Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ベトナム縦断 8 早朝のミーソン遺跡

2024-04-07 14:43:31 | 東南アジア

3月3日

今朝は5時に起床、まだ真っ暗な5時45分には玄関先に出る。
これからミーソン遺跡に行くのだが、昼間では暑くなりそうだし、それ以上に人のいない遺跡が見たいと思ってKK Dayで早朝ツアーを申し込んでおいたのだ。

時間通りに来てくれたバンには我々が一番乗り。
その後、旧市街の外の小さなホテルをぐるぐると回ってホイアンを出たのは1時間後。最終的には全部で6人になった。

ホイアンを出ると田んぼの続く景色になって、やがてちょっとした山が見えてくると1時間でミーソン遺跡の入り口に着いた。
時刻は7時だけれど遺跡はもう開いている。が、さすがにまだ車も1,2台しか来ていない。
 ツアー代金には含まれていない入場チケットは15万ドン(約900円)。
 
ゲートをくぐり、かわいい園内カートで山道を5分ほど走って遺跡群へ。

カートを降りてからも少し歩いて、まずはガイド君から遺跡の説明を受ける。
 ミーソン遺跡は2~15世紀ごろまで栄えたチャムパ王国のヒンドゥー宗教遺跡。背後に聖なる山があるということでこの場所が選ばれたらしいが、この日は少し霧雨も降るどんよりした曇り空で肌寒く、山は霧に隠れて全く見えない。
遺跡群は地図にあるようにいくつかに分かれているが、見どころは10,11世紀に作られたというグループB, C, D。
 
中心となるのはシヴァ神の神殿。
  
中に入ることができるが、中央に置かれていたシヴァリンガは博物館に持って行かれてしまい、ヨニだけが残る。

  
周りには他のシヴァリンガや首を落とされた石像、倒れた石柱なども並べられているが、見どころは神殿の壁に残る彫像。
  
  
保存状態がよくないがカンボジアのアンコール遺跡の彫刻とよく似ている。

ミニ博物館のように彫刻が並べられた建物に入ればそれが一層よくわかる。
  
 
アンコールワットは12世紀のものだから、こちらの方が時代は先だ。 

  
象の彫刻があったり、馬の鞍のような形の屋根はチェンナイ郊外のマハーバリプラムで見たものに似ていたり、ヒンドゥー文化の広がりを実感。
 それもあってか、この遺跡の発掘、修復にはインドが深く関わっているようだ。

主な建物の案内をしたら後は自由行動、その後は他のグループの建物を見ながら出口へ向かうが
  
 
一部復元されたものを除いては遺跡群の損傷は激しくて
 ここなどほとんどただのレンガの山。
というのもここはベトナム戦争中に爆撃されていて
 
ガイドが「アメリカのシヴァリンガ」と呼ぶ砲弾があったり、爆撃のクレーターが残っていたり。
なんでこんな所を、と思うが、北ベトナムの解放軍が遺跡を本拠地としていたのだとか。
ベトナム戦争もしかし幸いなことに歴史になった。

またカートに乗って入り口ゲートに戻ったのは9時。
 すると続々と見学者が押し寄せていて、我が同胞の姿もいっぱい。海外の観光地でこんなに日本人の姿を見るのは久しぶりだ。

 来た道を戻ると田んぼの上の空が晴れてきた。
ガイド君によるとホイアン周辺は貧しい農家ばかりで、それが世界遺産になって観光業が栄えたおかげで暮らし向きがとても良くなったのだとか。
ついでに観光客が多いのはいつかと聞くと、「一年中」。秋には雨が多くて洪水になったりもするが、観光客の姿は消えないのだそうだ。

帰路の途中、ちょっとした町のカフェでツアーに含まれている朝食。
  
 
バインミーはパンが軽くてあっという間にお腹の中に。後はベトナムコーヒーを飲みながらツアー参加者とおしゃべりするが、それほど若くない同行者たちはそれぞれ一人旅ながら、偶然にも二人がメルボルン、二人がモントリオールから来ていて、みんな半年以上かけてアジアを旅しているとか。カナダの公務員は10年だか20年だか勤めると一年ぐらいの有給休暇がもらえるらしい。

またホテルをぐるぐる回って、我々が宿泊先に着いたのが11時。
朝起きるのはちょっと辛かったが、静かな早朝ツアーは正解だった。


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