京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

落語って…

2008年12月09日 | 日々の暮らしの中で
     
(策伝さんと願誓寺)

『あるときラジオから「平ら林か、ヒラリンカ、一八十のモークモク」(たいらばやしかひらりんか、いちはちじゅうのもうくもく)を連発する落語が聞こえてきた。大笑いした。』
文字の書き順を因数分解して読んだ落語。偶然にも最近、耳からではなく文字で接することがあった。

「熊」― ムこうの山に月が出た、日が出た日が出た四つ出た
「戀」― 糸しい糸しいと言う心
こんなのはよく知っている。
「松」― きみ(公)とぼく(木)とのさしむかい…
(なかなかこじゃれてること)

落語のネタ「平林」「子ほめ」の原型が400年前の『醒睡笑』に著されているという。策伝さんが長年にわたって蓄積してきた「おかしい話」・「味わい深い話」。

“ねうどう”と戒名をつけてくれと頼まれた住職がいた。はて、聞きなれない…
問い直してみると、父の法華宗の妙(ねう)法蓮華経、母の浄土宗の南無阿弥陀仏(どう)をくっつけたという。訛って「ねう―どう」。なまらずとも「みょうだぶ」。おかしな…。

宗派など超えて、題目と名号の混同のエピソードを笑いにしていく策伝さん。自由な気風で人気者だったことだろう。寺で、街中で、彼の説法は多くの人をとりこにしたことだろう。策伝さんがちょっと手をくわえ、筋書きを工夫することで、人々の生活に心の豊かさを分けていく。これは言うなら、文化的な行動。表彰ものかな。生きる上での生活の飾り…。

と、なると、落語家も文化功労賞もののお働きをされているってことか。

説法の極意は、「初めしんみり、中おかしく、終わり尊く」なんだって。
先日のお説教師さんのお話は、実は……。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする