蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

キマジメと、フマジメ

2012-04-12 | ブログ

パリの話をパリブログで書いていたら、遅くなってしまった。
パリブログは、あまり手をかけていない(アップしない)ので、ときどき、水をやっておかないと枯れてしまう。

で、蝶ブログ。
自分のホンネは言わないほうが、よろしい。
が、しかし、染み付いたニオイは、ちょっとやそっとじゃ、消えやしません。

本当に苦労している人や、自力で生活を手に入れた人に比べると、
わたしは、ディズニーランドのような、テーマパーク風、擬似体験、仮想、想像の世界で遊んでいるだけだ、
ということが、実によくわかる。

うわべばかりで、ちゃらちゃら遊んで回っているだけなので、
心底しっかりした人のブログを読むと、自分との違いを感じて、とても恥ずかしい気がする。

ただ、なにごとも、表裏一体なので、別の見方をすれば、また別の感じ方、考えがある。
自分にないもの、人を否定する気は、まったくない。
ただ、自分を否定する気もない。

つまり、それぞれに、正しい。

自分で苦労して努力して手に入れたものは、価値があるし、自分の力のおかげだ。
そういう人は、人間的にも、デキた人が多いので、「皆様のおかげ」「運がよかっただけ」
とか、おっしゃる。
それは正当に評価できるし、足を引っ張るつもりも、突っ込みどころも、まったくない。


わたしが、つい最近知った、そのブロガーさんは、とても立派な方なのだが、
ただ、おもしろみには欠ける。
冗談が通じない。
わたしとは、接点がないということだ。

まったく、真逆の人というものは、かえって、接点があるかと思いきや、
予想に反して、まったくなかった。
これは、意外だった。

余裕がないっていうか、わき目もふれず全力で今まで来られているので、それは、しかたない。
それに引き換え、わたしと言えば、サボりまくっているので、余裕どころか、助走期間が99パーセントを占めるので、
そりゃあ、違って当然。

自分の力で今日の基盤を築いてきた人と、
自分の力じゃなく、今日の基盤を築いてきた人は、
一見、現在、同じ世界にいるようでも、根っこのところが、あまりにも違っていて、あれれ、あれま、とびっくりする。

ひょっとすると、賢人は、ホンネは絶対に出さないという、社会のルールに則った、常識人だからかも知れない。

ひとには、いろんな生き方があるので、どれも皆、すばらしい。
接点がないということは、トラブルも摩擦も起こさないので、これまた、すばらしい。

かっちん、こっちん、真面目人間は、わたしは、苦手だったりする。
お互い、合わない人というものは、必ずいて、それは当たり前だから、全然どうってことはなく、
わたしは、遠くから見るのみ、だ。

でも、とても素晴らしいんです、その人。
ただ、私と合わないだけ、なんです。

ペースとなる力量がまたく違うから、だろう。
マジメとフマジメ、性根がまったく違うから、だろう。

 

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