1月23日
ゴルフリゾートを出て山の上にあるタウンジ―の町へ。
シャン州の州都ではあるが、稜線上に細長く伸びる街はあまり特徴のない田舎町と言う感じ。
今日はタウンジ―の南にあるカックーと言うところに行くのだが、まずは街中にあるパオ族のオフィスに立ち寄る。
パオ族地域にあるカックーへはパオのガイドなしでは立ち入ることができないのだ。
待っていると民族衣装に着替えた女性ガイドと、見習いらしい若い男の子がやって来て我々の車に乗り込んだ。
女性ガイドはなかなか上手な英語を話し、「私の名前はナンシーです」というので英語名を名乗るのかと思ったら「ナン」はMsにあたる言葉なので名前は「シー」なのだった。
緑の田んぼや畑が多く、日本の田舎を思わせるような景色をしばらく行くうち、特徴的な家屋が見えだした。
やがてまるで公園のように生垣が整えられた一角に車が止まり、「パオ族の村を見学します」と降ろされた。
家の壁は竹で編まれ、屋根はトタンが増えているようだが萱のような草を丁寧につないで葺いてある。
庭で作業中だったおばあちゃんの家にあがらせていただくと
1階は作業や物置のためのスペース、居住スペースは2階にあって囲炉裏まで木の床の真ん中にある。
どの家も小さな窓がいくつも開いていないが、壁が隙間だらけなので思ったほど暗くない。
タイやラオスでもみかける、いかにも東南アジアらしい家だ。
村の中には学校などもあり、規則正しく配置された家々の間の道にはゴミ一つ落ちていない。
村人はもちろん本物だろうが、おそらくこの村は観光客を意識した「モデル村」と言ったところなのだと思う。
カックーへのガイド義務といい、オフィスの壁に写真がかかっていたパオ族のリーダーはなかなかやり手と見た。
さらに田園風景を走り、2時間ほどで目的地に到着。
12世紀以来、2500本もの仏塔が建てられたというカックー遺跡。しかし全体の印象としては思っていたよりずいぶんコンパクト。
それも道理、中央にこそ広い通路があるが、その両脇にはびっしりと仏塔が立ち並ぶ。
一見どれも同じように見える仏塔もよく見ればちがいがあり、頭の飾りがすっとじょうご型のものはシャン、釣鐘型はビルマ、釣鐘に耳が付いたものはパオ・スタイルだとか。また中には尖塔のない仏塔もある。
仏塔群の中央にはひときわ高く真っ白なパゴダが建ち、その始まりは紀元前ともいわれるらしいが、現在の形に修復し中に涅槃像を置いたのはシンガポールの仏教徒らしい。
実際、遺跡と呼ばれ、12世紀以来の歴史というわりには古さを感じさせる仏塔は少ない。
中には外側の漆喰がはがれ中の煉瓦がむき出しになっていたり、頭の金属飾りがないものもあるが、ピンダヤの洞窟寺院同様、ここも次々に修復が「寄進」され、そのスピードはこの遺跡の名前が知られるとともにさらに加速しているとのこと。
寄進を拒むわけにはいかないし、かと言って修復されすぎては歴史的遺跡に価値を感じる海外からの観光客にはそっぽをむかれる。難しいところだ。
さらに仏塔群を覗いて回れば、祠の中に小さな仏像が安置されていたり、どの時代の流行だったのか、小さな塑像をたくさんつけた仏塔があったり。
この塑像が素朴でかわいくて結構ツボ。
カラフルに彩色された仏塔の両脇に刻まれているのはパオ族の始祖。
龍の母親と超人の父親の末裔たちは村では今でも民族衣装を着ているが、このガイドさんたちにとっては仕事の制服。紺一色のスマートな衣装だが、本式の物はウールで高価なんだそうだ。
規模にはちょっとがっかりしたが、迷路のように立ち並ぶ仏塔の間を先端の飾りが風でチリチリ鳴るのを聞きながら歩くのは気持ちがいい。
一回りした後は遺跡の脇にある小さなマーケットでお昼。
本日も飽きずにシャン・ヌードル。
食後は暇そうに昼寝などしているおばちゃんたちの露天を拝見。
観光地とは言え売られているものは香辛料やニンニク、豆類にお茶など日常的なものばかり。
我らがガイドさんが一番年かさに見えるおばあちゃんのところでお茶や香辛料を買っている。聞けば「お客さんがいなそうだから」と人助けの意味らしい。
なるほど、と教えられてこちらもターメリックなど購入。お釣りはないので出したお金分を買う。と言っても50円、100円の世界。
カックー観光の後はタウンジ―の町に戻り、パオ族のガイドさんたちと一緒にシャン州文化博物館へ。
田舎博物館そのものだが、入場料を2ドルも取り、内部は撮影禁止。
1階にはシャン州だけではなくミャンマー各地の民族衣装を着たマネキンが並び、2階にはアウンサン将軍を始め、ミャンマーおよびシャン州の英雄たちの肖像画や写真が並べられている。
アウンサン将軍は少数民族との融和を約束したので今でも人気が高いようだが、やはり人気の娘の方は少数民族問題までは気が回っていなそうなのが残念。
パオ族のオフィスで地元ガイドさんたちと別れ、タウンジ―の町を後にした。
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ゴルフリゾートを出て山の上にあるタウンジ―の町へ。
シャン州の州都ではあるが、稜線上に細長く伸びる街はあまり特徴のない田舎町と言う感じ。
今日はタウンジ―の南にあるカックーと言うところに行くのだが、まずは街中にあるパオ族のオフィスに立ち寄る。
パオ族地域にあるカックーへはパオのガイドなしでは立ち入ることができないのだ。
待っていると民族衣装に着替えた女性ガイドと、見習いらしい若い男の子がやって来て我々の車に乗り込んだ。
女性ガイドはなかなか上手な英語を話し、「私の名前はナンシーです」というので英語名を名乗るのかと思ったら「ナン」はMsにあたる言葉なので名前は「シー」なのだった。
緑の田んぼや畑が多く、日本の田舎を思わせるような景色をしばらく行くうち、特徴的な家屋が見えだした。
やがてまるで公園のように生垣が整えられた一角に車が止まり、「パオ族の村を見学します」と降ろされた。
家の壁は竹で編まれ、屋根はトタンが増えているようだが萱のような草を丁寧につないで葺いてある。
庭で作業中だったおばあちゃんの家にあがらせていただくと
1階は作業や物置のためのスペース、居住スペースは2階にあって囲炉裏まで木の床の真ん中にある。
どの家も小さな窓がいくつも開いていないが、壁が隙間だらけなので思ったほど暗くない。
タイやラオスでもみかける、いかにも東南アジアらしい家だ。
村の中には学校などもあり、規則正しく配置された家々の間の道にはゴミ一つ落ちていない。
村人はもちろん本物だろうが、おそらくこの村は観光客を意識した「モデル村」と言ったところなのだと思う。
カックーへのガイド義務といい、オフィスの壁に写真がかかっていたパオ族のリーダーはなかなかやり手と見た。
さらに田園風景を走り、2時間ほどで目的地に到着。
12世紀以来、2500本もの仏塔が建てられたというカックー遺跡。しかし全体の印象としては思っていたよりずいぶんコンパクト。
それも道理、中央にこそ広い通路があるが、その両脇にはびっしりと仏塔が立ち並ぶ。
一見どれも同じように見える仏塔もよく見ればちがいがあり、頭の飾りがすっとじょうご型のものはシャン、釣鐘型はビルマ、釣鐘に耳が付いたものはパオ・スタイルだとか。また中には尖塔のない仏塔もある。
仏塔群の中央にはひときわ高く真っ白なパゴダが建ち、その始まりは紀元前ともいわれるらしいが、現在の形に修復し中に涅槃像を置いたのはシンガポールの仏教徒らしい。
実際、遺跡と呼ばれ、12世紀以来の歴史というわりには古さを感じさせる仏塔は少ない。
中には外側の漆喰がはがれ中の煉瓦がむき出しになっていたり、頭の金属飾りがないものもあるが、ピンダヤの洞窟寺院同様、ここも次々に修復が「寄進」され、そのスピードはこの遺跡の名前が知られるとともにさらに加速しているとのこと。
寄進を拒むわけにはいかないし、かと言って修復されすぎては歴史的遺跡に価値を感じる海外からの観光客にはそっぽをむかれる。難しいところだ。
さらに仏塔群を覗いて回れば、祠の中に小さな仏像が安置されていたり、どの時代の流行だったのか、小さな塑像をたくさんつけた仏塔があったり。
この塑像が素朴でかわいくて結構ツボ。
カラフルに彩色された仏塔の両脇に刻まれているのはパオ族の始祖。
龍の母親と超人の父親の末裔たちは村では今でも民族衣装を着ているが、このガイドさんたちにとっては仕事の制服。紺一色のスマートな衣装だが、本式の物はウールで高価なんだそうだ。
規模にはちょっとがっかりしたが、迷路のように立ち並ぶ仏塔の間を先端の飾りが風でチリチリ鳴るのを聞きながら歩くのは気持ちがいい。
一回りした後は遺跡の脇にある小さなマーケットでお昼。
本日も飽きずにシャン・ヌードル。
食後は暇そうに昼寝などしているおばちゃんたちの露天を拝見。
観光地とは言え売られているものは香辛料やニンニク、豆類にお茶など日常的なものばかり。
我らがガイドさんが一番年かさに見えるおばあちゃんのところでお茶や香辛料を買っている。聞けば「お客さんがいなそうだから」と人助けの意味らしい。
なるほど、と教えられてこちらもターメリックなど購入。お釣りはないので出したお金分を買う。と言っても50円、100円の世界。
カックー観光の後はタウンジ―の町に戻り、パオ族のガイドさんたちと一緒にシャン州文化博物館へ。
田舎博物館そのものだが、入場料を2ドルも取り、内部は撮影禁止。
1階にはシャン州だけではなくミャンマー各地の民族衣装を着たマネキンが並び、2階にはアウンサン将軍を始め、ミャンマーおよびシャン州の英雄たちの肖像画や写真が並べられている。
アウンサン将軍は少数民族との融和を約束したので今でも人気が高いようだが、やはり人気の娘の方は少数民族問題までは気が回っていなそうなのが残念。
パオ族のオフィスで地元ガイドさんたちと別れ、タウンジ―の町を後にした。
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