「訃報です」
義母からのメールが入っていると、ぞっとする。
この時期、寒暖の温度差が激しいからなのか、また訃報。
またまた参列せよと?
今度は、どこ? 遠くではありませんように・・・。
どうせ、よく知らない人なんだろうし。
不安のなか、そう念じていたら、
今回は、葬儀は義母の家の近く(ご近所の人と車に乗りあわせて行く距離)で行われるとか。
夫は昨夜、お通夜に列席、そして本日、体調が良ければ、告別式は義母が行くそうだ。
亡くなったのは、親戚でもなんでもない、地域、地元のお方。
私はその地域に住んでいないので、それこそ、無関係に近い。
その人の顔は、多分あの人か??ぐらいのおぼろげ記憶。
地域こぞって、参列。ぞろぞろぞろ。
行けと言われたら行きますが、私は、葬式が嫌い。
誰しも好きな人なんてないだろうけれど。
(万が一、運悪く、自治会長職をくじ引きで当たってしまって、やらされていたら、
任期中は、参席しないといけないのだろうけれど)
当然、自発的に参列する葬儀もある。
が、指令発動の場合は、任務。これ以外にはない。
私自身はなんのつながりもないのに、身代り列席。
義母の住む地域では、年がら年中、葬儀話を聞くような気がする。
(葬儀の前後も、行事が続くようだし。日常生活と葬儀は切っても切り離せない地域??)
現に、今回の訃報のお方も、義母宅の隣家では、お通夜はご主人、告別式は奥さん、と、
分業して行っているようだ。(亡くなった人とは、親戚ではない)
義母の立場の人(姑)は、引退。
義母は、一日も早く引退することを願っている。
私は、義母に一日も長く現役のままでいてもらうことを願っている。
年齢からすると、私の思いは、通常、叶わないことだろう。
そんな駄々っ子のようなことは通らないと思うので、せいぜい、死者の数が減ることを望むのみ。
葬儀列席担当は、私の職務と割り切って、言われるままに従う。嫌だけど、避けられない。
養ってもらっている以上は、ね。
嫁の役割を理解し、遂行?
しかし、家がどうとか、ああとか、って、何?
この場合、家って、家屋(HOUSE)の意味ではない。
社会学では、「イエ」と表記される? ふーーん・・・?
嫁って、非常に厄介なポジションにある。
(小林麻央チャンも、これから、梨園の呪縛が待っている・・・)
投げ出したい気持ち100パーセント。
結婚式は招待される人だけが出るが、お葬式は、自由参加。自由度が高いはずなのに、
義理で固められたガチガチのお付き合い。それが家の嫁の務めなんだって。
農家に、外国から嫁に来た女性、大変だろうなあ。
農家でなくても、文化や考え方が違うところに、嫁に来る人は、価値観がぶつかり合うだろう。
といっても、ぶつかるような自由な雰囲気はなく、強制的に従わさせられるのだろうけれど。
外国でも、宗教の違う人同士の結婚は、大きな亀裂を生じるので、避けるのが普通だ。
日本でも、「宗教の違い」が離婚原因として認められる、裁判の判例が出ているし。
葬儀は、ある意味宗教行事だが、日本で、宗教上の理由で参列している人は、どれだけいるのだろう?
へんに知識や知恵を持っても、どうすることもできないのなら、そんなもの、持たないほうがマシ。
どうすることもできないのか、志気が上がらず、する気がないのか、
反旗を翻す計画を着々と推し進めているのか、はたまた飼い馴らされていくのか、
まあ、それは、ちょっと今のところは、サイドに置いておいて、
「へーへー、そうですか」と、割り切って、葬儀に馳せ参じるのも、ひとつの暫定的手法だ。
義母からのメールが入っていると、ぞっとする。
この時期、寒暖の温度差が激しいからなのか、また訃報。
またまた参列せよと?
今度は、どこ? 遠くではありませんように・・・。
どうせ、よく知らない人なんだろうし。
不安のなか、そう念じていたら、
今回は、葬儀は義母の家の近く(ご近所の人と車に乗りあわせて行く距離)で行われるとか。
夫は昨夜、お通夜に列席、そして本日、体調が良ければ、告別式は義母が行くそうだ。
亡くなったのは、親戚でもなんでもない、地域、地元のお方。
私はその地域に住んでいないので、それこそ、無関係に近い。
その人の顔は、多分あの人か??ぐらいのおぼろげ記憶。
地域こぞって、参列。ぞろぞろぞろ。
行けと言われたら行きますが、私は、葬式が嫌い。
誰しも好きな人なんてないだろうけれど。
(万が一、運悪く、自治会長職をくじ引きで当たってしまって、やらされていたら、
任期中は、参席しないといけないのだろうけれど)
当然、自発的に参列する葬儀もある。
が、指令発動の場合は、任務。これ以外にはない。
私自身はなんのつながりもないのに、身代り列席。
義母の住む地域では、年がら年中、葬儀話を聞くような気がする。
(葬儀の前後も、行事が続くようだし。日常生活と葬儀は切っても切り離せない地域??)
現に、今回の訃報のお方も、義母宅の隣家では、お通夜はご主人、告別式は奥さん、と、
分業して行っているようだ。(亡くなった人とは、親戚ではない)
義母の立場の人(姑)は、引退。
義母は、一日も早く引退することを願っている。
私は、義母に一日も長く現役のままでいてもらうことを願っている。
年齢からすると、私の思いは、通常、叶わないことだろう。
そんな駄々っ子のようなことは通らないと思うので、せいぜい、死者の数が減ることを望むのみ。
葬儀列席担当は、私の職務と割り切って、言われるままに従う。嫌だけど、避けられない。
養ってもらっている以上は、ね。
嫁の役割を理解し、遂行?
しかし、家がどうとか、ああとか、って、何?
この場合、家って、家屋(HOUSE)の意味ではない。
社会学では、「イエ」と表記される? ふーーん・・・?
嫁って、非常に厄介なポジションにある。
(小林麻央チャンも、これから、梨園の呪縛が待っている・・・)
投げ出したい気持ち100パーセント。
結婚式は招待される人だけが出るが、お葬式は、自由参加。自由度が高いはずなのに、
義理で固められたガチガチのお付き合い。それが家の嫁の務めなんだって。
農家に、外国から嫁に来た女性、大変だろうなあ。
農家でなくても、文化や考え方が違うところに、嫁に来る人は、価値観がぶつかり合うだろう。
といっても、ぶつかるような自由な雰囲気はなく、強制的に従わさせられるのだろうけれど。
外国でも、宗教の違う人同士の結婚は、大きな亀裂を生じるので、避けるのが普通だ。
日本でも、「宗教の違い」が離婚原因として認められる、裁判の判例が出ているし。
葬儀は、ある意味宗教行事だが、日本で、宗教上の理由で参列している人は、どれだけいるのだろう?
へんに知識や知恵を持っても、どうすることもできないのなら、そんなもの、持たないほうがマシ。
どうすることもできないのか、志気が上がらず、する気がないのか、
反旗を翻す計画を着々と推し進めているのか、はたまた飼い馴らされていくのか、
まあ、それは、ちょっと今のところは、サイドに置いておいて、
「へーへー、そうですか」と、割り切って、葬儀に馳せ参じるのも、ひとつの暫定的手法だ。