冬休み中の孫娘はこの1日に京都へとやってきました。同行の友人は名古屋のお身内のところへ。一緒に帰国する二人は、その前日14日に大阪で合流です。
梅雨の晴れ間となった3日。前夜から予定して竹生島へと向かった。
かつて、竹生島には弁財天が祀られていることを話したことがあって(’17.1)、そのとき彼女は竹生島を“マダムアイランド”などと名付けたりしていた。ところが今ではそんなことこれっぽっちも記憶にもないのだそうな。
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わずか35分ほどの乗船だが、島へと向かう前方、もやった周囲の山並みの上空に渡岸寺の、赤後寺の観音さまの姿が現れたら!?…などと想像しながら風景を眺めていた。
どうしたって、あの満月の夜のシーンが思い浮かぶのだった。
一番水深が深いとされる竹生島付近でのボート転覆事故で、娘を喪った父親(架山)と、息子を喪った父親(大三浦)が湖岸の十一面観音を巡礼することで、その悲しみを昇華させていく話が井上靖の『星と祭り』で描かれている。
子供たちが眠っている場所に二人が貸しボートを出したのは、事件から8年を経た満月の夜。
【 湖北の中でも、一番北の善龍寺の十一面観音さまが、その左手に海津の宗正寺の観音さま、
右手には医王寺の観音さま。
そして鶏足寺の観音さま、渡岸寺の観音さま、充満寺の観音さま、赤後寺の観音さま、知善寺の観音さまが、さらに長命寺、福林寺、蓮長寺、円満寺、盛安寺、園城寺、衆生来迎寺と、
寺々の十一面観音像が次々に姿を現し、すくっと立ち並ぶ 】
「もがり」の本質を見たようでもあり、物語のこのラストは印象深く忘れられない。今では実際に拝観した観音像も多くあって、二人連れながら一人物思いに馳せる、そんな時間も生まれた。
現実はー。
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行基による開創で、弁財天が祀られる宝厳寺本堂
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Jessieはしきりにスマホのカメラを向け、時には父親に中継。
「ダディは絶対あの階段上れへんと思う」と言っている。
宝厳寺渡廊
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秀吉の御座船の部材で建てられたという伝承があって、〈舟廊下〉と呼ばれている
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急斜面に舞台づくりで建つ
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湖北路をめぐるウォーキングツアーに参加して、葛籠尾崎の山中から眼下に望んだ竹生島(2013.7.16)
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車窓から湖東平野の緑の青田に目を奪われ、安土風土記の丘、彦根城など遠望し、居眠りする間もなく二人旅を楽しんだ良い一日でした。
今日は大阪に住まいしていたときの親友と過ごすために泊りがけで出かけていきました。
梅雨の晴れ間となった3日。前夜から予定して竹生島へと向かった。
かつて、竹生島には弁財天が祀られていることを話したことがあって(’17.1)、そのとき彼女は竹生島を“マダムアイランド”などと名付けたりしていた。ところが今ではそんなことこれっぽっちも記憶にもないのだそうな。
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わずか35分ほどの乗船だが、島へと向かう前方、もやった周囲の山並みの上空に渡岸寺の、赤後寺の観音さまの姿が現れたら!?…などと想像しながら風景を眺めていた。
どうしたって、あの満月の夜のシーンが思い浮かぶのだった。
一番水深が深いとされる竹生島付近でのボート転覆事故で、娘を喪った父親(架山)と、息子を喪った父親(大三浦)が湖岸の十一面観音を巡礼することで、その悲しみを昇華させていく話が井上靖の『星と祭り』で描かれている。
子供たちが眠っている場所に二人が貸しボートを出したのは、事件から8年を経た満月の夜。
【 湖北の中でも、一番北の善龍寺の十一面観音さまが、その左手に海津の宗正寺の観音さま、
右手には医王寺の観音さま。
そして鶏足寺の観音さま、渡岸寺の観音さま、充満寺の観音さま、赤後寺の観音さま、知善寺の観音さまが、さらに長命寺、福林寺、蓮長寺、円満寺、盛安寺、園城寺、衆生来迎寺と、
寺々の十一面観音像が次々に姿を現し、すくっと立ち並ぶ 】
「もがり」の本質を見たようでもあり、物語のこのラストは印象深く忘れられない。今では実際に拝観した観音像も多くあって、二人連れながら一人物思いに馳せる、そんな時間も生まれた。
現実はー。
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行基による開創で、弁財天が祀られる宝厳寺本堂
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Jessieはしきりにスマホのカメラを向け、時には父親に中継。
「ダディは絶対あの階段上れへんと思う」と言っている。
宝厳寺渡廊
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秀吉の御座船の部材で建てられたという伝承があって、〈舟廊下〉と呼ばれている
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急斜面に舞台づくりで建つ
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湖北路をめぐるウォーキングツアーに参加して、葛籠尾崎の山中から眼下に望んだ竹生島(2013.7.16)
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車窓から湖東平野の緑の青田に目を奪われ、安土風土記の丘、彦根城など遠望し、居眠りする間もなく二人旅を楽しんだ良い一日でした。
今日は大阪に住まいしていたときの親友と過ごすために泊りがけで出かけていきました。
関東地方に居ると、ここの存在をあまり知らずに過ごしていましたが、お孫様のおかげで、知ることができました。
今は冬の寒い時期に猛暑の日本での暑さに負けない様にと、心砕きます。
(若くて元気なお孫様だから大丈夫ね)
子どもたちが小学生のときは彦根港から向かいました。
弟のほうが船の中でお弁当を食べたのをずいぶん喜んだことが思い出されます。
今回は子の子と。ずいぶんな年月ですよね。
湖西の今津港からも船が出ます。
暑かったです。でも京都の暑さとまた違うねと話しました。
かき氷で汗も落ち着いたようです。
弁天様はやきもちやきでしたっけ?
近くで魚釣りをして遊んだことが思い出されます。
keiさま、その節はありがとうございました。
せっかく教えていただいておりましたのに、、
私が間違っておりました。
keiさんに教えていただいた、海住山寺(かいじゅうせんじ)訂正させていただきました。
ありがとうございます。
上からや湖岸から眺めることはありましたが、島に上陸したのは大昔のことで、記憶も薄らぐほどでした。
「弁天様はやきもちやき」と言われもしますよね。
小説の下地にあるのでしょうか…。
名前を記憶していただけの単純さで思い込んだのでしたが、詳しくはわからずじまい。
海住山寺でしたか。
再訪したい思いはありましたが、やはり行きにくそうですね。
国文学や日本伝統芸能をはじめとしたRanchoさんの関心度の深さ、興味の広さに敬服しながら
楽しみに拝読させていただいております。
ご丁寧にコメントありがとうございます。