ノーベル文学書受賞作家であるウィリアム・ゴールディングのデビュー作、
「蝿の王」(新潮社)。蝿の王とは、魔界の王ベルゼブブのことだ。そんなタイトルの付いた小説が、どのようなテーマを扱っているかは想像に難くない。
この作品は、戦時中に、少年たちの乗った飛行機が無人島に不時着したところから始まる。島は航路から外れているため、沖を通る船に見つけてもらうためには、狼煙を絶やさないようにしなければならない。彼らは、最初のうちはラーフという少年を中心に、集会を開き、規則を定めてやっていこうとしていた。しかし、目先の享楽的なことに目を奪われがちな、ジャックの率いる一団を初めとして、少年たちは、次々に離反していく。彼らは、規則を守ることよりは、島でおもしろおかしくやっていきたいのだ。
この作品を少年たちの物語にしたのは、まだ理性が十分に発達していないからだろう。人は、成長するにつれて、本能の上に、理性という衣を一枚一枚重ね着していくものだ。しかし、子供はまだ十分な理性を身に纏っていない。ちょっとしたことで、理性の衣が剥がれて、本能がむき出しになってしまう。彼らは、無人島から救出されるために一番大切なことを理解できずに、目先の享楽だけを追い求めていく。 そこでは、力の強い者が権力をふるい、知性があっても力のない者は顧みられない。
この作品で、理性を象徴するのが「ほら貝」である。集会で発言できるのは、「ほら貝」を持った者だ。しかし、そのルールはしばしば無視される。一方少年たちの享楽的な本性を象徴しているのは、「棒きれの上に曝された豚の頭」だ。それは、「蝿の王」として、少年の一人であるサイモンに語りかける。「わたしらはこの島でおもしろおかしく暮らしていきたいのだ!」
そして、ついに狂乱の神ディオニュソスが理性の神アポロンを駆逐し、悲劇が幕を上げた。ほら貝は壊され、蝿の王の声を聞いたサイモンも、少年たちの中で最も理性的だったピギィも、狂乱の中で殺される。狼煙の重要性を訴えていたラーフはジャックたちによって狩られるものとなってしまう。なんともショッキングな展開だ。しかし、ゴールディングは、これが人間の本性だと言いたいのだろう。その人間の本性というものを、少年たちの漂流記に託して鋭く描き出していると思う。
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※本記事は、2012年01月08日付で、書評専門の拙ブログ、
「風竜胆の書評」に掲載したものです。