京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

罪な聡明さで・・・

2009年05月03日 | 日々の暮らしの中で


【私は現実の矛盾や汚濁、他人の愚かさや醜さといったものにやたらと気づいてしまうのです。心通わす友もなく孤独でした……。

ある年の5月5日、上賀茂神社の競べ馬を見に行った時のことです。とても馬場の柵近くまでは進めそうもない混みようでした。で、ふと見上げた木の上に、一人の僧が今にも落ちそうなのに落ちることなく居眠りをしているのです。愚かなことだと皆があまりにひどく軽蔑して言いますので、私はつい「私たちにもまさに今、死はやってくるかもしれませんよ。こんな見物をしながら時間をつぶしているのですから、愚かしさは私たちの方が上でしょう」と言ってみました。するとですね、なんと!「まことにその通り!」って共感してくれるのです。おまけに席を空けてくれたので、一緒に楽しんでしまいましたよ。

嬉しかったですねー、人とコミュニケーションできて。私の言うことで誰かの心が動くなんて、初体験ですよ。生きる世界が変わったような記念日になりました。この思い出があるから、かたくなな自分の殻に閉じこもらずにいられるようです。】

まぶしいばかりの新緑の季節。生命力あふれる新緑と共に、人・馬一体となって磨いた技と力を神に捧げる祭りです。書物の世界に安らいでいた兼好さんが、現実の世界で得た【初体験の感動】を、埋め尽くされた人ごみに分け入ってあなたも思い描いてみてください。

今日は大田神社まで天然記念物に指定されているかきつばたを見にぶ~らぶ~らお散歩。そして、愛染倉(あぜくら)の庭をのぞきますと、ありました!もみじに咲いていた花のあとに、プロペラのような二葉が。『「プロペラもみじ」って呼んでるんですよ』と。落ちる時もちゃんとクルクルクルッと回って落ち、根付いていくことを庭師の方が教えてくれました。

よい出会いを得るには運の良し悪しもあるのかもしれませんね。人の一生には、思いもよらない出会いがつづくことがあります。しかも唐突に…。人生何があるかわかりません。 
    (大田神社とかきつばた群落・プロペラもみじ)
コメント (3)
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