Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

スピティ再訪 14 チャンドラタール

2017-10-18 22:19:35 | チベット文化圏
7月22日 続き

カザを出て、ロータン・パスへ向かう道を戻る。
 
 
 再びクンザム・ラを越えたら幹線道路から北へ入り
 こんな川のようになった所も越えて4時間。


本日の宿泊地、チャンドラタール手前のキャンプ地、標高4060mに到着したのは午後5時半。

チャンドラタールとは「月の湖」と言う意味だそうだが、以前は許可されていた湖畔のキャンプが景観維持のために禁止され、今はここに集められていると言うことで驚くほど大きなキャンプ村になっている。

その中で我々が宿泊するのはパラソル・キャンプ。
 
中央の丸いテントは食堂、その周りに宿泊テントが並び
 
ベッドルームの奥には水洗トイレと洗面台のバスルームまである。

さて、もう夕方ではあるが、湖までは徒歩で15分ぐらいというので、準備をしてすぐに5人で出発する。
 テントの奥から踏み固めた道をたどるのだが、これが思いのほかの登り道で、平地ならなんでもない坂が標高4000mではむちゃくちゃきつい。
 
テント村を眼下に見下ろす辺りまで来たところですでに息は上がり、普段から山歩きをしている男性陣からは大きく離れてしまった。

15分以上歩いて、小高い所に出るも湖らしきものはまったく見えない。
もう一人の女性はさらに遅れ、無理そうだということでガイドの山本氏は一度引き返していく。
それでもなんとか男性陣の後を追いつつ、途中で出会った帰路のインド人に「あとどのくらい?」と聞いて「君の脚ではあと40分はかかるよ」と言われた時には心が折れて引き返しそうになった。

しかしチャンドラタールは今回の旅のメインイベントの一つ、これを見ずに引き返せようか。
 
と言うことで花で気を紛らわせつつ
 丘を何とか越えると
 
羊でいっぱいの放牧地に出た。

それでもまだ湖は見えないが、羊飼いのおじさんに聞くとここを右に折れた丘のすぐ先だと言うので
 エーデルワイスでいっぱいの原を下ると
 ああ、やっと念願のチャンドラタールの姿が!

 ケルンの積まれた丘に登り 

標高4270mにある青い湖を眼下に見る。左側は丘の陰に隠れているが、その先にも水があって、三日月型をしているので「月の湖」と呼ばれるらしい。

振り返ると背後にも小さな湖がいくつか。
 
 美しい夕景をいつまでも見ていたいが、しかしキャンプからここまでちょうど1時間、山を照らす夕陽もどんどんかげってくる。

そこで湖を拝んだらすぐに引きかえし
 
羊や山羊の間を突っ切って帰路に。

幸いにして下りは楽チン、どんどん早足で進めるが、それでもキャンプまでは40分。
 
午後8時近くに帰り着いた時にはもう明かりがちらほら点いていた。

湖まで15分ぐらいとはとんだガセだったが、山本氏も初めてのこの場所、情報がほとんどないのだからしかたがない。
キャンプから湖まで、実際は3kmほどあったようだ。

夕食は辺りが真っ暗になってから、もう9時近かっただろうか。
 ストーブの周りに集まるお客さんは我々以外はみなインド人。
 
初めににんにくのスープが来て、あとはダルと野菜カレーの質素なメニューだが、温かいだけでもありがたい。

食後は夜になって晴れてきた星空撮影。
 
山本氏のアドバイスもあって、今夜は一番よく撮れると喜んでいたら、キャンプには夜警用に犬を放しているのでテントに戻れと警告が。残念。

テントの夜はさすがに寒くて、重い毛布を重ねて寝た。


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スピティ再訪 13 キー・ゴンパの祭

2017-10-16 22:12:34 | チベット文化圏
7月22日

ランザ村の朝。
 
今朝もまた山の頂上を照らす光が村全体に行き渡った所でお散歩へ。

 
チャウチャウの山は残念ながら雲に隠れているが
  
畦道には花がいっぱい。ここではただの雑草だけれど、どれも標高4000mで咲く立派な高山植物。

 
朝食にはスイトンとおいしい自家製ヨーグルトをいただいて
 家畜たちが出勤して行ったら、我々もこの村と別れなければならない。
冬は過酷であろうこの村だが、夏はまさに天国。ここで何日かぼーっとするのも素敵かもしれない。

村からカザへはまっすぐ下れば30分だそうだが、今朝は町ではなく、またキー・ゴンパへ向かう。

 途中、お寺の近くでは渋滞にはまってしばらくスタック。
それと言うのも今日はお寺でお祭りがあると言う情報が入り、それでまたこちらに来たわけだが、なるほど道は車でいっぱい。我々もかなり離れた所で車を降りてお寺の下の広場へ向かう。

到着したのは10時半。

見物人はもうかなり集まっているが、タンカの下げられた広場で祭はまだ始まっていない。

しかし場内では棒を持ったこんな仮面姿が観客をいじっていて
 
これはブータンの祭のアツァラと同じだろう。

やがて太鼓や鉦の音が聞こえてきて、僧侶の踊りが始まった。
 
こういう所のお祭りは何時に始まるかあてにならないので、それほど待つことなく始まったのはラッキー。

 
音楽担当の姿も見え、この他にもブォーという大きなチベットホルンの音もする。

 
着飾った姿が見られるかと期待した見物人たちはほぼ普段着でちょっと拍子抜けするが
 
大勢の小坊主たちも見学していて楽しそう。

2番目の演目はメガネをかけたお坊さんが一人で舞ったが
  
さすがにソロを担う人はうまい。

そしてまた大勢のお坊さんたちが登場して
 
飛んだり、廻ったり。

画面を人が横切ったりして見苦しいが、踊りと音楽はこんな感じ↓ 



   
 踊り手たちは皆よく見ると顔を炭で汚していて、これにも何か意味があるのだろう。
衣装も豪華で、さすが景気のいいキー・ゴンパ。

と思っていると演目が一つ終了して、しばらく間が空いた。
 
正面の2階には貴賓席があって、やがて英語のアナウンスが始まったので聞いてみると、どうやら寄進者たちの名前を読み上げている様子。
そしてそうした人々にカタを渡している恰幅のいい男性。
 この人こそキー・ゴンパの座主、リンチェン・サンポの生まれ変わりに違いない!
ちょっと怪しげな風貌だけれど、このお姿を拝見できたのもラッキー。

 
会場の周りには衣類やらおもちゃやら、いろいろなものを売る露店が出て子供たちもはしゃいでいるが
 
こんな所で刺青を入れている人がいるのにはびっくり。さすがに痛そうにして、何を入れたやら。

Kee Goitherというらしいこのお祭り、もっと見ていたかったが先に進まなければならないので残念ながら1時間で切り上げ。

三度カザの町に戻って、車に給油をしている間にそれぞれ勝手にお昼ごはん。
また例のおいしいモモ屋に行くことも考えたが、さすがにずっとモモとトゥクパばかりだったので
 
ジャーマン・ベーカリーでアップルパイとカプチーノ、明日の朝用のシナモンロールで220ルピー。

久しぶりのカプチーノ、うまい!


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スピティ再訪 12 ヒッキム村&コミック村

2017-10-13 12:47:21 | チベット文化圏
7月21日 続き

お昼ごろにランザ村を車で出発、40分で到着したのはヒッキム村。

ちょっと窪地になった所に畑が作られた小さな村だが
 
ここには公称4440メートル、世界で一番高所にある郵便局があるのだ。
 
中はほぼ一般民家だが、郵便業務用のテーブルがあって
 
ここでお手紙を出せば「世界最高所の郵便局」のスタンプも押してもらえる。
ちなみにここで投函した絵葉書は無事2週間で自宅に到着。インド郵便はちゃんと仕事をしている。

ここからほんの10分、
 小さな縞模様のお寺を見ながら丘を越えると

ヒッキム村にそっくりなコミック村に到着。こちらの方が100mほど標高が高いだろうか。

 
この村の一番高い所にはこれまた「世界最高所のレストラン」があるので
 
雑貨屋も兼ねるこの「最高のレストラン」でお昼。
 メニューにあった大麦のお粥を頼んでみるとツァンパ・スープが来たが、中に豆なども少し入って香ばしく、見た目よりもおいしかった。

 店には小坊主がお菓子など買いに来ていたが、これはこの村に大きなサキャ派のお寺、タンギュ僧院があるため。

 
レストランのすぐ隣、村を見下ろす位置に建つのはレンガ色の新しい建物。
 入口にユキヒョウの剥製が下げられたこのお寺は、表のプレートによると1970年代の地震被害によりヒッキム村からこちらに移されたとあるから、道中に見かけた小さなお寺が元のお寺かもしれない。
14世紀、あるいはそれ以前からの歴史がある寺で、カザの町にある新しい僧院はこの寺の分院になるのだそうだ。

 
少し離れた所に建つ、こちらは壁が3色の縞模様に塗られたドゥカン(集会場)のある建物。
 
広い中庭の正面がドゥカン、周りは僧坊になっていて
 
中を覗くとお坊さんが試験を受けているところだったようなので、入るのは遠慮しておいた。

お寺からは丘を下ってコミック村を少しお散歩。
  
 
村には花がたくさん咲いてのどかだが、下るのは楽な村の道も4500mの高さでは戻るのがしんどい。

と言うわけで下まで車で迎えに来てもらって、ランザ村に帰還。
 
夕方で学校が終わったのだろうか、昼には見かけなかった子供たちがあちこちに。
 
畑では麦の穂が波のように揺れて
 
丘の上には大きなお釈迦さま、チャウチャウカンニルダもてっぺんまで姿を見せてくれた。

宿に帰ってバスルームの窓から外を見たら
 
家畜たちが出先からちょうど戻ってくるところ。
 
村に入ったらそれぞれの飼い主に迎えられてお家に帰る。

 お釈迦様の向こうに陽も沈んで
 
夕食は今日もモモにチキン・カレー、塩茹で野菜のリクエストは去年の旅で覚えた。
しかしインド人のガイドは、「どうしてこんな味のないものを食べたいの?」と不思議そう。
使えば、とテーブルに置かれたマサラはむちゃくちゃ辛かった。


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スピティ再訪 11 ランザ村

2017-10-10 19:00:10 | チベット文化圏
7月21日

今朝もまたスピティ・パンの朝食をいただいて、カザのホテルを出発。
 宿の奥さんは町のクリニックの看護師もしているという働き者、おいしい食事をごちそうさま。

 カザを出たらすぐに幹線道路から東に入って、スピティ川を眼下に高度を上げて行く。

出発から50分で緑の中に白い家が散らばるランザ村、標高4260mに到着。
 
その背後にそびえる特徴的な山はチャウチャウカンニルダという面白い名前で、高さが6300mある。

今日はまたこの村で一泊。
 
明るいサンルームの付いたこの宿は、今回のスピティ・ツアーの現地手配会社の社長宅、Lala Homestay。

 
二階のサロン風の一角には手塚治虫の「ブッダ」が揃い、ここからもう1階上がった部屋は
 
ソファまでついてゆったり。
 
部屋の前の屋上に出れば村の畑や隣近所の家も見晴らし良好。
 ここもまた清潔なバスルームにホットシャワー完備で、今回の宿はどこも予想をはるかに上回る快適さ。

サンルームでお茶をいただき、一息入れたら山本氏の案内で村の畑を歩き、おすすめ撮影スポットへ。
 
村の向こうに山が見える位置なのだが、山のてっぺんが雲に隠れてしまった。

 
畑に植えられているのはエンドウ豆や麦。
 
花もいっぱい咲いて
 素敵な村だ。 

 
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スピティ再訪 10 キー・ゴンパとキッバル村

2017-10-08 00:25:33 | チベット文化圏
7月20日

朝、宿の窓から外を眺めていると
 
はじめ山のてっぺんだけが金色に輝いて、やがて光が村に降りてくる。

ブラブラと散歩をしているうちに、いつの間にかゴンパまで上がってきてしまった。
 13年前に比べて外が新品のようにきれいになったことがわかるが、早朝の寺には誰もいない。

 
昨日、畑で見かけたかわいいお姉ちゃんに会ったり
 
赤ちゃんをおんぶしたお母さんたちと挨拶したり。

  
羊や山羊たちの後に付いて宿に戻ると
 
宿の前は家畜たちの朝の集合場所になっていて
 あっちからもこっちからも、飼い主に追われて牛やら羊やらがぞくぞくとやって来る。

これを眺めながら「どこから来た?」というおじいちゃんに「日本だよ」と答えていると、「日本人ですか?」とびっくりしたような声がする。
見るとバックパックを担いだ30代ぐらいの日本人男性、これからデムル村まで歩いて、その後はカザ、ガイドも付けずに一人で旅行しているとのこと。ザンスカールにもまわりたいと言っていたが、無事に行けただろうか。
気負った様子もなく楽しそうだったが、こういう日本人旅行者はスピティでは他にまったく見かけなかった。

宿の朝食は焼きたてのアルー・パラタとチャイ。
 これがおいしい。

9時過ぎに出発して村を出ると、前方に家畜渋滞。
 
先ほど集められていた家畜たちが専門の牧童に連れられて出勤するところに追いついた。

これを追い越し、
 九十九折の道を下ってスピティ川沿いの幹線道路に戻り、ちょうど1時間でカザの町へ。

以前と同じホテルにチェックインし、お昼にはまだ早いのでちょっとお茶をしに。
 
新市街にあるデイゾール・ホテルは欧米人に人気の宿。
 
山本氏おすすめのシーバックソーン・ジュースが本当に目が覚めるほど酸っぱくておいしくて、これを買いたいと言うとコーラの空きビンに入れてくれる。これもプラムジャムも無添加が自慢、ジュースは500mlで400ルピー、ジャムは300ルピー、干しりんごが150ルピーと安くはないが、本当においしい。

お昼はこれも山本氏がカザ一と太鼓判を押すモモの店へ。
 
メインストリートからちょっと脇に入った小さな店だが
 
マトン・モモがジューシーで小龍包みたい。野菜もあり、どちらもスープ付き一皿100ルピー。

食後のコーヒーはこちらのカフェで
 
チョコレート・ケーキやレモン・ケーキと共に。
さすがカザはスピティ一の「町」だ。

午後はカザの郊外、30分もかからずに行けるキー・ゴンパへ。

 
村の上にそびえる寺院群、13年前より明らかに建物が増えて、さらに増築中。建築途中のところなど、ちょっとブリューゲルの「バベルの塔」のようにも見えてしまう。

 
門をくぐり、階段を上がって僧院の中へ。
 
お坊さんにお茶を一杯いただいてから中を案内していただくが、11世紀創建のこのお寺、スピティ一の規模と格式ながら何度も戦禍や自然災害で破壊されて、現在の建物は19世紀以降のもの。
古い壁画もないので適当に拝見していたところ、「この寺の座主はロツァワ・リンチェンサンポ」との言葉に突然目が覚める。

リンチェンサンポに転生者がいたの!と驚くが、後で調べてみると18世紀になってからチベットのタシルンポ寺のお坊さんが転生者と認定されたそうで、20世紀の初めに17世がキー・ゴンパの座主となり、現在は19世。5歳でリンポチェと認定されてゲシェとなるまで勉強されたものの、今は還俗して子供もいるとのこと。
還俗しても座主は変わらず、この地域ではとても尊敬されている、と案内のお坊さん。
チベット仏教はこういう所が面白い。

300名ほども僧侶がいるというキー・ゴンパ。
 
境内には子供もいっぱいいて、まるで学校のようだ。

キー・ゴンパ見学の後は道をさらに先へ進んで、標高4200mのキッバル村へ。
 
この村、以前は「世界最高所の村」なる看板を掲げていたが、隣村の方が明らかに高い所にあって、さすがにその看板はおろした様子。
 
しかし村内には新しいゲストハウスやカフェなどできて、欧米人観光客も随分来ているようだ。

キッバル村のはずれまで行くと、川を挟んだ向こうの山の斜面にチラムという隣の村が見える。
 

その川に現在は新しい橋を建設中なのだが
 
これが結構な高さにかかっていて
  
まだ工事途中でもどんどん人が通ってしまうのがインド。
我々も途中まで行って下を覗きこんだが、頭がクラクラしてしまうような深い谷。
ここを山本氏はロープから下がるカゴに乗って渡ったことがあるんだそうな。どひゃ~。

ここからカザに引き返して、今夜もLEDライトのまぶしいホテルで一泊。


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スピティ再訪 9 ラルン村

2017-10-06 01:58:05 | チベット文化圏
7月19日 続き

ダンカルから45分で本日の宿泊地、標高3700mのラルン村が見えてきた。
 岩山の麓に白い家が散らばり

川に向かって鮮やかな緑の畑が広がる。

村のはずれに車を停め、坂を少し下って村の中へ。
 
今夜の宿はおしゃれな看板のあるこちらの Khabrik Homestay。
 
入口の脇にはお菓子やらインスタント・ラーメン、ビールやウィスキーまで揃えた小さなよろず屋。
 
中に入ると美しく食器を並べた居間があって
 
ここもまた広々とした美しいお部屋。
 窓の外には畑の向こうに山がそびえる。

しばらく部屋で休んでいると男性陣も到着したので、みんなでこの村のお寺を見学へ。
村の中の小道を登って行くのだが、標高が高いので急坂を上がるのは結構きつい。
 やがて見えてくる黄色い屋根が村の一番高い所に建つセルカン・ゴンパ。
壁や屋根はきれいにされているが、ここは小さくともリンチェンサンポが10世紀に創建したとされる由緒ある寺。

 
鍵番の若いお坊さんに扉を開けてもらって奥のお堂に入ると、小さな堂内は壁に仏様の塑像がずらりと並び、壁や天井もびっしりと装飾されて圧巻の空間。
タボと共にここもぜひまた見たいと思って来たのだが、前回は写真を撮らせてもらえたこの堂内、今回は写真撮影禁止とのつれないお言葉。せっかく今回は前よりいいカメラを持ってきたのに~(泣)。

しかし責任者ならともかく、まだ10代と思しきお坊さんでは責任が取れないし、無理を言っても仕方がない。
と言うわけでプロ・カメラマンの山本氏に美しい女神様のベストアングルなど教わって、せめて目に焼き付けることに専念する。
ちなみに13年前に撮った堂内の様子はこちら
この堂内についての情報はなかなかないが、壁画や塑像はタボと同じぐらい古いものではないだろうか。

ゆっくりと小さなお堂を堪能させていただいて、隣のマニ車のある部屋は写真を撮っていいと言うので一枚。


さらにもう一つのお堂に入ると、部屋いっぱいに四面四躯の大日如来様。
 
真摯にお願いすれば台座にコインが貼りつくと言うのでやってみたら、ちゃんと貼りついたよ。

 案内のお坊さんは仏像の説明もいささか怪しかったけれど、しっかり修行したまえよ。

お寺の見学を終えて村の駐車場へ戻ると、停められた一台のトラックに畑の収穫物を積み込み中。
 
下の畑からは重そうな荷物を背負わされたロバたちが次々にやって来る。

そこで村の見学、と道を下って行くと
 
暖房用だろうか、道端には薪がいっぱい。

家の周りでは子供たちが歓声を上げて遊んでいて
  
この不敵な面構えがいいではないか。

 
畑に植えられているのはエンドウ豆で、女性たちが収穫作業をしているのでそちらへ。
 
 この豆が生で食べるとすごく甘くておいしくて、お手伝いと称してさんざん口に入れてしまった。

この豆は摘み取ると大きな麻袋に入れて、口を縫い付けロバに乗せる。
  
豆をぎっしり詰め込んだ袋は重くて、我々ではとても持ち上げられないのだが
  
これを女性でも担いでしまうのだから重労働。
 でもお手伝いのおねえちゃんは明るくてかわいい。

畑で遊んでいるうちに陽も傾いてきたので、宿に帰って夕食を待つ。
 今夜はボリューム満点のモモに、野菜がいっぱいのテントゥクは平打ち麺。

居間でくつろいでいると、宿のオーナーの娘がお父さんに甘えている。
 トレッキング・ガイドもするというお父さんは夏は忙しくてなかなか家にいないらしく、ストレートな愛情表現がなんとも愛らしい。

 食後に屋上に上がってみると、天の川がくっきりと見えた。


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スピティ再訪 8 ダンカル・ゴンパ

2017-10-04 19:42:49 | チベット文化圏
7月19日

早朝、ゴンパ内で朝のお勤めをしているのではないかと覗きに出かけてみる。

 大きなチョルテンの周りには野良犬がいっぱいいて、夜はこいつらの縄張りなのであろう。

新しい集会場には誰もおらず、古いお堂のゴンカン(護法堂)ではお坊さんが一人、読経をしていたが、ここは女人禁制なのでその外でしばらく聞いていた。
すると地元の女性が一人、ドゥカンの中に入って行くので物欲しげに見ていると、連れの男性が手招きしてくれたのでありがたく中へ。

ご本尊にお供えをしているらしい夫婦を除いては他に誰もいない早朝のドゥカン、前日の昼間には派手に見えた壁の彫像が薄暗い中ではしっとりと見えて、お堂の中央に立つとまさに立体曼荼羅の中心にいると実感できてゾクゾク。お供えを済ませると扉には鍵が掛けられてしまったから、一緒に中に入らせてもらえたのは本当にラッキーだった。

ホテルに戻って、こじゃれたチベット風のレストランで朝ご飯。
 
ハニーレモン・クレープなんて、これまたこじゃれたメニューもおいしかった。

タボを出て、来た道をさらに南へ下ればキナール地方に入るが、我々はここから引き返して、1時間ほどでダンカル村へ。

緑の段々畑の向こう、崖の上に建つのが目指すダンカル・ゴンパ。
  標高3890m、12世紀に建てられたゲルク派の寺だ。

遠くから見ると近寄りがたい寺に見えるが、実は車道が上まで通じている。
 
横から見ると手前に新しいお堂を増築中なのが見える。

 
その脇を通り、階段を上って古いお堂の中へ。
 
土の階段を上がって大きな部屋に入ると、古いタンカなどが並ぶ部屋。

窓からは下を流れる川や畑が見える。

さらに上に上がると屋上に部屋が並んでいて
 
お坊さんが座っている扉の向こうはダライ・ラマがいらっしゃった時の居室。
 
台所の様なスペースの奥に岩山をくりぬいただけの瞑想部屋があったり、魔除けのヤクのはく製がぶら下がっていたり。
 
部屋の中ではお勉強中らしいお坊さんの姿も見えるが、良く見るとその手元にはスマホが置かれていたりする。

 この屋上の上にはさらに高い塔が見えるが、案内のお坊さんに聞くとこちらはもう使われていないとのこと。
しかし不思議なのは13年前に来た時には古い壁画で覆われた部屋があったのだが、今回はその部屋がどこにもなかったこと。
以前の記録では「てっぺんのお堂」とあるので、この塔の上に上がれたのだろうか。
案内のお坊さんが「そんな部屋は見たこともない」と言うのも不思議で、再見を楽しみにしていたのでがっかりしたし、狐につままれたような気分。


古いお堂を出ると、眼の前には村の家々が見え、谷の向こうに見える大きな黄色い建物は新しいお堂。

 
仏像が並ぶがいささかがらんとした建物は2009年にできた学堂。
 
その隣のこちらが現在の集会堂。

こちらにはさらにゲストハウスがあるので、
 
ここで本日もお昼はトゥクパ。

 テラスからはお向かいのゴンパがよく見え
 
眼下の村では畑仕事中の村人や、子供たちが遊んでいる姿も見えてのんびり。

男性陣はさらにゴンパを上から見下ろすポイントまで山を登って行ったが、自分ともう一人の女性はインド人ガイドと共に一足先に次の目的地へ向かうことにする。

幹線道路から東に入ると周りは荒涼たる岩山に深い谷。

人家の周りにだけわずかに緑が見え
 さらに高い所に見えるデムル村の標高は4300mだ。

車はさらに奥へ入る。


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スピティ再訪 7 タボ・ゴンパ

2017-10-03 01:30:07 | チベット文化圏
7月18日 続き

ホテルを出るとタボ・ゴンパ境内への入り口はすぐ目の前。
 
これをくぐって少し行くとまだ新しい集会堂と大きなチョルテンがある。

これを右に折れれば古いお堂への入り口があるが、その手前にあるゲストハウスでまずは昼食。
 
表のメニューにはタコスやブリトーのメキシコ料理まであるが、本当に出てくるのだろうか。
 
宿泊もできるらしいこの建物の1室で、我々は無難にトゥクパをいただく。

腹ごしらえが出来たらいよいよお堂へ。
 
きれいな板敷になった中庭の向こうにあるのがこのゴンパのメイン・アトラクションである古い集会堂、ドゥカン。
 英語を話す案内のお坊さんの後に付いて小さな入口を入る。

ここは996年にグゲの王、ゲシェ・ウーが大翻訳官リンチェン・サンポと共に建立した由緒あるお寺。
内部には10,11世紀のオリジナル壁画がびっしりと残っている、まさに夢のような所。
この素晴らしい壁画がまた見たくてスピティ再訪となったわけだが、内部は撮影禁止。
なので内部を絵葉書の写真で紹介すると、まずは護法堂への入り口のある暗い入り口ホールを通り、小さなホールへ。
 ここにはマントを羽織り、髪を垂らした女性など素朴だがとても面白い絵があるが、これこそ996年の創建当時の貴重な壁画。

ここを抜けるとその先が正方形の集会堂で
 
入口の上には守護女神ドルジェ・チェン、周囲の壁は32体の仏像が中空に浮かぶように取り巻き、その上下の壁面も隙間なく壁画で覆われている。
 
こちらの壁画は1042年にカシミール様式に塗り替えられたもので、優雅な仏様も美しいが、寄進者たちなど世俗の姿も楽しくて、暗い堂内を懐中電灯で照らしながら見ると細かいところがさらに面白い。
 お堂の奥には4面の大日如来がおられて、このお堂の空間全体が金剛界曼荼羅を構成しているとのこと。

さらにこの奥に後堂があって、こちらには千仏画や
 1046年の改装に関する記述まで残っている。

興奮しながら一通りドゥカンを見て回り、この後は弥勒堂とドムラン堂の内部も見せてもらったはずだが
 
記憶がほとんどないのはドゥカンが素晴らしすぎたせい。

  

境内にはこの他にも小さなチョルテンがいくつもあって、中には内部に壁画のありそうな大きさのものもあるので案内のお坊さんに入れないのかと聞いてみると、「中に犬などが入ってしまうので入口を閉じてしまった」とのこと。
このお坊さん、なにげに面白かったのだが、次の見学者が待っていてすぐに消えてしまったのは残念。

この後は自由に見ていいというので、もう一度ドゥカンに戻って立体曼荼羅にどっぷり。
 入口では以前はなかった英語の解説書(350ルピー)と30枚組の絵葉書(250ルピー)を売っていたので、寄付金もかねてお買い上げ。

 
新しい集会堂の近くに戻ってみると若いお坊さんたちが問答をやっていたが
 あまり真剣そうじゃなかったかも。

境内を出るとまわりには家が少しあるだけで
 
学校帰りの女の子の後をついて行くとすぐに集落を抜けてしまう。

向かいの山の中腹に洞窟寺院があると言うので行ってみると、がれきの急斜面で上るのが大変。
 
ゴール手前で上まで上がるのをあきらめてしまったが

ここからはタボの集落が一望。
 タボ・ゴンパの全景に、その奥のヘリパッドまで見える。

下りはさらに怖くて苦労して戻ったが、後で聞いたら脇に階段があったそうな。
他の皆さんと一緒に来ればよかった。

夕食はホテルのレストランで、今夜もダルとカレー。
  
 
昨晩にはかなわないが、今日もおいしくいただきました。


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スピティ再訪 6 カザ~タボ

2017-09-27 15:56:32 | チベット文化圏
7月18日

早く床に付けば早く目が覚める。

そこで朝食前にカザの町の散歩へ。

 正面の山に朝日が当たり始めるのを眺めながら涸れ川の上流に向かうと
 
岩山の麓にきらびやかなカザ・ゴンパが建っている。
ここは2009年に建てられたばかりの新しいサキャ派の僧院。
 
さらに華やかなお寺の中ではお坊さんがたった一人、太鼓を叩きながら読経をしていたが、少し離れた所にはまるで学校の様な僧坊があったので、それなりの数の僧侶がいるのではないかと思われる。

 お寺の門の向かいにはこれも真新しいチョルテンが並び
 その前の道をしばらく行くと新市街も終わってしまう。

 
新市街には文字通り新しい建物が並んでいて、役所や警察、軍関係の施設に、14年前にはなかったホテルもいくつかできている。

 とは言え見るべきものもないので涸れ川の河原を渡ると
 
昨日の夕方来た町はずれの畑に出て

花畑の向こうに旧市街

正面の山の麓にはスピティ川が流れているのが見える。

カザの町は標高3600m。
インドでも一番平均気温の低い町の一つなのだそうで、冬は当然氷点下になるが、暖房がほとんどないので厚着をしてがまんするしかない、とはこの町に住むインド人ガイドの話。
しかし一番大変なのは水の確保だそうで、「雪や氷を溶かせばいいんじゃないの」と言うと「そんな余分な燃料はない」と言われてしまった。

そろそろ朝食の時間、とホテルの厨房を覗くと
 
スタッフが生地を伸ばし、マダムが鉄板の上でそれを焼いてスピティ・パンを作っている。
イーストとベーキングパウダーを入れて一晩寝かせたというパンは焼くとぷっくりと膨れて、アラブのピタパンにそっくり。
 一緒に出されたバターがおいし~。

朝食をゆっくりとって、今朝は10時に宿を出発。
 
町を出る前に給油したガソリンスタンドには「世界最高所のスタンド」とあったが、本当だろうか。
インドと中国は「世界一」が大好きだ。

カザからスピティ川に沿って南東に向かう道沿いにはほとんど緑がなく
  
 
触れれば崩れそうな岩と、雨が降ればたちまち土砂崩れを起こしそうな崖ばかりだが、この辺りの道はかなりよくなっていて道路封鎖もなく
 やがて緑の畑が見えてきて、1時間40分でタボの町に着いてしまった。

タボでの宿はまだ出来たばかりらしいマイトレーヤ・リージェンシー。
 
フロントの壁にはダライ・ラマの肖像が掛かっているが、この町にはヘリポートもあって猊下も度々いらっしゃるらしい。
猊下は引退してこの町で隠居するという噂があるが、と山本氏があとでお寺のお坊さんに聞くと、「そりゃいらっしゃればうれしいが、こんな田舎町に隠居はなされないよ」と笑い飛ばされてしまった。
チベット僧はみんな冷静で現実的だ。

 
このホテルの部屋も明るくてとてもきれい。
 テラスから家がずいぶん増えたタボの町を眺めて、さあ、それではこの旅のハイライトの一つ、タボ・ゴンパに行こう。

 
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スピティ再訪 5 カザ到着

2017-09-25 11:49:42 | チベット文化圏
7月17日 続き

 昼食休憩後、車はまた高度を上げ、40分ほどで今回の旅の最高地点、標高4550mのクンザム・ラに到着。


チベット仏教エリアらしく無数の五色の旗タルチョや白いダルシンが翻る峠。
 
この手の届きそうな濃いブルーの空が見たくてこういう所に戻ってきてしまうのかもしれない。

この峠を下るとすぐにチェック・ポストのあるロサール村。
 
 
ここからが本格的にチベット仏教徒の住むエリアになるのだが、係官のおやじはイスラエル人の若いお姉ちゃんたちと写真を撮らせてご満悦。

 土のために真っ黒なスピティ川を渡り
 
ヤクと牛を交配させたゾの群れに遭遇したりしながら行くと
 
西日に照らされる景色はますます荒涼としてくる。

 やがて山の中腹にキ・ゴンパが見えたら今夜の宿はもうすぐ。

というわけで、18時半に無事スピティ一大きな町、カザに到着。
  
本日の宿は旧市街から橋を渡ってすぐの所にあるオールド・モンク・ホテル。
 
もらった部屋は明るくて広く、バスルームのお湯もちゃんと出る。

テラスの前は旧市街との境である石ころだらけの河原だが、14年前に比べるとこの辺りに新しいホテルがいくつも建ったようだ。

日もだいぶ傾いてきたが、暗くなる前に山本氏のガイドでカザの旧市街にお散歩。
 
マニ壁を回って少し行った所が町の中心。この辺りは以前とあまり変わっていないような。
 街角では仕事帰りのおばちゃんたちが立ち話。
そのおばちゃんたちが働いていた町はずれの畑に出てみると
 
夕焼けがきれいで、明日の天気は大丈夫そう。

  
 
懐かしいような裸電球や蛍光灯で照らされたお店を覗きながらホテルに戻る。

今夜は広々としたホテルの食堂で
 
料理自慢の宿のマダムに指揮されたスタッフの料理を食べる。

 
最初に登場したのはツァンパのスープだが、こちらではチルペと呼ぶ乾燥チーズや豆、青菜が入り、さらっとしてまるでお味噌汁のよう。こういうツァンパ・スープは初めてだがとてもおいしい。
 
山本氏が絶賛するダルやチキンカレー、炒飯なども確かにおいしくて、要するに味付けのセンスがとても良いのだな。こういう所は何を食べてもはずれない。
ご飯を食べすぎて、中国のマントウと同じティモックという蒸しパンが出るころにはもう入らなかった。

長旅で疲れたし、それではシャワーを浴びて寝ましょう、とバスルームに入ろうとすると停電になってしまった。
しかしまあ、こういう所の停電は予想済み、持参のヘッドランプを近くに置いてお湯を出していると、自家発電でLED電球が一つ付いた。

このLEDが一つでも煌々と明るくて、それはいいのだがいざ寝ようとスイッチを探すがどこにもない。
どうやら部屋の中のどのスイッチともつながっていないらしくて、明るいと寝られない自分は仕方がないのでアイマスクをして寝た。

翌朝、同行者たちに聞いてみるとどの部屋もやはり状況は同じで、男性二人は電球を外して寝たとのこと。
後で宿の主人に聞くとそれが正解だった模様。
サービス、良すぎかも。


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