goo blog サービス終了のお知らせ 

京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

始末にも美意識を

2025年01月15日 | 日々の暮らしの中で
滋賀県の山間部の民家に、戦中まで使われていたと思われる大量の仕事着が残っていたという。
多くが藍色で、藍の無地は男性用らしく、裏側から継が当てられていて、更に全体に刺し子されている。
山仕事に行くときの上着で、「山行きポッコ」と呼ばれるものだそうな。「ポッコ」とは、継当てや継当てをした服をいうのだと。


表の布は擦れてなくなっているところもあり、肩や胸、背中の擦り切れが多いのは山仕事のせいだ。
部分的には9重にも継が重ねられたものがあり、そのどれも布の縦方向に当てて、縦方向に縫い、表からは継を当てない。
山行きポッコには女たちの美意識が感じられる、と書かれてあった。

つつましく浪費せずに暮らす。
「始末」「始末」と義母も口にしていた。始末とは、始めから終わりまで、最後まで使い果たすということと捉えれば、言うわりにはぞんざいにそこらに物が放り置かれたままになった日常だったけど…。

始末が良い暮らし。
そのとき大切になるのは、暮らし方の知恵や技、工夫、価値観といったものか。どこにも売っていない。人から人へ伝えられるもので、お金を出して手に入るものではないのだ。
始末の中にも美がのぞける。心したいと思うことだ。

昨夕、孫娘がLINEで尋ねてきたことがある。
スカートのウエストが大きいので取り敢えずサイズを詰めたいという話に、現物を見せてきた。「これじゃあ…」
夏場で薄着で、確かにこれじゃあ…だと、彼女の言い分ごもっともだと思って笑う。
母親は、外側からつまんで縫い止めていたのだ。だからつまんだところが外に飛び出す。見目も悪い。

「キャー!!」
裏側からしなくちゃ。わかりそうなものをなあ…。きちんと教えておかなかったのがまずかったかな。

孫娘Jessieは4時半起きで友人とシドニーへと発ちました。あの手直ししたスカートも持って。
無事に着いていて、4泊でエンジョイして帰るようです。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 冥福を祈るとは | トップ | 「鹿の國」 神前に鹿を捧げる »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Jessieちゃん (Rei)
2025-01-16 18:08:44
お友達と旅行なさるまでの大人のお嬢さんになられたのですね。
何かあると日本のおばぁちゃんを頼ってこられて
うれしいですね。

「ポッコ」民芸館に陳列されていそうです。
「民芸」は柳宗悦氏が作られた言葉とか。
名古屋近郊(豊田方面)にも民芸館はありますが、
何十年も行けていません。
不便な山?の中らしく車に乗らなくなって
実現しそうにありません。
「始末」はこの辺りでは、お金節約の意味でも使われています。
お給料前だから始末しなければ・・・のようにです。
返信する
民芸館にはありそう  Reiさん (kei)
2025-01-16 22:18:37
母親の不調法な?寸法直しに、これは!?とさすがに思ったのでしょう。
いくらなんでもですよね。
Reiさんがブログをお休みされてらした7月にも、
友人と韓国へ行き、そこからこちらへとやってきましたんですよ。
この時も(高校卒業後に二人で)名古屋に祖母様がおいでだという友人と一緒でした。

子どもたちの小さい頃は膝小僧が破けたズボンにアップリケをしたりして、
始末とは言えないほどですが、結構それを楽しんでいたのを思いだしました。
今や衣類など不要になればゴミ? 「衣服ロス」を高校生が問題視していました。
返信する

コメントを投稿

日々の暮らしの中で」カテゴリの最新記事