パリの話をパリブログで書いていたら、遅くなってしまった。
パリブログは、あまり手をかけていない(アップしない)ので、ときどき、水をやっておかないと枯れてしまう。
で、蝶ブログ。
自分のホンネは言わないほうが、よろしい。
が、しかし、染み付いたニオイは、ちょっとやそっとじゃ、消えやしません。
本当に苦労している人や、自力で生活を手に入れた人に比べると、
わたしは、ディズニーランドのような、テーマパーク風、擬似体験、仮想、想像の世界で遊んでいるだけだ、
ということが、実によくわかる。
うわべばかりで、ちゃらちゃら遊んで回っているだけなので、
心底しっかりした人のブログを読むと、自分との違いを感じて、とても恥ずかしい気がする。
ただ、なにごとも、表裏一体なので、別の見方をすれば、また別の感じ方、考えがある。
自分にないもの、人を否定する気は、まったくない。
ただ、自分を否定する気もない。
つまり、それぞれに、正しい。
自分で苦労して努力して手に入れたものは、価値があるし、自分の力のおかげだ。
そういう人は、人間的にも、デキた人が多いので、「皆様のおかげ」「運がよかっただけ」
とか、おっしゃる。
それは正当に評価できるし、足を引っ張るつもりも、突っ込みどころも、まったくない。
わたしが、つい最近知った、そのブロガーさんは、とても立派な方なのだが、
ただ、おもしろみには欠ける。
冗談が通じない。
わたしとは、接点がないということだ。
まったく、真逆の人というものは、かえって、接点があるかと思いきや、
予想に反して、まったくなかった。
これは、意外だった。
余裕がないっていうか、わき目もふれず全力で今まで来られているので、それは、しかたない。
それに引き換え、わたしと言えば、サボりまくっているので、余裕どころか、助走期間が99パーセントを占めるので、
そりゃあ、違って当然。
自分の力で今日の基盤を築いてきた人と、
自分の力じゃなく、今日の基盤を築いてきた人は、
一見、現在、同じ世界にいるようでも、根っこのところが、あまりにも違っていて、あれれ、あれま、とびっくりする。
ひょっとすると、賢人は、ホンネは絶対に出さないという、社会のルールに則った、常識人だからかも知れない。
ひとには、いろんな生き方があるので、どれも皆、すばらしい。
接点がないということは、トラブルも摩擦も起こさないので、これまた、すばらしい。
かっちん、こっちん、真面目人間は、わたしは、苦手だったりする。
お互い、合わない人というものは、必ずいて、それは当たり前だから、全然どうってことはなく、
わたしは、遠くから見るのみ、だ。
でも、とても素晴らしいんです、その人。
ただ、私と合わないだけ、なんです。
ペースとなる力量がまたく違うから、だろう。
マジメとフマジメ、性根がまったく違うから、だろう。