憲法学者 蟻川恒正先生が、今般の文書改ざん問題を分析下さっています。
全体の奉仕者たる公務員のありかたを論じて下さっています。
公文書が改ざんされる等あってはならないことが、起きています。残念なことです。
中央区でも、文書が適切に保存され、情報が公開される仕組みを担保していかねばならないと考えます。
中央区のまちづくりにおいて、あまりにも一民間の任意団体にすぎない再開発準備組合側に偏った形で政策提案がなされる状況が、見られます。例えば、現在「月島三丁目北地区再開発」の都市計画原案として提案されている区道821号線廃道やわたし児童遊園2階移設について、中央区は、地域住民の声を聞かないまま都市計画素案や原案が作成されました。
形式的には、まちづくり協議会などで聞いた形を整えようとしていますが、まちづくり協議会において実質的な議論はなされませんでした。
まちづくりは、区民の皆様の土地建物や住環境に直接影響を及ぼすものであり、全体の奉仕者として、中央区は努力をすべきであると考えます。
****憲法 参照****
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
○3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
○4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第六十五条 行政権は、内閣に属する。
第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
○2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
○3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
********************************
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13450006.html
(憲法季評)文書改ざんの構造 公務員の「常識」を壊すな 蟻川恒正
2018年4月14日05時00分
園児に教育勅語を暗誦(あんしょう)させる教育方針を採っていた森友学園に対し政府が破格の安値で国有地の払い下げを行った問題で、先月12日、財務省は、学園側と直接交渉に当たった近畿財務局が作成した14の決裁文書につき、昨年2月下旬から4月にかけて改ざんが行われたことを認めた。現理財局長らは、改ざんは、決裁文書に記された内容と異なる事実を説明した前理財局長の国会答弁との整合性を図る目的でなされたと説明したが、自分や妻が関与していたら総理大臣も国会議員も辞めると啖呵(たんか)を切った昨年2月17日の安倍晋三首相の国会答弁に配慮し、とりわけ安倍昭恵氏の関与が疑われる記述を丸ごと削除することが改ざんの主たる目的ではないか、との疑義が強い。
そのためであろう、当時の理財局は首相答弁も含め政府全体の答弁を気にしていたと現理財局長が発言し始めたことに対して、ある与党議員が、安倍政権を倒すために「変な答弁」をしているのかと現理財局長に迫る一幕があった。現理財局長は、色をなして、次のように反論した。「私は公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事なので、それを言われると、さすがにいくら何でもそんなつもりは全くありません。それはいくら何でも、それはいくら何でもご容赦下さい」
これは、一般的な官僚答弁ではない。抑えてはいても感情はあらわになっている。質問に対する強い拒絶の意思が看(み)て取れる。この質問はいかにも酷(ひど)い。この質問者が擁護しようとした一人、麻生太郎財務相すら「軽蔑する」とコメントしたほどである。強い拒絶は当然であろう。
*
けれども、同時に問うべきは、この発言に表れた現理財局長の公務員観である。「公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えするのが」公務員の「仕事」だと言って、はたしていいのだろうか。日本の官僚たちは、この「お仕えする」という言葉をごく普通に用いるようであり、この言葉を用いても決して政治家に隷属する旨を意味しているのでないことも確かである。けれども、この言葉を使うのにあまりに慣れると、「公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(憲法15条2項)という精神から遠ざかり、直接「お仕えする」大臣等「一部」の政治家の利益にもっぱら「奉仕」し、「全体」に「奉仕」するという本来の職責を忘れがちになるのではないか。その行き着いた先が、ほかならぬ決裁文書の改ざんだったのではあるまいか。
だが問題の根は、公務員の側よりも政治家の側にある。この文書改ざん問題では前理財局長が国会で証人喚問を受けたが、これについて萩生田光一自民党幹事長代行は、前理財局長が首相と夫人の関与を否定したことを取り上げ、偽証罪のリスクを抱えながら「役人の最後の矜持(きょうじ)」を示したものと評価した(時事通信4月2日付)。この発言の真意がどこにあれ、官僚はその発言から、「お仕えする」政治家やその身内を守ることが公務員の職責だというメッセージを受け取るに違いない。
政治家からこうしたメッセージが繰り返し流されれば、圧力や、まして直接の指示などなくとも、官僚は、時の権力者に自発的に服従するようになるだろう(2014年に設置された内閣人事局で人事を握られていればなおさらである)。いわゆる「忖度(そんたく)」である。官邸からの働きかけがあったか否かはともかく、改ざんは、この構造の中で行われた。
*
今般の改ざんは、決裁文書中の「本件の特殊性」と書かれた部分を中心に行われた。改ざんは、この土地取引への歴史的検証を不可能にする以前に、近畿財務局の通常の業務遂行を困難にする。これらの文書が、一般の決裁文書では考え難いまでに克明に経緯を記したのは、無理に無理を重ねて払い下げを認めたのはこれだけ特別な事情があったからだと詳述することで、不可抗力が働いたことを暗に主張し、同財務局の担当部署が自らの責任を回避するためだったかもしれない。同時に、再び「政治家」案件が来たときに備えて、森友学園の事案との比較を可能にし、本件ほどの特殊性がない事案には、こうした判断を適用しないとする対応を確保するためだとも考えられる。その「本件の特殊性」を削除してしまうのだから、爾後(じご)の判断の指針が失われ、真っ当な行政活動ができなくなる。
近畿財務局で改ざん作業に従事させられたと推測される一人の職員が、心身の平衡を崩し、休職を余儀なくされた上、自ら命を絶ったと報道されている。その職員は、親族に次のように漏らしていたという。「自分の常識が壊された」
その職員のいう「常識」は、政治家に「お仕えする」ことでも、政治家とその身内を守ることでもない。「特殊」は「特殊」と受け止め、「特殊」と「一般」の判別基準が恣意(しい)的にならぬよう、文書管理を含めた日常業務を真面目に行うことである。そうすることが、公務員が「全体の奉仕者」でいられる最低限の方法である。現在「行政権の行使」(憲法66条3項)に当たっている内閣が壊したのは、「行政権」(憲法65条)そのものである。
◇
ありかわ・つねまさ 1964年生まれ。専門は憲法学。日本大学大学院法務研究科教授。著書に「尊厳と身分」「憲法的思惟」。
全体の奉仕者たる公務員のありかたを論じて下さっています。
公文書が改ざんされる等あってはならないことが、起きています。残念なことです。
中央区でも、文書が適切に保存され、情報が公開される仕組みを担保していかねばならないと考えます。
中央区のまちづくりにおいて、あまりにも一民間の任意団体にすぎない再開発準備組合側に偏った形で政策提案がなされる状況が、見られます。例えば、現在「月島三丁目北地区再開発」の都市計画原案として提案されている区道821号線廃道やわたし児童遊園2階移設について、中央区は、地域住民の声を聞かないまま都市計画素案や原案が作成されました。
形式的には、まちづくり協議会などで聞いた形を整えようとしていますが、まちづくり協議会において実質的な議論はなされませんでした。
まちづくりは、区民の皆様の土地建物や住環境に直接影響を及ぼすものであり、全体の奉仕者として、中央区は努力をすべきであると考えます。
****憲法 参照****
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
○3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
○4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第六十五条 行政権は、内閣に属する。
第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
○2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
○3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
********************************
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13450006.html
(憲法季評)文書改ざんの構造 公務員の「常識」を壊すな 蟻川恒正
2018年4月14日05時00分
園児に教育勅語を暗誦(あんしょう)させる教育方針を採っていた森友学園に対し政府が破格の安値で国有地の払い下げを行った問題で、先月12日、財務省は、学園側と直接交渉に当たった近畿財務局が作成した14の決裁文書につき、昨年2月下旬から4月にかけて改ざんが行われたことを認めた。現理財局長らは、改ざんは、決裁文書に記された内容と異なる事実を説明した前理財局長の国会答弁との整合性を図る目的でなされたと説明したが、自分や妻が関与していたら総理大臣も国会議員も辞めると啖呵(たんか)を切った昨年2月17日の安倍晋三首相の国会答弁に配慮し、とりわけ安倍昭恵氏の関与が疑われる記述を丸ごと削除することが改ざんの主たる目的ではないか、との疑義が強い。
そのためであろう、当時の理財局は首相答弁も含め政府全体の答弁を気にしていたと現理財局長が発言し始めたことに対して、ある与党議員が、安倍政権を倒すために「変な答弁」をしているのかと現理財局長に迫る一幕があった。現理財局長は、色をなして、次のように反論した。「私は公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事なので、それを言われると、さすがにいくら何でもそんなつもりは全くありません。それはいくら何でも、それはいくら何でもご容赦下さい」
これは、一般的な官僚答弁ではない。抑えてはいても感情はあらわになっている。質問に対する強い拒絶の意思が看(み)て取れる。この質問はいかにも酷(ひど)い。この質問者が擁護しようとした一人、麻生太郎財務相すら「軽蔑する」とコメントしたほどである。強い拒絶は当然であろう。
*
けれども、同時に問うべきは、この発言に表れた現理財局長の公務員観である。「公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えするのが」公務員の「仕事」だと言って、はたしていいのだろうか。日本の官僚たちは、この「お仕えする」という言葉をごく普通に用いるようであり、この言葉を用いても決して政治家に隷属する旨を意味しているのでないことも確かである。けれども、この言葉を使うのにあまりに慣れると、「公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(憲法15条2項)という精神から遠ざかり、直接「お仕えする」大臣等「一部」の政治家の利益にもっぱら「奉仕」し、「全体」に「奉仕」するという本来の職責を忘れがちになるのではないか。その行き着いた先が、ほかならぬ決裁文書の改ざんだったのではあるまいか。
だが問題の根は、公務員の側よりも政治家の側にある。この文書改ざん問題では前理財局長が国会で証人喚問を受けたが、これについて萩生田光一自民党幹事長代行は、前理財局長が首相と夫人の関与を否定したことを取り上げ、偽証罪のリスクを抱えながら「役人の最後の矜持(きょうじ)」を示したものと評価した(時事通信4月2日付)。この発言の真意がどこにあれ、官僚はその発言から、「お仕えする」政治家やその身内を守ることが公務員の職責だというメッセージを受け取るに違いない。
政治家からこうしたメッセージが繰り返し流されれば、圧力や、まして直接の指示などなくとも、官僚は、時の権力者に自発的に服従するようになるだろう(2014年に設置された内閣人事局で人事を握られていればなおさらである)。いわゆる「忖度(そんたく)」である。官邸からの働きかけがあったか否かはともかく、改ざんは、この構造の中で行われた。
*
今般の改ざんは、決裁文書中の「本件の特殊性」と書かれた部分を中心に行われた。改ざんは、この土地取引への歴史的検証を不可能にする以前に、近畿財務局の通常の業務遂行を困難にする。これらの文書が、一般の決裁文書では考え難いまでに克明に経緯を記したのは、無理に無理を重ねて払い下げを認めたのはこれだけ特別な事情があったからだと詳述することで、不可抗力が働いたことを暗に主張し、同財務局の担当部署が自らの責任を回避するためだったかもしれない。同時に、再び「政治家」案件が来たときに備えて、森友学園の事案との比較を可能にし、本件ほどの特殊性がない事案には、こうした判断を適用しないとする対応を確保するためだとも考えられる。その「本件の特殊性」を削除してしまうのだから、爾後(じご)の判断の指針が失われ、真っ当な行政活動ができなくなる。
近畿財務局で改ざん作業に従事させられたと推測される一人の職員が、心身の平衡を崩し、休職を余儀なくされた上、自ら命を絶ったと報道されている。その職員は、親族に次のように漏らしていたという。「自分の常識が壊された」
その職員のいう「常識」は、政治家に「お仕えする」ことでも、政治家とその身内を守ることでもない。「特殊」は「特殊」と受け止め、「特殊」と「一般」の判別基準が恣意(しい)的にならぬよう、文書管理を含めた日常業務を真面目に行うことである。そうすることが、公務員が「全体の奉仕者」でいられる最低限の方法である。現在「行政権の行使」(憲法66条3項)に当たっている内閣が壊したのは、「行政権」(憲法65条)そのものである。
◇
ありかわ・つねまさ 1964年生まれ。専門は憲法学。日本大学大学院法務研究科教授。著書に「尊厳と身分」「憲法的思惟」。