本書はタイトルの通り、昭和13年の山頭火の旅日記の2冊目である。前作では、西は九州から東は東北まで、かなり広い範囲を旅していたが、この旅日記で描かれるのは、山口県と広島県。この年は近場しか行っていないようだ。
この年、山頭火は7年間住んでいた小郡(現在の山口市小郡)の「其中庵」が老朽化したため、山口市湯田温泉に移り、「風居庵」を結んでいる。彼の突然の死の2年前のことだ。次の年には彼の対の住処となる愛媛県松山市に移住しているので、湯田温泉に住んでいたのはごく短い期間だ。湯田温泉に移った月は色々調べても分からなかったが、5月28日の日記に、広島方面に行くのに四辻駅から乗ったという記述がある。四辻駅というのは、山陽本線で小郡駅(現新山口駅)からひとつ東側になる。湯田温泉に住んでいるのなら、湯田温泉駅もしくはその周辺から乗るだろう。
しかし、7月6日の日記には、湯田はよいとこという記載があるので、もう湯田温泉に住んでいたようだ。ただバスで山口に行ったという記載がいくつかあったので、「歩けよ!」と思った。私も湯田温泉から山口まで何度も歩いたことがある。小郡からだとちょっと遠いが、湯田温泉から山口までは歩けない距離ではない。貧乏暮らしで、行乞と支援者からの援助に頼っていたのなら、節約できるところは節約しろよと思ってしまう。
彼の人生には死が影を落としている。
岩国の町へはまはらないで愛宕村を歩いた。山のみどりがめざましい、おゝ、あの山がそれか、あの山で弟は自殺したのか。弟よ、お前はあまりに弱く、そしてあまりに不幸だったね!
弟が自殺したのは、もう20年以上前である。だがずっと彼の心には弟の自殺が引っかかっていたのだろう。
こういう一節もある。
死ぬにも死ねないみじめさである。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。