ローカルな風景第2回は、国鉄「川越線」です。
川越線は、八高線と並んで埼玉県内で電化の遅れていた路線です。川越附近では、東武鉄道や西武鉄道が早くから電化・複線化されていたのに対し、東北新幹線上野開業・埼京線との直通運転が始まるまで、単線非電化のままでした。
もう直ぐ電化工事が始まる(既に始まっていた?)という頃、近場でもあったので友人と撮影に行ったときの写真です。あまりキハ30系には興味があったわけではありませんが、その中でもステンレス車の900番台だけは好きでした。
昭和59年7月27日 川越線 南古谷~指扇 荒川橋梁築堤を走るキハ30系4連
架線柱も建っていないときでしたので、大変スッキリしています。
昭和59年7月27日 川越線 南古谷~指扇 荒川橋梁を行くキハ30系4連
昭和59年というとつい最近のような気がしてしまいますが、もう23年も前のことなんですね。鉄橋以外の障害物がない風景は、205系10連が走る現在とは比べ物にならないほどローカルな雰囲気を醸し出しています。
大宮駅にて キハ35900 首都圏色塗装前
メモを取っていないころなので曖昧ですが、前後のネガから推測すると昭和52年末~53年初めくらいの時期のようです。
キハ35900番代は、国鉄初のステンレス製気動車として製作され、房総地区に投入されました。房総各線の電化により大宮機関区に転属となり、川越線・八高線で活躍していました。しばらくは無塗装でしたが、晩年は首都圏色(タラコ色)に塗られ、個性の一つを奪われた感じがします。
川越線は、八高線と並んで埼玉県内で電化の遅れていた路線です。川越附近では、東武鉄道や西武鉄道が早くから電化・複線化されていたのに対し、東北新幹線上野開業・埼京線との直通運転が始まるまで、単線非電化のままでした。
もう直ぐ電化工事が始まる(既に始まっていた?)という頃、近場でもあったので友人と撮影に行ったときの写真です。あまりキハ30系には興味があったわけではありませんが、その中でもステンレス車の900番台だけは好きでした。
昭和59年7月27日 川越線 南古谷~指扇 荒川橋梁築堤を走るキハ30系4連
架線柱も建っていないときでしたので、大変スッキリしています。
昭和59年7月27日 川越線 南古谷~指扇 荒川橋梁を行くキハ30系4連
昭和59年というとつい最近のような気がしてしまいますが、もう23年も前のことなんですね。鉄橋以外の障害物がない風景は、205系10連が走る現在とは比べ物にならないほどローカルな雰囲気を醸し出しています。
大宮駅にて キハ35900 首都圏色塗装前
メモを取っていないころなので曖昧ですが、前後のネガから推測すると昭和52年末~53年初めくらいの時期のようです。
キハ35900番代は、国鉄初のステンレス製気動車として製作され、房総地区に投入されました。房総各線の電化により大宮機関区に転属となり、川越線・八高線で活躍していました。しばらくは無塗装でしたが、晩年は首都圏色(タラコ色)に塗られ、個性の一つを奪われた感じがします。