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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

表と裏と、内

2023年10月02日 | こんな本も読んでみた
「小さな蕾のひとつひとつの、ほころぶということが、天地の祝福を受けている時刻のようにおもえる」
― 自分の色と形をそなえた蕾が、ある日ほころぶ。
大地が生み、太陽と雨が、あるいは雪や風が育て、まわりの種々さまざまな植生の中にあって、…。  

石牟礼道子さんの「一本の樹」(『花をたてまつる』収)という短い文章を読み返しながら、今日18歳の誕生日を迎えた孫娘Jessieをつかのま思い浮かべていた。




幅広く活躍される辻仁成氏だったので、あれこれの話題を耳にすることも多かった。それが、作品を読んでみようかと思う気持ちの邪魔をしていたようで、今ごろの遅まきながらの読者なのだが、浅からぬ作品群であることを感じている。

『白仏』は素晴らしい作品だと思った。『代筆屋』は格調高く、氏の抽斗の多さに感銘した。(何が良かったのかは置いたまま)「よかったね」と娘と言葉を交した。



『サヨナライツカ』に続けて『海峡の光』を読んだ。
「私」は函館少年刑務で看守として働いている。そこに少年時代に「私」を残忍な苛めの標的にした同級生・花井が入所してきた。18年の歳月が流れていた。
心地よい文章、言葉の力が、心理描写から緊迫を浮きあがらせ、ぐいぐい引き込まれて読んだ。

表紙絵が頭の隅っこに貼りついた。
人には、他者に見せている「表」の部分と、語らなければ他者にはわからない「裏」の影の部分とがある。普通、それはそれでそっと大事にしておいてよいものだろう。
そして、光が当たることで一瞬なりとも「内」があぶりだされたりして…。

仮出所を拒み、恩赦による出獄も拒む行動に出た花井だった。当然刑期は延長だ。彼の「闇」は語られない。
ラストシーンでは一人黙々とシャベルで土を掘り起こし、植物の種を蒔く姿を見せる。やせ細って、遠目ではまるで老人だった。
ちょっと彼の心理を聴いてみたい。

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火床

2023年09月22日 | こんな本も読んでみた
【筑豊炭田はほぼ1世紀に近い年月にわたって日本最大の火床として繁栄を誇ってきた。
我が国の資本主義化と軍国主義化を推し進める重工業の歯車が、この黒い熱エネルギーによって廻転した。三井・三菱をはじめ大小諸々の財閥が、この地底から富をすくい上げ今日の基礎を築き上げた。
(このあたりは、学校の授業で習った記憶がある)


そして、地下王国を支えてきたものは日本の資本主義化と軍国主義化のいけにえとなった民衆の、飢餓と絶望であった。
言語を絶する野蛮な搾取。奴隷的な労働の質。飢餓賃金、飢餓生活は、哀れな労働者たちの逃亡を防ぎ、使える限り奴隷としてつなぎとめておくための最も効果的な足枷でもあった。
抗夫たちの前に明日がない。それゆえ彼らは絶望も持たなければ希望も持たない。

自分が語らずにおれないのは、炭鉱の合理化問題や失業問題などではなく、虚しく朽ち果ててゆく抗夫たちの歯を喰いしばった沈黙、組織されずに倒れてゆく抗夫たちの握りしめた拳なのだ。】
…と、みずからも炭坑夫として筑豊に生きた上野英信は著書『追われゆく抗夫たち』で書いていた。


同時期に偶然に中古書店で見つけたのが、エッセイが収められた『上野英信集』だった。
ここで、漱石の『抗夫』を知った。


あまりの圧制。
読んでいて胸はふさがり、腹はふくるるばかり。さて、私はどう自分の人生の中で消化していけるだろう…。読んだこともいずれ忘れ去るのだろうか。
いくつかを選んで読んできたが、ここらで小休止と決めた。やたら気分は重く、疲れた。


 〈こほろぎの待ち喜ぶる秋の夜〉  エアコン不要で、窓を開けている。
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最初は小さな芽ばえ

2023年08月20日 | こんな本も読んでみた
本日は完全休養日。
ちょっとおおげさな? ただ何も予定がなく、家で気ままに過ごせそうだった。
午前中から気温が上がって暑い。昼を半時ほど回ったころ、暗くなった空からドシャブリの雨となったが、再び晴れあがった。


上野英信という作家の存在を知ったのは『花をたてまつる』(石牟礼道子)が最初だった。
原稿用紙の使い方も十分に知らずにいた頃、すでに交友のあった氏によって『苦海浄土』は校正され、出版へと至ったことなども記されている。
平素その名を思いだすことはない、小さな出会いだった。

それが、今夏の古本まつりで購入した『豆腐屋の四季』文庫版にあったプロフィールで、大分県に生まれた著者の松下竜一は上野英信を知ったことから記録文学に目を見開いたという経緯を知ることとなった。
上野英信の名を改めて刻んだわけだが、まだ何かがもぞもぞ…。少し前、葉室麟氏の著書で『追われゆく抗夫たち』を著した上野英信とのことを読んでいたのだ。

22才の誕生日前日に、広島で被爆したという。1964年、親子3人で筑豊炭田の一隅、福岡県鞍手に移り住んだ。子息の朱(あかし)氏は小学校2年生だった。
〈京大中退という学歴を隠して炭鉱労働者として働いた〉英信。

 

小さな好奇心は作品名をメモさせ、古書店を訪ねる楽しみに拡大した。出会ったのが『蕨の家 上野英信と晴子』だった。子息・朱氏の目から見た両親の後姿で、評伝ではないとある。
生涯ただ一つのエッセイ集『キジバトの記』の原稿を遺して亡くなったという晴子さんは、どんな方だったのだろう。
少しだけ読み進めた。

なにかに導かれるようにめぐり合わせていく運の良さ。
なんでも最初の芽生えは小さなものなのだ。でも、そこから始まる。


〈 桔梗や信こそ人の絆なれ 〉 野見山朱鳥
好きな花の筆頭格。仏に供え奉ろう。
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ほとけの手のままに

2023年08月13日 | こんな本も読んでみた

取り込もうとした干し物に、蝉が飛来していた。羽先が少し傷んでいる。放してやろうとつかんでも鳴かない。それがかえって少し寂しい気がした。
境内にある泰山木には毎年いくつもの抜け殻がしがみついている。虫取り網を持った子供たちの声がかわいかったものだが、何やらこの頃はとんと姿も見えない。
台風一過の折にはこの蝉たちはいかに。蟻たちのお掃除が始まるのだろう。



「管理責任などありませんよ。ただの寿命です」
「年をとって飲み込む力が落ちていた人が、物を詰まらせたんです。寿命以外の何物でもない」

限られた看護士の数に対して、田舎の小さな病院に入院する圧倒的な高齢者の人数。
高齢者医療の現実の中で、違和感や疑念、悩みを感じながら指導医のもとで研修医が成長していく姿が描かれていた。


娘に送ろうと中古本で購入しておいたので、せっかくだし送る前に読んでみることにした
(『勿忘草の咲く町で 安曇野診療記』夏川草介)。
看護士と若い研修医。通俗小説か? か~ぁるい安っぽいドラマのようで面白くもなんともなくゲンナリ!
…していたのだが、著者が医師でもあるという独自性がもたらす医療問題に触れ出してからは、文章がどうのではなく、語ろうとするものに固有性を感じ、一気に読み通した。

生を奪う死はまた生きる意味を与える、とどこかで目にしたが…。

  この手で 
  日々を 
  かきわけているようなれど 
  きづけば 
  仏の手のままに
     念仏詩人 榎本栄一

何一つ 自力なし。お盆にはこんなことも考えてみたい。

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一輪の花の力

2023年08月09日 | こんな本も読んでみた

  「花を奉るの辞」 

 春風萌すといえども われら人類の劫塵いまや累(かさ)なりて 三界いわん方なく昏し まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘なわるるにや 虚空はるかに一連の花 まさに咲(ひら)かんとするを聴く ひとひらの花弁 かなたに身じろぐを まぼろしの如くに視れば 常世なる仄明りを 花その懐に抱けり 常世の仄明りとは この界にあけしことなき闇の謂(いい)にして われら世々の悲願をあらわせり かの一輪を拝受して今日(こんにち)の仏に奉らんとす
 花や何 ひとそれぞれの涙のしずくに洗われて咲き出づるなり 花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸底の思いあり そを取りて花となし み灯りにせんとや願う 灯らんとして消ゆる言の葉といえども いずれ冥途の風の中にて おのおのひとりゆくときの花あかりなるを
 この世を有縁という あるいは無縁ともいう その境界にありて ただ夢のごとくなるも花かえりみれば 目前の御彌堂におはす仏の御形 かりそめのみ姿なれどもおろそかならず なんとなれば 亡き人々の思い来たりては離れゆく 虚空の思惟像なればなり しかるがゆえにわれら この空しきを礼拝す 然して空しとは云わず
 おん前にありてたゞ遠く念仏したまう人びとをこそ まことの仏と念(おも)うゆえなればなり
 宗祖ご上人のみ心の意を体せば 現世はいよいよ地獄とや云わん 虚無とや云わん ただ滅亡の世迫るを共に住むのみか こゝに於いて われらなお 地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す

                    (熊本無量山真宗寺御遠忌のために)

八月は鎮魂の月。
石牟礼道子さんの著書を取り出して、ページを繰る夜がある。
どれだけ繰り返し読んだら、ひそむ思いの底に触れられるのだろうかと思う。それでも、しみじみと心打たれるのを感じながら読み返す。
あれこれの情報やうすっぺらな知識を取り込んだ私には、深みにある人間の心を読み取る力は弱いのかもしれない。

「いくら言葉をつくしましても、人間のその一番深い奥の方にある気持ちの動きは、ほんとうは言葉では表せない。生きているものたちの魂を表現することは難しいと思うんですね」


中でも繰り返し読む「花を奉るの辞」(『花をたてまつる』収)。
 〈われらなお 地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す〉   



孫のLと遊んでいた公園で見つけた花の種。てっきりアサガオのタネだと思ってもらい受けたのだけど。
一人ばえに支えを施しておいたら、直径4センチに満たない花が咲いた。

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こくと香りの深みに

2023年07月24日 | こんな本も読んでみた

向田邦子さんの食べ物のエッセイに「もったいぶって手順を書くのがきまり悪いほどの単純なもの」という一節がありましたが、これも同様で、ソルダム酒を作りました。
材料は
  ソルダム 1kg
  レモン  4個
  氷砂糖  400g
  ホワイトリカー 1.8 ℓ

ソルダムは縦に2カ所の切り込みを入れ、氷砂糖、皮をむいて半分にしたレモン、ホワイトリカーを瓶に入れて漬け込みます。約3ヵ月で熟成。果実はこの時点でのぞきます。


『豆腐屋の四季 ある青春の記録』を読みながら、三浦しをん『月魚』を読み終えて、
思いを強くすることがある。
『豆腐屋の四季…』が書庫に収まってしまっていることがとても惜しい、ということだ。
書棚に並んでいても、縁なく終わる本は山とあるわけだが、書庫には良い本がたくさん眠っているんだろうなあと日頃思っている。


古書店「無窮堂」3代目当主・本田真志喜(24)と、幼いころから兄弟のように育った同業界に身を置く瀬名垣太一(25)。
35000冊の蔵書の査定依頼を受けた瀬名垣と真志喜。寄贈か売るかでもめる遺族に、
真志喜は言う。

「図書館に入ってしまったら本は死んでしまう。流通の経路に乗って、欲しい人の間を渡り歩ける本を、生きている本というんだ」
「図書館の蔵書になったらカバーも函も捨てられ、無粋な印を押され、書棚に並べられればまだよいが、下手をするとずっと書庫に収められたままですよ。チャリティーバザーのときにただも同然で売りさばかれるのです」
「ろくに目録もつくらず、バザーや廃品回収業者に安く払い下げられ、そういう本が古書市場に流れてくる」

文章に作品に、色気がある。キャラクターが魅力だ。
心情に葛藤あり、融和ありのドラマがあって、自分を見つめ、相手を思い、官能の色も濃く? 想像の余地があって余韻が残る。
しをんさんの世界だろう。
二人の間におきたある出来事、それによる二人の関係の展開。本当はどうだったんだろう…なんて。

大きな事件も場面転換もないけれど何度か読み返したくなる、こくと香りの深みにはまる。
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「知」のつまみ食い

2023年07月18日 | こんな本も読んでみた
「暑いときはショッピングセンターに限るよ」という娘の言葉を聞いたあと家を出たが、向かう先は書店ぐらいのものだった。
文庫本棚の前で、小学校入学前らしい二人の子を連れた女性と隣り合わせた。やがて「これにしよっ」のひと言があって、離れていった。

我が子がこのぐらいのとき、私はどんな本を読んでいたのだったか。
長女は入学までの数年間、頻繁に病院の入退院を繰り返した。彼女に付き添う合間に読んだという一冊さえ思い出すものがない。読書そのものが途切れていたとは思えないが、記憶は飛んでしまっている。


作家や詩人たちの個人全集には、刊行に当たって各出版社が販売促進と予約を募る目的で発行される宣伝用のパンフレットがある。それを「内容見本」というが、「作家による作家の魅力的な推薦文の宴のような趣がある」と中村氏は言われる。
〈名文の宝庫〉であるのに積極的な保存対象ではなく、古書店でも手に入りにくいのだそうで、ほとんど処分されたに等しいらしい。
たまたま「内容見本」を収集してきたという中村邦生氏によって、『推薦文、作家による作家の』が刊行された。

推薦文の書き手と推薦される文学者との組み合わせ、つながりに目を見開かされたり、書き手の像そのものが立ち上がるようであったりと、名のみで作品を読んでいなくても、文章を味う楽しさも与えられた。
思えば、中村氏のご苦労なしに私たちの目に触れえない貴重な一冊である。
図書館で借りたあと、再読のためにこれをわずか677円で買った。


「膨大な努力と時間を費やして考察した先人の思想をわずかな対価と引き換えに、ひょいとつまみ食いする」ことに感じる「うしろめたさ」を、永田和宏氏が記している。
先人への敬意と尊敬、それを受け取ることへの慎みの思いがなければ、その「知」を自分のものにすることは決してないはずのものだと説かれた。
どんな値段もつけられないものを与えられているのだ。「『知』の値段」と題されていたが、〈「知」のつまみ食い〉と置き換えてでも覚えておきたい。

書店では、『本を守ろうとする猫の話』との出会いがあった。

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平凡な人の生の壮絶さ

2023年07月15日 | こんな本も読んでみた
一茶の故郷、柏原では風呂を沸かせば近所の人を呼んで入らせる習いがあった。次から次と貰い風呂に人々がやってきて、ついでに炉ばたで茶を飲んで話の花を咲かせる。
そんな場に、〈人誹(そし)る会が立つなり冬籠〉の句が添えられていた。

心やすいものが寄り合うと、うわさ話に花が咲くことは体験する。悪しざまにけなすようなことは耳にしないが、冗談や皮肉であっても、心を切り裂くような毒を盛ってはなるまい。

一茶も“壮絶な人生”を生きた。積極的に知ろうとしてこなかった一茶について、
“田辺一茶”(『ひねくれ一茶』)が多くのことを教えてくれた。


「全ての人生は、壮絶である」
ずいぶん以前になるが、京都大教授の小倉紀蔵氏が書かれていた。
【特別な人の人生だけが壮絶なのではない。どんな平凡な人の生も、それぞれに壮絶なのである。一生誰にも知られずに汗して働いた人や、長い間病気の人や、その人を忍耐強く看護・介護する人も、すべて、すべて、壮絶なのである。
日本人はそのことをよく知っている。だから、短歌や俳句を作って、日常の中に「平凡な壮絶さ」を探そうとする。その壮絶さは〈いのち〉となって永遠に生きていく】などと。

金曜日の夜、お豆腐屋さんのラッパの音が聞こえると『豆腐屋の四季 ある青春の記録』が思い出され、読みたくなる。で、図書館で借りることにした。


【作者、松下竜一は九州のある小都市で豆腐屋を営む青年である。いつのころからか、朝日新聞西部板の歌壇に豆腐作りの歌だけを作る、素朴な、まるで指を折って数えながらつづるような作品が私の記憶にとどまるようになった。稚拙といえばこれほど稚拙な歌はなかろう。だが、ここには歌わなければならない彼ひとりの生活がある】(抜粋)
選者だった近藤芳美が雑誌に書き留めたという文章が引かれている。

豆腐作りの釜さえ買い替えられない貧しさ。泥のように惨めな生活。25歳の私のやり場のない怒り。眠る前に、どうか明日は…と日記に書き込む。そして歌が生まれる。

 〈父切りし豆腐はいびつにゆがみいて父の籠れる怒りを知りし〉
 〈豆腐いたく出来そこないておろおろと迎うる夜明を雪降りしきる〉
 〈出来ざりし豆腐捨てんと父眠る未明ひそかに河口まで来つ〉

私30歳になり、妻は19歳。一年間の日々を文と歌で書き継いで、二人だけの青春記として本にしようと思い立った。
タイトルも浮かんだ。発行できるかどうか。多分だめだろう。だが書いてみよう。
平凡な市民の日々は華やぎに遠く、黙々と働くのみだが、「一生懸命節約して貯めようよと妻がいう」。

=どんな平凡な人の生も、それぞれに壮絶なのである。日本人はそのことをよく知っている。だから、短歌や俳句を作って、日常の中に「平凡な壮絶さ」を探そうとする。その壮絶さは〈いのち〉となって永遠に生きていく=


 

若いタレントさんが自ら命を断ったのを知った孫娘が、海の向こうから思いを寄せてきた。
なにかとても哀しい出来事だ。
人にはさまざまな生き方がある。それを理解できなくても共感できなくてもかまわない。ただ、よく知りもしない他人の生き方を、偏った信条でとやかく言うべきではない。
ね、っと。
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17音の先に

2023年07月08日 | こんな本も読んでみた

江戸の春の大火で巻き添えを食った犬や猫、鳥を憐れむ一茶。その夜、蛙が鳴いていた。
というところで引用されていたのが、〈蕗の葉を引きかぶりつつ鳴く蛙〉。

継っこ育ちの一茶。父親の遺言書を手に、「遺産を半分貰わないではおかない。見てろ、おさつに専六。なめるなよ、おれを」
と継母と異母弟に迫り続けるが、「忌めましい業つく張りがまだ、たんごろ巻いていやがる。図太て野郎だえ」とおさつに罵られ、いっこうに取り立てられない。祖母の33回忌の折にようやく取極め一札の証文を得た。
けれどそれでも終わりとせず、過去7年間分…、30両を払えと言い出す一茶。
どうなるこの一件…(『ひねくれ一茶』)。

ある席で(『北越雪譜』で知られる)鈴木牧之と知り合う場面があって、そこにこんな言葉があった。「私が数十行を費やして書いたのより、一茶さんの句のほうがぴったりだ」

原稿用紙10枚より31文字で、とか言われていたのは道浦母都子さんではなかったか。
気になって、切り抜き探しが始まった。

  
早大に入学してまもなく学生運動にのめり込んだ道浦さん。「純粋に反戦や平和を願う気持ちから出発したはずなのに…」と理想が社会と乖離していったことを語っておられたのを読み返し、やはり学生運動に走った弟のことが念頭にのぼった。
「純粋に反戦や平和を願う気持ちから出発した」、…そうだったんだろうなあ。

〈炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見ゆ〉
  東大安田講堂“落城”の日に「生まれた」一首が歌人として立つきっかけだったという。
〈「始めの一歩」踏みはずしてより辻褄の合わぬ人生たぶんこのまま〉
〈明るい国いえ死んでいる国なのかシュプレヒコール聞こえてこない〉

「原稿用紙千枚分を三十一文字で表現するような一首ができるかもしれない」と記されていたから、桁違いの思い込みだった。

生きものにやさしい、暖かくほっこりした心を素直に、息するように次々と詠む才のある一茶。
けど、そればかりじゃない。知らなかった一茶の姿が膨らんでいく。


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人の人生をいただく

2023年06月22日 | こんな本も読んでみた
「公は民を守るどころか、民をおびやかす存在になっている」
永代のうるおいになるようなことをして、仙台藩の黒川郡にある吉岡宿に暮らす人たちの地獄のような困窮を何とかしたい。
穀田屋十三郎は、茶師の菅原屋篤平治が同じ様なことを考えていたことを知り、互いに心を堅めた。


お上は、お手元、不如意。つまりは金がない。そこで「吉岡の民が殿様相手に金貸しをやって、殿さまから金をむしりとる」。利子は村民に配分して吉岡町内の民を救済する。そんな奇策を菅原屋は考えていた。
三人以上がひそかに寄ってご政道について語れば徒党、謀反同然の行為とみなされた江戸時代。
9人の同志は口も堅め、慎重に策を練りつつ、お上が金に窮してにっちもさっちもいかなくなる時を待った。(「穀田屋十三郎」『無私の日本人』収)

この9人の篤志家たちについて、個人で調べて『国恩記覚』としてまとめた人がいた。
そうしたことを磯田氏に知らせ、本に書いて後世に伝えてと手紙を書いた吉岡に住む人がいた。
調べてみると、一人の僧侶が詳細にこつこつと書きためた記録もあった。


濁ったものを清らかなほうにかえる力を宿らせた大きな人間たちがいた。
「変化というのはまず誰かの頭の中にほんの小さくあらわれる。そして時折それが驚くほど大きく育ち、全体を変えるまでに育つ。」
無名の普通の江戸人に宿る哲学。史伝を書いて、子供に彼らの生涯を見せたいと磯田氏は記していた。

歴史は無名を生きた多くの先人、先達の物語によって継がれているともいえる。
思い出すことがあった。
「相続とは死んだ人の人生をいただくのです。亡くなった人の物語、いのち、魂を受けて渡していくのです」
夏目漱石の『こころ』もそうした相続の物語だと、2014年度だったかの高野山夏季大学で姜尚中氏がお話になったこと。

無名の先人の物語の相続。
孫たちにも、たくさんの物語を読んで他人の人生から学んでほしいといつも思っている。

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私の人生を変えた

2023年06月12日 | こんな本も読んでみた
芥川賞受賞作品はほとんど読まないが、『乙女の密告』(赤染晶子)と『苦役列車』(西村賢太)を単行本で読んだ記憶ははっきりしている。
いつのことだったか。調べてみると『乙女の…』が2010年の上期、『苦役…』は下期の受賞だった。しかもそろって二人ともが既に亡くなった。
昨年の2月、西村氏の訃報記事を目にしてドキッとしたものだ。
『苦役列車』の内容はさておき、「この文体好きだ」と思ったのを覚えている。


「昭和58年3月に中学校を卒業したあと、その月末には親元を離れ、鶯谷のラブホテル街の中にあった木造アパートで一人暮らしを始めた」
「中学の馬鹿のくせして、読書が何よりもの娯楽となっていた」
ろくに働かなかったという。
それでも昭和62年、欲しかった田中英光の『我が西遊記』1万5千円の古書を、日雇いの港湾人足仕事を二時間ほど残業した一日分の賃金で購入している。再読なのに面白くてたまらない。「バイトを終え、外で酒を飲み飯を食べ、三畳間の部屋に戻ってくると、すぐに寝っ転がってこの書を取り上げる」

西村賢太が藤澤淸造を師と仰ぎ、没後弟子を任じていたことは、なにかで読み知っていた。
29歳の頃、「無理な借金をして売価35万円の書(抄録などでなく原本『根津権現裏』)をすがる思いで手に入れた」。
「この書は、間違いなく私の人生を変えた」「これを読んでいなかったら、それが幸であったか不幸であったかは別として、私小説というものを書いていなかったに違いない…」と書いている。


自身の敬する物故私小説家を引っ張り出して、極めて個人的な偏愛書録だが、順次筆にのせてみよう。拙文、見向きもされぬ駄文、マイナーな名が連なる、人様へのオススメの意味合いも含まない。そうした意味を題名『誰もいない文学館』にこめたのだそうだ。
「文豪ばかりが作家ではない」という。

氏の「人生の惨めな敗北」、読書遍歴、書物へのこだわり、思い入れなどを知るにつれて、亡くなられたことを惜しみつつ、なんとない悲しささえ味わってしまった。氏の横顔をじっと見つめる。

食べるために売った本、トレードに出した本、どんなに窮しても手放すわけにはいかないと思った本の類。氏の蔵書はどうなっているのかしら。余計なお世話だけれど、興味が…。
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重荷を背負っても下ろしても

2023年05月09日 | こんな本も読んでみた

佐藤洋二郎氏による書評をきっかけに『あの春がゆき この夏が来て』を読んだのが、昨年の2月だった。乙川優三郎作品との出会いが始まり、現代小説ばかり7冊を読み継いできた。

乙川氏は1996年に時代小説でデビューされている。数々の賞を受賞されているが、2002年の直木賞受賞作品『生きる』だけでもと読むことにした。
表題作の「生きる」と「安穏河原」「早梅記」を収めた中編集となっている。

「人が生きてゆく限り、不運や障害は生まれ続けて絶えることはない」
「重荷を背負っても下ろしても、人は迎えた一日を生きなければならない」
生きるってことはホント、実にしんどいことだと思う。
「たった一つの思い出を支えに人間は生きてゆけるものだろうか」
「たった一つの思い出を抱いて人間は死ねるものだろうか」。

諦めもしない、拒絶もしない、人生なりゆきでも、その生きる姿は端正な文章で描かれて、
心情は心に触れる。人は何かを起点とし、再生の機をつかみもするが、弱い人間の強さを思い重ねた。


「言いたいことをすべてを書く必要はありません。短い文章で言い尽くせばよいのです」
以前に読んだ2作品にあった言葉で、記憶しておきたいことだった。

「人との小さなつながりを頼りに暮らしておりますが、貧しいつながりはたやすく切れることはありません」
短い言葉で、行方がつかめなかった女・しょうぶの数十年の人生をそこに描きだしてしまう。
だからこその余情も生まれる。描かれないことのもたらす効果の絶大さ、ということだ。
そんなこと思いながら3作目「早梅記」も読み終えた。

どの作品も哀感漂い、長い余韻にひきとめられた。好きな作品集でした。

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希望に染まる季節

2023年04月13日 | こんな本も読んでみた
この地上において私たちを満足させるものってなんだろうかと、『この地上において私たちを満足させるもの』(乙川優三郎)を読み終えて数日余韻に浸った。


終戦の翌翌年に生まれ,、71歳になった高橋光洋の生涯。
貧しさしか知らない暮らしの中で初めて心臓に強い痛みを覚えた16の冬、よくて40年の人生と思い定め、残る20余年をいつ死んでもいいように有意義に生きようと考えた。
父を見送り、母が家を出、貧しさと病と孤独をかかえたまま、ただ就職が決まり家を出る春を待った。
30代には仕事を辞めて海外へ発つ。英語は独学で身につけた。やがて独自の世界観、実体験、他言語での思考を武器に作家に転身する。

生きることも書くことも冒険の人生だったと振り返った。
「一家を上げて働くことが生活なら、自分という人間を築くことが人生だろう」
「人が自分の運命を完成させるまでの意欲と忍耐と闘いの旅路」は今懐かしく、
「灰色の人生も輝き、沸々といのちが燃えて、明日はどうなるか知れないと覚悟して生きる日々こそ希望に染まる季節であった」


人は誰もが生まれながらに〈美しき種〉をそなえているという。
人間を人間たらしめる根源的ないのちであって、その種を育んで開発するのが、この世に生まれてきた甲斐なのだと読んだことがある。

こうしていると小間物問屋遠野屋の主・清之助の言葉が聞こえてくる(あさのあつこ・「弥勒」シリーズより)。
 ― 人の一生を人は決して見通せないのです。定まったものなどなに一つありません。
定めとは日々の積み重ねでございましょう。どのようにも変わり、いかようにも変えられます。

いつの世も、より良く生きようと願って懸命に生きる日々、明日はどうなるか知れなくても覚悟して生きる日々は、スポットライトを浴びても浴びなくても関わりのないことで、一人ひとりが、生きた愉しんだと回顧できる充実感があればそれで十分と言えるのか。

思いきり生きて、願ったように一羽の蝶の軽さで光洋はこの世を去った。

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不器用な男を見つめる

2023年03月19日 | こんな本も読んでみた

ウイリアム・ストーナーは、貧しい農家に生まれた。父の後を継ぐつもりでミズーリ大学コロンビア校の農学部に進学し、学業はまじめに手を抜かず、楽しくも苦しくもなくいそしむ。
2年目に必須科目の英文学と出会い、専攻を文学に転じる。学位取得後は母校の大学の教師に迎えられるが学内の人事では冷遇され、終生、助教授のまま終わる。意中の女性を妻とするが結婚生活は波乱続き。研究生活もままならない。

うだつの上がらない大学教師。42歳で「行く手には期して待つものもなく、来し方には心温まる思い出などなきに等しかった」。
そんな彼に、キャサリンとの出会いが訪れた。
「日一日、その自制の厚い殻が少しずつ剥がれ落ちて、…気後れなく打ち解け合」うひとときを慈しみ、しみじみとした喜びに浸る。

運命を常に静かに受け入れ、限られた条件のもとで可能な限りのことをして黙々と生きる。
こうしたストーナーのあまりに忍耐強く受動的な生きようは、華やかな成功物語を好むアメリカ人には当初受けなかったようだ。


作品は1965年に刊行されたが、著者(ジョン・ウイリアムズ1922-1994)亡きあと存在は忘れられてしまった。
それが2006年に復刊されたことから運命は大きく変わっていく。
まずフランスで訳されベストセラーに。翌年は近隣諸国で翻訳出版が相次ぎ、2013年にはイギリスで、さらに本国のアメリカでも人気に火がついて、数日後にはアマゾンで、わずか4時間の間に1千部以上売り上げる驚異的記録をたたき出したという。
「訳者あとがきに代えて」(布施由紀子)に詳しかった。

周囲の抑圧には無表情で寡黙で無関心。けれど世間に向けた顔とは裏腹に、情熱と愛の力は強く内在させていた。

『ストーナー』に描かれる悲しみは、「文学的な悲しみではなく、もっと純粋な、人が生きていくうえで味わう真の悲しみに近い。読み手は、そうした悲しみが彼のもとへ近づいてくるのを、自分の人生の悲しみが迫りくるように感じとる。しかも、それに抗うすべがないことも承知しているのだ」
とイギリスの作家・ジュリアン・バーンズが書いていることも紹介されていた。

原文の美しさはわかりようもないけれど、翻訳の文章もいい。わずかな期待も抱き、引き込まれるようにしてストーナーの人生を共に歩んだ。


『二十五年目の読書』(乙川優三郎)の中で、書評家・響子が読み始めたのが『ストーナー』だった。

 「少しずつ、どこかにいたであろう他人の人生が見えてくる。
  存在そのものが光り輝くことはないが、その存在を知る意義は大きい」

彼女が思ったことが、今よくわかる。

     
     他者の人生から学ぼう。
     他者の存在やありようを想像する。
     「人間への洞察」。
       いろいろな本を読んで…。

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優しい贈り物

2023年03月02日 | こんな本も読んでみた
すぐれた文章の世界にあるのはフィクションのベールに包まれた真実であり、言葉に置き換えられる作家の理性である。
フィクションすら許せない人は文学から何を学ぶというのであろう。

刊行数が多いわりにすぐれた作品は少ない。作家らしき人が、らしき文体を、らしきものを書いて自画自賛する時代。平成明朝浮薄体とでもいうべき今の文章は軽く読み流せるが、読者が味わうべき日本語の格調はない。
文学が芸術であることを作家も読者も忘れている。


『二十五年後の読書』。
作家・乙川優三郎氏の文学論が随所に、たっぷりと書きこまれている。
物語の展開より、こちらを核とすることで、かなり読みごたえがあった。氏の文章自体が美しい。丹精されている。

旅行業界を52歳で退き、エッセイストから書評家として名声を得はじめた中川響子、55歳。
作家が時に命を削って佳い文章を物することを知るだけに、安易な絶賛で凡庸な書評に迎合したくはなかった。
短い書評も文学に負けない美しい日本語で、文学への愛情に裏打ちされた苦言と賛辞を記したいと思うのだった。


家族を持たずにきて、生涯の縁と思った作家・谷郷敬との別れは響子に孤独をもたらし、不安神経症と診断された。
海洋の小島で療養する響子を見舞った編集者は、谷郷が日本を離れて病床の妻のもとで書き上げた仮綴本を手渡して帰っていった。

文筆家として老化し、文章に艶が失われていることを響子は案じてきたのだが、その作品は25年ぶりになる“谷郷の優しい贈り物”だった。
美しい日本語が続き、それに勝る言葉など見つからなかった。

奔放に人生を送ってきたが、どのような境遇であれ、尊いもの美しいものを追い、道を付けていく。その生きざまもまた良しと思った。
コメント (2)
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