文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
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書評:英傑の日本史 西郷隆盛・維新編

2017-09-17 10:12:18 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
英傑の日本史 西郷隆盛・維新編 (角川文庫)
クリエーター情報なし
KADOKAWA

・井沢元彦

 来年のNHK大河ドラマで「西郷どん」が放映されるということで、その西郷隆盛の人物像を描いたタイムリーな本書。ただし、全編西郷隆盛を描いているという訳ではなく、前半は島津氏の歴史を描いている。

 薩摩と言えば島津氏を連想するということで、島津氏は昔からずっとあの地を本拠としていたのだと思っていたが、どうもそうではないようだ。島津氏の家系には、あの源頼朝の子孫だという伝承があるという。また元々は惟宗という姓であり、京の藤原氏筆頭である近衛家の家来だったという。島津と名乗ったのは、惟宗忠久が島津荘の荘官に任命されて以来らしい。

 ところで、本書から読み取れるのは、まず江戸時代にいかに武士たちが朱子学の毒に侵されていたかということだろう。私はそもそも儒教などというものに何の価値も見出していないが、朱子学というのは、儒教のなかでもとりわけ原理主義的なもののようだ。

 徳川幕府は、忠孝を重んじる朱子学が自分たちの支配のために都合がよかったので、これを奨励した。しかし、朱子学はその副作用の方が強かったのだ。あの「士農工商」の身分制度なども朱子学の影響である。かってマルクス主義大流行のころは、すべての言論はマルクス主義に照らしてどうかという観点から判断されたというが、同じように、江戸時代は、朱子学がすべての価値の基準だったのだろう。著者は歴史学者は朱子学というものに対して無理解だと批判する。

 もうひとつ読み取れるのは、島津斉彬の英明ぶりとその異母弟久光の残念ぶり。西郷は久光のために2度も島流しの憂き目に遭った。もし西郷の敬愛する斉彬がずっと生きていたら日本の歴史はもっと違ったものになっていたかもしれない。

 今でこそ神とも祀られる斉彬だが(実際に鹿児島市の中心部には斉彬を祀った照国神社がある)、朱子学に照らすと、とんでもないバカ殿ということになるそうだ。著者は斉彬の死因は彼を嫌っていた父斉興と久光の生母であるお由良一派による毒殺ではないかと推理しているが今となっては真相は藪の中。

 著者は「逆説の日本史」シリーズなどで、歴史の定説と言われるものに一石を投じている。本書もそんな著者らしい記述が満載であり、読者の期待を裏切らないだろう。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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