナスになる場合。
空港や高速道路を建設する際には、その用地を買収しなければならないところ、地権者が用地買収に協力してくれない場合は、建設が遅れ、社会全体に大きな不利益を与える場合がある。
Q君
憲法で、公共の福祉の制限がついている条文とは。
A先生
12条・13条・22条・29条
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
○2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
Q君
一元的外在的制約説とは何ですか。
A先生
人権に内在する制約ではなく、公共の福祉という、「社会全体の利益や要請」を理由にして人権の制約を正当化する説です。
いわば、人権を制約する側の公権力が、国民に有無を言わせずに、公共の福祉を人権制約の「ジョーカー(切り札)」として用いることを可能にする説であります。
切り札としての人権の逆であると考えるとわかりやすいです。
この考え方をとると、容易に人権制約が正当化される恐れがあります。
Q君
一元的外在的制約説をとった場合、「ひいては、明治憲法における「法律の留保」のついた人権保障と同じことになってしまわないか」とはどういう意味ですか。
A先生
法律の留保は、法律に根拠がある限り人権をかなりの程度、制約することができますが、この一元的外在的制約説でも、公共の福祉という言葉を根拠にすれば、人権を制約することができることを意味します。
Q君
内在・外在二元的制約説とは何ですか。
A先生
以下、三つの考え方です。
1)12・13条は訓示的規定で裁判規範にならない。
2)22・29条と社会権は公共の福祉による制限(外在的制約)を受ける。
3)上記以外の人権は、内在的制約のみを受ける。
Q君
一元的内在的制約説とは何ですか。
A先生
以下の考え方です。
1)公共の福祉とは、人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理である。
注 社会権でさえも、それを厚く保障すると他者の経済的自由と衝突する。
税率のアップは、財産権の行使を制約するからである。
2)公共の福祉は、すべての人権に内在する。
3)自由権を各人に公平に保障するために人権制約を根拠づけるときは、必要最小限の規制を認める。
4)社会権を保障するために、自由権を規制するときは、必要な限度の規制を認める。
Q君
比較衡量論と公共の福祉はどういう関係にあるのですか。
A先生
比較衡量論は、人権相互の矛盾衝突の調節という公共の福祉原理を具体化し、人権の限界を明確にするために存在します。(芦部憲法�P208)
Q君
比較衡量論における、A「それ(ある自由)を制限されることによって得られる利益」とB「それを制限しない場合に維持される利益」を、判例ではどのように認定していますか。
A先生
博多駅事件(判例集�-4-33)を具体的に考えてみます。
Aの「制限されることによって得られる利益」は、公正な刑事裁判の実現です。
一方、Bのそれを制限しない場合に維持される利益は、「報道の自由」であり、ひいては、「将来の取材の自由が妨げられるおそれ」であります。
なお、判例は、報道の自由そのもの妨げられるとは述べていません。
Q君
比較衡量論の問題点とは、
A先生
比較の基準が明確ではなく、また、何を利益として拾い上げるかが、裁判所の裁量にゆだねられていることです。
たとえば、上述の博多駅事件で、Bの利益を判例は、将来の取材活動が妨げられるおそれとしているが、報道の自由そのものとか、取材活動ができなくなるという不利益というように重くとることもできるはずであるが、判決では、狭くとっています。
さらに、国の利益が重く認定される可能性があることです。
そうすると、結局は、法律の留保論=一元的外在制約説と、実質的に変わらない論理構成になってしまいます。
Q君
二重の基準論とは?
A先生
「裁判所が議会の制定した法律の合憲性を審査する場合には、表現の自由を制約する立法と経済的自由を制約する立法では、異なる態度で挑むべきである」という理論です。
Q君
二重の基準論を用いた場合、表現の自由以外の一般的な自由は、合憲性の推定を受けると言われています。
「合憲性推定」とは?
A先生
合憲性の推定とは、立法府の下した判断に合理性があるということから来ています。
これは、選挙を経て、民意が反映され、国会という公開された場所で十分な討論を経て成立した立法には、おそらく、関与する行政の立法作業も含めて、ある程度の合理性が存在するであろうと、推定できるという姿勢です。
逆に言えば、裁判所は高度な経済問題などには、審査能力や判断能力が十分でないことが指摘できます。
Q君
では、表現の自由には、合憲性の推定が働かず、裁判所は違憲が疑われる立法については、厳しく審査すべきであるとされています。
なぜですか。
A先生
表現の自由は、傷つきやすく、かつ、いったん傷つくと自己回復が困難であることからきています。
傷ついた表現の自由は、萎縮し収縮する方向に進んでいきます。
治安維持法ができる前は、治安維持法についての批判をすることが可能であるが、いったん同法制定されると、表現の自由を収縮・萎縮させる同法に対する批判をすることが禁じられることから、表現活動がさらに、収縮する方向に進んでいきました。
Q君
二重の基準論の考え方に関連して、裁判所の役割を考え直すと。
A先生
裁判所は、以下の三点について基本的な役割を担うものであると考えられます。
�選挙権・政治的表現の自由のような民主主義の基盤を維持するために必要な自由を保障する。
�マイノリティーの権利を保障する。マイノリティーは、票も政治資金もなく、政治過程において発言力がないから。
�信教の自由・思想良心の自由のような、人格的生存に係る権利を保障する。
以上
*****小坂メモ*****
�テキストP101~P102の�の記述の意味を説明しなさい。
表現の自由中では、政治的表現の自由・集会結社の自由が最も厳しい基準(厳格審査)で審査すべきものであり、表現内容中立規制がこれに続く(中間審査)。しかし、わいせつ表現・プライバシーを侵害する表現・差別的言論・商業的言論(CMや広告など)などに対する規制立法は、厳格な審査はなされない。一方、経済的自由のうち、消極的規制については、表現の自由の表現内容中立規制と同程度の審査基準が適用する。テキストの意味は、この部分は、表現の自由と経済的自由の審査基準は重なっていることを指す。