11月17日 続き
石見銀山を離れるころ、ようやく雨が上がってきた。
そして向かったのは車で30分ほどの桜江町と言う小さな町。
この町の市山地区にある小さな神社で行われる大元神楽というのを見学するのがツアータイトルにもある通り、今回の主目的なのだ。
今は生涯学習センターになっている旧小学校前の駐車場でバスを降り、小高い丘を登ると会場となる八幡宮の本殿がある。
本殿と言ってもまるで民家のような造りの控えめな建物。
テントなど建って準備は進んでいるようだが、お神楽が始まるのは夕方の5時過ぎ。席取りのために早々と3時に到着したのだが
神楽舞台正面にはもう20人以上の人たちがしっかり厚い座布団を敷いて座っていらっしゃる。
写真撮影はできないかも、と言われていたが、来てみると高い三脚とフラッシュは禁止ながら撮影自体はOK。最前列を占めているのは立派なカメラを持ったおじさんたち、後ろには町の教育委員会と地元ケーブルテレビのビデオも入り、大学の研究者もかなりいらっしゃるようでみんな撮る気満々。
正面とはいかないが、ちょっと脇の最前列を確保して、神事が始まる前に腹ごしらえ。
石見銀山で買ってきた箱寿司はやさしいお味。
待っている間にも続々と観客は増える。地元の方たちは座布団に毛布持参。
寒さ対策はある程度してきたが、お尻のことは考えていなかった。バスから薄いクッションを借りて来たものの、固い床にこれから先が思いやられる。
座っている正面は綱で仕切られて、その向こうには紋付羽織姿の地元有力者(?)の方々が座っておられる。
すぐ目の前の方が「どこから来たの?」と声をかけてくださり、東京からと言うと、「出雲の他の神楽は八調子だけれど、ここのは昔ながらの六調子でゆっくりなの。だからちょっと退屈しちゃうよ」と、あらまあ、なご発言。6年に一度しか行われない、その昔ながらを見に来たんです。
待つこと2時間、5時を過ぎていよいよお神楽が始まる。
まずは「四方拝」で舞台のお浄め。
東西南北の方位に合わせて青(緑)、赤、白、黒(紫)の衣装で舞うのは中国の五行説にのっとっているそう。
舞い手は氏子である市山神友会の方々。
続いて「潮祓(しおはら)い」で神の降臨を願う。
「太鼓口(どうのくち)」は舞ではなく太鼓、笛、鉦によるお囃子。
太鼓がずんずん体に響いて迫力がある。
続く「磐(いわ)戸」はご存じ天の岩戸伝説でこれは天照大神。
ウズメノミコトやタヂカラオも登場して、まさに神楽の原点を見せる趣向。
ここでちょっと脚を延ばしにぎっしりの観客をかき分けて外へ。
小さな境内のテントでおばちゃんたちの作るうどんを一杯いただく。
ほかにもたこ焼きの屋台などあり、また本殿に入れなかった人のために内部の様子を見せるモニターも設置されている。
中に戻ると神職による神事が始まっている。
巨大な幣を振って祝詞をあげたり、日本人の目から見ても「エキゾチック」。
神事の終わりには神様にいろいろな捧げものをするのだが、
氏子から氏子へリレーされる品々が立派なものばかり。
大きな大根や白菜に「見事だねえ」と声を上げる地元の方々、これも祭りの原点だと感じられる。
一連の神事が終了して再び市山神友会による神楽の開始。
「弓八幡」は宇佐八幡宮の祭神が鬼を退治する舞だが、若武者の二人は中学生の兄弟。弟君が時々お兄ちゃんの方を確認し、互いににこっとするのがむちゃくちゃかわいい!
この神楽団のみなさんは舞うだけではなくお囃子も担当し、神楽歌も歌う。それぞれの演目は20分ほどあって長いし、演目もたくさんあるので覚えるだけでもどれだけ大変なことか。そんな中、こういう若い後継者がいるとは頼もしい。
「剣舞」は幣と鈴、扇を持った4人による舞。
「神武」は「神武天皇の長脛彦征伐」だそうで、この後鬼も2人登場する。
「御座」は異色の演目。
舞手は半畳のゴザを持って舞うのだが、最後のクライマックスではこれを広げてまるで縄跳びのようにその上を跳ぶのだ。畳の横幅を、それも何回も跳び越すのだからこれは大変。成功した後は大喝采。
この後の「天蓋」も面白かった。
神楽が演じられている舞台の天井にはまるで幼稚園のパーティーのように色とりどりの紙飾りがさがっているのだが、その中から神様の名前を記した小さな箱(天蓋)が降りてくる。
これは舞台そでにいる曳き手がひもをひっぱって操るのだが、上がったり下がったり横に大きく振れたりと、まるで天蓋自体が生きているかのように動いてすごい迫力。よく紐が絡まらないものだと感心する。
「鞨鼓・刹面(かっこ・きりめ)」は天女も登場するが、修験道の流れをくむ演目とか。
夜も更けたが観客は一向に減らず、神楽はまだまだ続く。
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石見銀山を離れるころ、ようやく雨が上がってきた。
そして向かったのは車で30分ほどの桜江町と言う小さな町。
この町の市山地区にある小さな神社で行われる大元神楽というのを見学するのがツアータイトルにもある通り、今回の主目的なのだ。
今は生涯学習センターになっている旧小学校前の駐車場でバスを降り、小高い丘を登ると会場となる八幡宮の本殿がある。
本殿と言ってもまるで民家のような造りの控えめな建物。
テントなど建って準備は進んでいるようだが、お神楽が始まるのは夕方の5時過ぎ。席取りのために早々と3時に到着したのだが
神楽舞台正面にはもう20人以上の人たちがしっかり厚い座布団を敷いて座っていらっしゃる。
写真撮影はできないかも、と言われていたが、来てみると高い三脚とフラッシュは禁止ながら撮影自体はOK。最前列を占めているのは立派なカメラを持ったおじさんたち、後ろには町の教育委員会と地元ケーブルテレビのビデオも入り、大学の研究者もかなりいらっしゃるようでみんな撮る気満々。
正面とはいかないが、ちょっと脇の最前列を確保して、神事が始まる前に腹ごしらえ。
石見銀山で買ってきた箱寿司はやさしいお味。
待っている間にも続々と観客は増える。地元の方たちは座布団に毛布持参。
寒さ対策はある程度してきたが、お尻のことは考えていなかった。バスから薄いクッションを借りて来たものの、固い床にこれから先が思いやられる。
座っている正面は綱で仕切られて、その向こうには紋付羽織姿の地元有力者(?)の方々が座っておられる。
すぐ目の前の方が「どこから来たの?」と声をかけてくださり、東京からと言うと、「出雲の他の神楽は八調子だけれど、ここのは昔ながらの六調子でゆっくりなの。だからちょっと退屈しちゃうよ」と、あらまあ、なご発言。6年に一度しか行われない、その昔ながらを見に来たんです。
待つこと2時間、5時を過ぎていよいよお神楽が始まる。
まずは「四方拝」で舞台のお浄め。
東西南北の方位に合わせて青(緑)、赤、白、黒(紫)の衣装で舞うのは中国の五行説にのっとっているそう。
舞い手は氏子である市山神友会の方々。
続いて「潮祓(しおはら)い」で神の降臨を願う。
「太鼓口(どうのくち)」は舞ではなく太鼓、笛、鉦によるお囃子。
太鼓がずんずん体に響いて迫力がある。
続く「磐(いわ)戸」はご存じ天の岩戸伝説でこれは天照大神。
ウズメノミコトやタヂカラオも登場して、まさに神楽の原点を見せる趣向。
ここでちょっと脚を延ばしにぎっしりの観客をかき分けて外へ。
小さな境内のテントでおばちゃんたちの作るうどんを一杯いただく。
ほかにもたこ焼きの屋台などあり、また本殿に入れなかった人のために内部の様子を見せるモニターも設置されている。
中に戻ると神職による神事が始まっている。
巨大な幣を振って祝詞をあげたり、日本人の目から見ても「エキゾチック」。
神事の終わりには神様にいろいろな捧げものをするのだが、
氏子から氏子へリレーされる品々が立派なものばかり。
大きな大根や白菜に「見事だねえ」と声を上げる地元の方々、これも祭りの原点だと感じられる。
一連の神事が終了して再び市山神友会による神楽の開始。
「弓八幡」は宇佐八幡宮の祭神が鬼を退治する舞だが、若武者の二人は中学生の兄弟。弟君が時々お兄ちゃんの方を確認し、互いににこっとするのがむちゃくちゃかわいい!
この神楽団のみなさんは舞うだけではなくお囃子も担当し、神楽歌も歌う。それぞれの演目は20分ほどあって長いし、演目もたくさんあるので覚えるだけでもどれだけ大変なことか。そんな中、こういう若い後継者がいるとは頼もしい。
「剣舞」は幣と鈴、扇を持った4人による舞。
「神武」は「神武天皇の長脛彦征伐」だそうで、この後鬼も2人登場する。
「御座」は異色の演目。
舞手は半畳のゴザを持って舞うのだが、最後のクライマックスではこれを広げてまるで縄跳びのようにその上を跳ぶのだ。畳の横幅を、それも何回も跳び越すのだからこれは大変。成功した後は大喝采。
この後の「天蓋」も面白かった。
神楽が演じられている舞台の天井にはまるで幼稚園のパーティーのように色とりどりの紙飾りがさがっているのだが、その中から神様の名前を記した小さな箱(天蓋)が降りてくる。
これは舞台そでにいる曳き手がひもをひっぱって操るのだが、上がったり下がったり横に大きく振れたりと、まるで天蓋自体が生きているかのように動いてすごい迫力。よく紐が絡まらないものだと感心する。
「鞨鼓・刹面(かっこ・きりめ)」は天女も登場するが、修験道の流れをくむ演目とか。
夜も更けたが観客は一向に減らず、神楽はまだまだ続く。
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