11月5日 続き
出雲大社に軽くご挨拶した後は歩いて5分ほどの島根県立古代出雲歴史博物館へ。
2007年にできたまだ新しい博物館。
ロビーは広々と明るく、中二階にはおしゃれなカフェがある。
館内に入ると中央にこの博物館の目玉の一つ、出雲大社から出土した平安時代の柱の実物。
↓ これは出雲大社の宝物殿にある模型と、現在の本殿前、柱が出土した位置の印だが、この大木の柱をこんな風に3本束ねて一本の太い柱とし、本殿は9本の柱の上に載っていたのだそうだ。
この柱の太さから建物の規模を推定してみた模型がこちら
現在の本殿の高さ24メートルに対して、最大48メートルあった可能性があるとか。
せっかく建て替え中の本殿、どうせならこの規模に復元してもらいたいものだが、一宗教法人となった現在では出雲大社といえども無理か。
この博物館のもう一つの目玉は荒神谷遺跡の出土品。
上段の金ぴかの剣はもちろん複製だが、その下に緑青に覆われた本物がずらりと並んで壮観。
加茂岩倉遺跡出土の銅鐸も
近くで見ると細かい模様が美しい。
数は少ないが見事な埴輪や豪族の乗馬姿の復元模型。
古代の合コンの様子の模型もあっておもしろい。
それほど大きな博物館ではないが、根を詰めてみるとくたびれる。
というわけで中二階のおしゃれカフェで一休み。
ここのメニューがなかなか凝っていて、これは飛鳥時代に作られていたチーズの一種、「蘇」。
牛乳を3時間かけて煮詰めて作るそうだが、癖のない濃厚チーズでおいしい。
さて、一休みの後がいよいよ本番。
八百万の神様を稲佐の浜でお迎えする神迎神事を見学するためバスで移動。
ほんの短い距離の移動だが、寸暇を惜しんで夕食のお弁当が配られる。
がすでに道路は海岸へ向かう車で渋滞しているのでなかなか前に進まず、食事をするにはちょうどいい。
そして食事を終えたら相変わらず動かないバスを降りて大勢の人と一緒に暗い道を会場へ。
ブレブレの画像だが砂浜への入り口には玉串をもらう人たちがすでに長い行列を作っている。
その横をすり抜けて浜辺へ出ると、ここもすでにすごい人垣。
中央では盛大にかがり火をたいているが、それもかろうじてのぞける程度。
朝から降り続いていた雨は幸いにして夕方やんだが、いつまた降るかもしれない空模様なので、通常ならかがり火の前で行われるとおぼしき神事も海岸に建てられたテントの中。
海岸でしばらく待つうち祝詞が聞こえてきて神事が始まったが、姿を見ることは全くできず。
しかし周りは静まり返り、肉声と思われる国造の声が驚くほどよく聞こえる。
自分は気が付かなかったがこの間、テントの上を白い鳥が一羽ずっと飛んでいたそうな。
そして一連の祝詞が終わるとにわかにそれまで聞こえなかった波の音が聞こえてきたとか。
それと同時にまるで待っていたかのように雨粒が落ちてきた。
八百万の神様の先導役は龍神なので、雨は神様がいらっしゃった証、とは我が添乗員の弁。
これは町の写真屋さんの店頭にあった写真で、神様は大きな榊の枝に移られ、これを白布で囲みながら神官たちが出雲大社までお連れする。
通常ならこの行列が海岸から大社まで町を歩き、信者はその後ろをついて歩くのだが、「本日は荒天のため行列は中止」とのアナウンスがすでに神事の前にあった。
その時点では雨は降っていなかったので、なんで、と思ったが、実際に神様がおいでになると雨が降り出したのだからまるでわかっていたかのよう。
この後は大社の神楽殿でまた神事があるので、そちらへ移動しようと砂浜を離れる。
そして通りに出るとなんと
神様方がバスに乗り込むところに遭遇してしまった。
しかしお榊を布で囲ったままバスに乗り込むところ、不遜ながら事件の犯人をブルーシートで囲って護送する姿にそっくり・・・。
しかも大勢の人と大社に向かって歩き近くまで行くと、先に見送ったはずのバスがなぜか後ろから来て、今度はバスから降りるところも目撃。
真っ暗な中を降りると、神官たちはまるで走るようにすごいスピードで神楽殿へ向かう。
神楽殿に入る時も真っ暗なまま。
そして神様が座につかれるとおもむろに明かりがつけられる。
神楽殿の前を埋め尽くす人の波。
神事は続いているが到底何かを見られるような状況ではないので暗い出雲大社の構内をうろうろ。
そろそろ行事が終わるころに神楽殿から大社に入る入り口で待っていると案の定、また白布で囲われたお榊が運ばれてきて、神様方の宿舎である十九社に入られるところが見えた。
神様が無事に宿に落ち着かれると神楽殿の前では餅やお神酒がふるまわれる。
こうして本日の行事は終了。
何が見えたというわけではないが、浜辺での雰囲気が独特で得難い経験であった。
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出雲大社に軽くご挨拶した後は歩いて5分ほどの島根県立古代出雲歴史博物館へ。
2007年にできたまだ新しい博物館。
ロビーは広々と明るく、中二階にはおしゃれなカフェがある。
館内に入ると中央にこの博物館の目玉の一つ、出雲大社から出土した平安時代の柱の実物。
↓ これは出雲大社の宝物殿にある模型と、現在の本殿前、柱が出土した位置の印だが、この大木の柱をこんな風に3本束ねて一本の太い柱とし、本殿は9本の柱の上に載っていたのだそうだ。
この柱の太さから建物の規模を推定してみた模型がこちら
現在の本殿の高さ24メートルに対して、最大48メートルあった可能性があるとか。
せっかく建て替え中の本殿、どうせならこの規模に復元してもらいたいものだが、一宗教法人となった現在では出雲大社といえども無理か。
この博物館のもう一つの目玉は荒神谷遺跡の出土品。
上段の金ぴかの剣はもちろん複製だが、その下に緑青に覆われた本物がずらりと並んで壮観。
加茂岩倉遺跡出土の銅鐸も
近くで見ると細かい模様が美しい。
数は少ないが見事な埴輪や豪族の乗馬姿の復元模型。
古代の合コンの様子の模型もあっておもしろい。
それほど大きな博物館ではないが、根を詰めてみるとくたびれる。
というわけで中二階のおしゃれカフェで一休み。
ここのメニューがなかなか凝っていて、これは飛鳥時代に作られていたチーズの一種、「蘇」。
牛乳を3時間かけて煮詰めて作るそうだが、癖のない濃厚チーズでおいしい。
さて、一休みの後がいよいよ本番。
八百万の神様を稲佐の浜でお迎えする神迎神事を見学するためバスで移動。
ほんの短い距離の移動だが、寸暇を惜しんで夕食のお弁当が配られる。
がすでに道路は海岸へ向かう車で渋滞しているのでなかなか前に進まず、食事をするにはちょうどいい。
そして食事を終えたら相変わらず動かないバスを降りて大勢の人と一緒に暗い道を会場へ。
ブレブレの画像だが砂浜への入り口には玉串をもらう人たちがすでに長い行列を作っている。
その横をすり抜けて浜辺へ出ると、ここもすでにすごい人垣。
中央では盛大にかがり火をたいているが、それもかろうじてのぞける程度。
朝から降り続いていた雨は幸いにして夕方やんだが、いつまた降るかもしれない空模様なので、通常ならかがり火の前で行われるとおぼしき神事も海岸に建てられたテントの中。
海岸でしばらく待つうち祝詞が聞こえてきて神事が始まったが、姿を見ることは全くできず。
しかし周りは静まり返り、肉声と思われる国造の声が驚くほどよく聞こえる。
自分は気が付かなかったがこの間、テントの上を白い鳥が一羽ずっと飛んでいたそうな。
そして一連の祝詞が終わるとにわかにそれまで聞こえなかった波の音が聞こえてきたとか。
それと同時にまるで待っていたかのように雨粒が落ちてきた。
八百万の神様の先導役は龍神なので、雨は神様がいらっしゃった証、とは我が添乗員の弁。
これは町の写真屋さんの店頭にあった写真で、神様は大きな榊の枝に移られ、これを白布で囲みながら神官たちが出雲大社までお連れする。
通常ならこの行列が海岸から大社まで町を歩き、信者はその後ろをついて歩くのだが、「本日は荒天のため行列は中止」とのアナウンスがすでに神事の前にあった。
その時点では雨は降っていなかったので、なんで、と思ったが、実際に神様がおいでになると雨が降り出したのだからまるでわかっていたかのよう。
この後は大社の神楽殿でまた神事があるので、そちらへ移動しようと砂浜を離れる。
そして通りに出るとなんと
神様方がバスに乗り込むところに遭遇してしまった。
しかしお榊を布で囲ったままバスに乗り込むところ、不遜ながら事件の犯人をブルーシートで囲って護送する姿にそっくり・・・。
しかも大勢の人と大社に向かって歩き近くまで行くと、先に見送ったはずのバスがなぜか後ろから来て、今度はバスから降りるところも目撃。
真っ暗な中を降りると、神官たちはまるで走るようにすごいスピードで神楽殿へ向かう。
神楽殿に入る時も真っ暗なまま。
そして神様が座につかれるとおもむろに明かりがつけられる。
神楽殿の前を埋め尽くす人の波。
神事は続いているが到底何かを見られるような状況ではないので暗い出雲大社の構内をうろうろ。
そろそろ行事が終わるころに神楽殿から大社に入る入り口で待っていると案の定、また白布で囲われたお榊が運ばれてきて、神様方の宿舎である十九社に入られるところが見えた。
神様が無事に宿に落ち着かれると神楽殿の前では餅やお神酒がふるまわれる。
こうして本日の行事は終了。
何が見えたというわけではないが、浜辺での雰囲気が独特で得難い経験であった。
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