京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

この世を喜ぶ術

2024年05月28日 | こんな本も読んでみた
画鬼とも呼ばれ、茶会を催す髑髏、妖しいほどに美しい地獄太夫、美女の前にやに下がる閻魔さま、麒麟、白澤(はくたく)、土蜘蛛、狐火などと奇矯かつ独創的な画風で人の目を喜ばせた絵師・川鍋暁斎。
錦絵を得意とする歌川国芳を最初の師とし、その後写生を重んじる狩野家で修業を積んだ。
その娘として生まれ、明治大正を生き抜いたとよ(曉翆)の葛藤の生涯が年代記ふうに描かれていた。

並の人間は、暁斎の絵の一端を真似るのが精いっぱい。父に少しでも近づこうと足掻き続けた異母兄の周三郎(画号・曉雲)とて越えることはできぬまま死んでいった。とよ(曉翆)も遠く及ばない引け目を抱え込む。師であり父親への、さらには兄妹間の、反目、「憎悪と愛着」。

有名無名を問わず〈いくつものの星が、あるいは志半ばに、あるいは自らの生涯を生き尽くして落ちていった。それぞれの星は消えたとて、彼らの生きた事実は空の高みに輝き続けている。〉けれど、眩しかった輝きを指し示す案内人がいなければ、やがてすべては忘れ去られる。
その役を務めたとよさん。父について語ること、それは亡き星々への敬愛であり鎮魂でもあるだろう。


読みかけだった『星落ちて、なお』を読み終えた。評伝のような小説だった。少々説明的だったかな。地味だなって感じたけれど、おかげで私はここに知ることを楽しめ、足元を照らしてもらえた。

作中に登場した横山大観、菱田春草、下村観山の名。これら聞き知った名前が26日付の朝刊に「菱田春草と画壇の挑戦者たち」となって反映された。
春草生誕150年展は美術館「えき」KYOTOで7/7まで開催とある。
無事に右目の手術を終えられたら機を見て足を運んでみよう。
また、美人画に関しても「君があまりにも綺麗すぎて」展が開催中(~7/1)。
もひとつ付け加えれば、「墨にも五彩あり」、堂本印象の墨の世界の展覧会にも魅力を感じている(堂本印象美術館 6/5~9/8)。

自分のため、人のため、「この世をよろこぶ術をたった一つでも知っていれば、どんな苦しみも哀しみも帳消しにできる。生きるってのはきっと、そんなものなんじゃないでしょうか」

わずかに道を照らす灯があれば、これからの日々にもためらわずにいられる気がしたとよさんだったけど、灯りはいっぱいあった方が周囲はよく見えるし、けつまずかなくていいわね。
と、欲深いことを気にしいしい思う。


カタバミの葉っぱを少しちぎって古い10円玉をこするとピッカピカになるという。葉から出る液のなかのシュウ酸という成分の働きで錆が落ちるからなのだそうな。
何ごとも真新しくすればいいものでもないけれど、無事に明るさを取り戻せることを思って清兵衛さんの言葉を反芻している。
コメント (4)
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