蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

人生の後半

2012-04-28 | 人生

あるブログをやっと卒業した。
お互い、見にいくことも、ないだろう。

リアル人を介しての、実在人のブログ。

かつて、行き来も少しあったが、もう、わたしのブログには見に来られてはいないだろうと確信して、書いている。
もし、偶然、見に来られていたら、それもご縁。

わたしは、自分では認めたくないのだが、潜在意識として、そのブロガーさんの生活が羨ましい??
そう自己分析する。
そのブロガーさん自身のことを羨ましがっているのではなく、「生活」が、羨ましいのだと思う。

わたしも羨ましがられている場合だって、ありえる。
決して「羨ましい」という表現ではなかったが、批判を込めて、「恵まれている」と、面と向かって言われたことがある。
ついでに、「ワガママだ」とも言われた。
そのとおり、ご無理ごもっとも。


気になる人(悪い意味で)への対処法を考えてみた。。。。

パターン1
羨ましい→妬ましい→憎たらしい→キライ→離れる→消去→平穏な心境

パターン2
どうかと思う→許せない→批判を受けるべき→でも、のうのうとしている、または確信犯→へんに無邪気
→ムカつく→憎たらしい→キライ→離れる→消去→平穏な心境


ハナシは、微妙にそれるが、
わたしは、専業主婦の人とは、友人、知人として、あまりお付き合いがない。
そして、本人の資質以外の特徴(背景)については、あまり関心がない。

一生懸命、家事をカンペキにこなして、子育てもカンペキ、夫との関係も、親戚とのお付き合いもカンペキ・・・
だったとしても、申し訳ないけれど、あんまり興味ない。
もちろん、否定する気は全くなく、そんなに素晴らしい方には、アタマが下がるのみ。確実に尊敬する。

わたしは、主婦としては最低。落第、一歩手前。仕事は、もっとデキが悪い。
人間として、ちょっとレベルが低い。

ワガママ勝手の、し放題。
いまに、しっぺ返しが来るはず。でないと、世の中、不公平。
おそらく、そういう目で見ている人もいるだろう。

ほんとうのところは、どう見られているかなんて、人のこころの中など、わからない。
想像しているのは、自分なので、自分のこころが、そう思っているだけかも。

かつて、母が、こう言っていた。
「世間は、あれこれ人のことを言っても、実際には、なにもしてくれない」
なるほど・・・
世間体、世間の目に対する母の考え。
人の意見に惑わされるな、自分自身をしっかり持て、ってことか。
ただし、自己責任のもとで。

こんなにワガママにしていると、実家の義姉さんが、仮に、
(もし、義姉さんが、このブログをご覧になっていたら、とっても、ややこしいことになっては困るので、
あくまでも、「仮に」ですよ、おねえさん、仮定法です)

わたしと同じように、ワガママ好き放題にしていても、母もわたしも、文句が言えない。
こういうところで、自分のやっていることの「しっぺ返し」は、違うカタチでやってくる。
姉、義姉、わたしは、ほとんど年が同じ。
三人で、旧来の価値観から、試行錯誤し、現代に応じた、アレンジ価値観を築こうとしているのかも。


義母(そして、義母と一卵性双生児と言われていた義姉も、らしい)が、かつて、よく言っていた。
「自分が、こう思う」から、「こうする」のではなく、
「人に、こう思われる」から、「こう、せざるをえない」

選択肢がある中から、能動的に自主的に選ぶのではなく、
選択肢があるにもかかわらず、嫌々渋々、自分がしたくないほうを無理やり理性的に選ぶ。
そして、うまくいかないときは、自己犠牲の代償を求め、責任を押し付ける。

批判を恐れるあまり、やりたいことをせず、いつも人を非難する側に回る。
確かに非難はされなくていいかも知れないが、そんな人生、おもしろい?

あまり極端なことをすると、本人も回りも疲れる。
そこそこ、周囲との妥協線を見出し、調整し、それなりの自己実現に向けて努力するのは、
残り少ない自分の人生、それぐらい、してもいいのでは?

人生の後半、だらだら下るか、それとも、違う意味で、上りつめるか。
自分次第。

 

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