京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

閑でしてね、そして忙しい

2024年05月31日 | 日々の暮らしの中で
昨日と今日と術後の診察を受け、おかげさまで経過は順調だという診断を得ました。
ただ、左目の目尻にわずかな異物感(ゴミが入ったかのような)があるのですが、「キズもなくきれいですよ。問題になるようなことは認められません」と。無事に終えられたことを有難く受け止めています。

娘が「もうあとしばらくは無理せんと引きこもっててや」としきりに言ってきます。
家でじっとしていろと言われてもねぇ。本を読もうとページを開いては、立ち上がる。腰をおろした端から、またすぐ用事を思い出す。すこしばかり夢中になって本を読めば、目がかゆくなって、うっかりまぶたの上をこすって大慌てなんてことも。手術したことを失念する始末。
そんな繰り返しでたちまち夕飯の支度どきを迎え、一日が終わっていく。案外、毎日同じことを繰り返しているに過ぎない気がします。
落ち着くまでは娘の言葉も心に留めおいて、「気ぜわしさ」こそしばし放念したいもの。

古井由吉氏が書いておられた。「この年齢に至って、忙しいですかなどと人にたずねられるのも、よっぽどゆとりのない顔をしているようで、年の取り甲斐のない気がする」と。
ひとつクスリとした覚えがある。


    あぢさゐやひるも蚯蚓のくもり声  暁台

江戸後期と少し時代は古いが、紫陽花の句としてこれを見逃すわけにはいかない。
梅雨どきの物の色、物の匂い、物の音を、神経質な十七文字が、みごとにとらえている、
とは杉本秀太郎。
読みは読み手に委ねられる。
今後せっかくよく見えるようになった目で何を見ましょう・・・。
もっともっと心を凝らした、見る目の深さが求められるということなのですかねぇ。

ほんの5mmの小さな花をつけていた道端の植物。


種も生っていたので何本か手折って帰り、水に挿した。素朴で、ちっちゃなちっちゃな眼前の自然に、心が和む。

コメント (5)
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