京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「余呉湖行楽」

2015年04月27日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて

琵琶湖の北にある賎ヶ岳を一つ隔てた裏側に余呉湖はある。若狭に生まれ、この付近の西山という村の養蚕家に15歳で奉公に出て、糸とりをしている間に桐谷紋左衛門に見初められ、京都で女中をして暮らした「さく」。再び西山に帰って、姿を消してしまう短い生涯が『湖の琴』(水上勉著)に描かれている。


【自分でよった琴糸で首をくくって死んださく。その観音様のような美しい死に顔を誰にも触らせたくないと思った宇吉は、さくを糸箱に収めて、余呉の湖の深い淵へ沈めて葬ってやろうとう考える。(糸を入れて湿気の来ないように密閉してふたを閉め、遠方に送るための箱は、この辺りの農家には必ずあった)
「角のまるく温かそうな石を選って詰め終った頃だった。今まで、風が吹いて騒いでいた淵の水が、突然ぴたっと動きを止めた。とみるまに、空にたれこめていた黒雲が割れ、ふたたび月光がさした。…月はさくの冥府への旅立ちに、明りを添えてくれようと、わざわざ、ひろい余呉の湖の龍神の岸にだけ、ぽっかりと明りの輪をくれたようだった」
さくのいなくなった淋しさ、いっそのこと一緒にと、宇吉も湖底に向かって沈んでいく】

                             「天女の衣掛柳」


こんな舞台となった余呉湖を今日訪れてみた。「賤ヶ岳の戦で死んだ侍が、鎧を着けたまま眠っておると言う人もいる」(『湖の琴』)余呉湖。さほど高くはない山々が周囲を取り巻いているが、なかでも険しく切り立って落ち込んでいる賤ヶ岳方向を見やりながら、一周6キロほどのところ(南のほうは周辺の道路工事と重なって通行止めという事情もあって)歩いたのは半分ほどだったろうか。周囲の山々の緑の美しさ。水田風景の爽快さ。寄せるさざ波の音、ウグイスにトンビにカエルが鳴いて、鴨が飛び立つ。ヒメオドリコソウの群生、目も耳も心も奪われながら湖のすぐはたをゆっくり歩を進めた。琴の音を湖畔に聴くには、晩秋の夕暮れ時のほうがふさわしそう。
『ガラスの壁』(芝木好子著)では、瑤子と萩生が菅浦から余呉湖を訪れ、神々しい残雪の山に囲まれた暮れゆく湖を眺めている…。


今日は私たちも、「余呉湖行楽の帰り、高月の渡岸寺に詣で、十一面観音の艶やかな姿を見た」水上氏の行程をなぞった。1時間に1本の電車に合わせ、余呉から木之本、高月と2駅戻って、渡岸寺に立ち寄った。
と驚いたことに、つい先日22日に「観音めぐり」バスツアーでガイドして下さった方と観音様の前でお会いし、今日はここで説明を受けることになった。なんてご縁!! 氏は今年77歳に。
コメント (7)
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