蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お葬式セレモニー考

2010-02-08 | 時事&世の中
式場の場で、親戚の方々とご挨拶。
一生に1回か、2回しか、会わないんだろうなあ・・・と、思いつつ。
私が結婚した時に、挨拶回りで数名の方とはお会いしたことがあるが、
あとの方は、義母から、話は聞いているものの、お会いしたことがない方々。
次にお会いするのは、ご本人のお葬式の時か、うちのお葬式の時だろう。
先方の方がこの先まだまだお達者であれば、うちのお葬式にも来てくださるだろうが、
あの年齢では、それは望めそうもない。
つまり、生きているうちでは、最初で最後のご挨拶となる。

親戚って、冠婚葬祭の時しか会わないんだなぁと、つくづく実感した。
最近は、結婚式も、あまり親戚を呼ばないことが多いので、
「婚」はちょっとだけ、メインは「葬」のお付き合い。
義母から話はたっぷり聞くものの、お付き合い薄く、ほとんど実生活には関係ない親戚、
されど、親戚。
お互いに、葬儀に出席し合える、一種の保険のようなもの?
お互いが、絆と誇りを感じ合える、血族アクセサリー???

厳かに行われる盛大な葬儀もさることながら、その一方で、代理出席や、義理出席などのない、
こじんまり、ごく身近な人だけでの「家族葬」もいいかも・・・とも、思った。
葬儀を身内ですまして、あとから年末に喪中葉書でお知らせするというシンプルなパターン・・・
「水くさい」と、不満を感じる人もなかには、いるだろうけれど。
あるいは、後から後から、香典が次々届いたら、煩雑でややこしい、と困る遺族もいそうだ。
でも、出席する側となれば、香典を送るだけのほうが、楽だし、
(さらに、喪中葉書に、「香典は辞退させていただきます」と追記してあると、香典を送る負担もなくなる。)
知らされていないのなら、
義理を欠くことを嫌がる人にとっても、葬儀に出席しないことは失礼にもならない。
冠婚葬祭を重んじる田舎の場合、
なかなか、従来の価値観、慣習を打ち破るのは、並大抵ではなさそうだが。
日本人の精神には、「義理」というものは、かなりウエイトを占めていると感じるから。


死にゆく人は、どんどんこの世からいなくなり、
新しい家族がまた創出され、新しいお付き合いが始まる・・・
はずなんだけど、結婚する年齢になっても、新しく家庭を築かない人が増えてきている。
なので、減りゆく一方。
それなりに結婚して家庭を持ち、家族を増やしてほしいものだ。


葬儀後、セレモニーホールに頼んで、タクシーを呼んでもらった。
そのタクシーの運転手さんのお話。

「1~2人ぐらいのごく少人数しかご遺族がいない葬儀があって、
私は、その度に、棺桶担ぎをやらされてますんや」
人には、それぞれ、いろんな事情を抱えているようだ。