Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ボルネオ再訪 7 クチンの川向う

2025-02-05 17:04:09 | 東南アジア

11月30日 続き

お昼を食べたらクチンの街歩きを再開。

昔の印刷所やカラフルな駐車場らしき建物を過ぎ
  
 
緑の建物はイスラム博物館。その向こうに見えてくる巨大な建物は2022年に完成したボルネオ文化博物館だけれど、ここはまた改めて来よう。

その道路を挟んだ向かいには古いサラワク博物館があるが、この中には今は入れない。
 
その先に大きな蝶の付いた建物があるので行ってみると、こちらは自然史博物館。入場無料とのことなので入ってみると
 
ワニや魚の剥製、オランウータンの骨格標本などが並んだなんともクラシックな博物館。

ここを出てまた川の方へ下りて行くと中華街というべきカーペンター通りに行きつく。
 
昼下がりなので活気はなく
 
上手い壁画など見ながらずっと歩いて行くと
 道の終わりに道教のお寺があった。

この頃には汗だくで死にそうになっていたところ、お向かいにうれしいことに渋いかき氷屋があるではないか。
 
緑のニョロニョロ、チェンドールや小豆、ゼリーなど入ったマレーシアではABCと呼ばれるかき氷、MR3(約100円)で生き返る!

川沿いのプロムナードに面した商店街はほとんど土産物屋になっているが
 
屋根付きの通路には商品が思い切りはみ出して、通路か商店の中なのかわからないほど。

道を渡ってまた川辺に出たら、たくさん行き来している渡し舟に乗って対岸に渡ることにする。
  
 
小さなエンジンと2本の櫓を操ってあっという間に渡る船賃は片道MR1。

 着いた先には民家があるが、看板に従って坂を上がると
 
上がり切った先には植物園があり、その前にあの目立つ州議事堂。

この脇を抜けて少し降りると白いマルガリータ要塞が現れる。
 
1880年と入り口の上にあるこの小さな要塞、入場料はMR30だがありがたいことにシニアは半額。

中は19世紀半ばからサラワクを統治した白人王、ブルック家に関する展示室になっていて、これがすこぶる面白い。
  
ボルネオ島のサラワク周辺は元々ブルネイ王国の一部だったが、19世紀半ばに原住部族の反乱がおこり、これをイギリスからやって来たジェームス・ブルックと言う男が鎮圧し、その褒章としてこの地の王となってサラワク王国を作ってしまったのだ。

この白人王国は日本軍に占領されるまで3代、100年続いたそうで、歴代王妃も白人だったが現地になじんで愛されたとのこと。実際には中国人や部族の反乱もあったようだが、第二次大戦後にイギリスの植民地になった時には惜しまれたともあって、いかにも冒険好きイギリス人の話として面白い。

屋上に出ると周りの景色も良く見え
  
 
小さな大砲の並んだ中庭も見える。この要塞は海賊の侵入に備えて作られたとか。

ブルック家の歴史を勉強したら丘を降りて川辺を少し歩き、地元で有名らしいケーキ屋さんへ。
 
グーグルマップを見ながらたどり着いた店は、え、ここなの、と言う外観だが靴を脱いで入る店内には地元民の買い物客が大勢。
 
テーブルの上に試食用としてたくさん並べられたカラフルなケーキがクチン名物のケクラピス。
インドネシアにも同じものがあるが、元々オランダから伝えられたバームクーヘンが凝ったデザインのカラフルなお菓子に進化したらしい。
 いろいろ試食しつつ、結局選んだのは地味なプラム入り。
マーガリンを使ったものは一本MR10だが、バターを使ったこちらはMR25と少しお高い。が、しっとりしておいしかった。

また渡し舟に乗ってホテルに戻り、歩き疲れたので夕食はホテルのすぐ近くのレストランへ。
 
漢方薬くさいスープに骨付きチキンの入った八宝スープ、体に良さそうでいい。


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