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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

偽ロマンチスト

2012-04-19 | 日々のこと

昨日は、新規記事を書いたのだが、アップしなかった。
こんな記事、だめやろー、と思って。

せっかく入力、完成したんだから、アップしてもいいのだけれど。
外出先でケータイ電話から、小さい訂正を加えたりもしたが・・・
やっぱり、アップするのは、やめた。

なんでも、かんでもアップすればいい、ってものでもない。
これは、たんに自分だけの気持ちで、読んでくださる方には届かない思い(=自意識過剰)だろう。

まったく意味のない記事内容でも、平気でアップするくせに。


ここのところ、平和な日が続いている。
春の陽気のなか、桜吹雪にも、何度も見舞われ、松平健の舞台(どこかの劇場)に立っているかのごとく。

一昨日、書きかけた、「家族再編リニューアル」、その続きを書こうかと思ったが、
ノリも悪く・・・。またの機会に。


社交ダンス グループ・レッスンのクラスメートの方々が、更衣室でお話しておられた。
その内容は・・・・
新しく、白人さんとのハーフの20代?の生徒さんが、今月から入ってきているのだが、そのハナシに端を発し、
ご近所の白人ハーフのお子さん(すごくカワイイらしい)、その日本人母(容姿はいまいち、らしい)、
そして、白人を好む日本人(ガイジン志向人間)の特徴、
さらに、千昌夫の話まで、ガイジンつながりで、話はとんとんと進んでいた。
わたしは、着替えに忙しい(フリ)、ので、背中で聞くのみ。

マイナスの話、ばかり。悪いことばかりを掘り出して、話のネタにしておられた。
このお二人は、マイナス思考のようだ。

話しても話しても、薄い上っ面ばかりの話題、しかも、悪口。
彼女たちは、日ごろは、いい人で、この教室で、うっぷんを晴らしているのか?
興味のあることは、外側、見てくれだけ、という、その徹底したブレないスタンスに、わたしは新鮮な驚きを感じた。
それを平気で、人前でしゃべる、という、他の人のことなんか気にしていない、大らかさ。
自分たちは、どう見えるか、どう感じ取られるか、なんて、全然、考えたこともない、
自問するような、そんな事態にぶち当たったこともない、幸せな生き様。

ま、わたしも、所詮、似たようなものなので、聞いて、ブログのネタにして、それで、あと腐れなく、忘れる。
でも、話題の全てを覚えている、ということは、わたしにもその話題に興味があった、ということなのだろうか。
というか、表面だけではない、別の見方もある、って思った。
なら、その場で意見を言えばいいのに、ことなかれ主義、関わるのが面倒。

ただ、とらえ方は、人それぞれ、千差万別、人の数だけある。
だから、あれでいい。
女性週刊誌のノリの話題も、気まずい重々しい沈黙ムードの更衣室よりは、はるかにいい。
あんな場所で、政治の話題といってもねえ・・・
(ときどき、政治の話題も出ているが、一方的・好き放題の発言)


で、話題はころりと変わるのだが・・・・
「タイタニック 3D」を観た。
当時の上流階級も、もっと昔の上流階級も、パーティで食べて、話して、の退屈な日々。
かといって、食べるために命を削ることを、ステキ!!と目を輝かせるほど、地に足が着いていないわけでもない、わたし。
が、当時の豪華な客船の様子、インテリア、食器、服装、調度品、・・・・とても目の保養になった。
上流階級の贅沢三昧の生活は、
退屈であろうがなかろうが、つまらん話題であろうが、食べ飽きた飽食美食メニューであろうが、
美しいものは、美しい、と、わたしは感じるわけでして。

当時の選りすぐりの逸品は、美術館でお目にかかることができる。
どこかのレストランや、ホテルなどの建造物で、目にする幸運を手に入れることもできる。
それらの品々を見たり、空間に佇んだりすりと、ついでに、当時の人々の談笑や、ささやき、ざわめき、
食事中の食器とナイフやフォークが触れ合う音までセットで想像してしまう。
響き渡るクラシックの生演奏も、時間や空間に、多重奏的な演出効果をもたらす。

ぽあ~ん、と、うっとりした。

と、同時に、貴族の娘と、根無し草の貧乏青年との恋は、タイタニックが沈まなくても、
その二人の将来は、安易に想像できた。(悪い意味で)

わたしって、夢がない。

現実と、夢、理想。
折り合いをつけて、楽しまないと。


ある、インテリの演劇家がいる。
彼は、俳優でもあり、舞台に命を燃やす。
しかし、日ごろは、清掃を請け負って日銭を得る。
目標を持たない掃除仲間は、日々、不平不満だらけで、努力を惜しむ。
そんな彼らとは、まったく、主義、信条は合わないが、職業として割り切る。
仕事の場は、友人を作る場、ではないわけで。

彼の場合、売れていないので、スポンサーもつかないから、自腹で費用を捻出しなければならない。
ひたすらストイックな生活を送っていた。
大きな舞台からは、さすがに最近は遠のき、
地域密着型イベントなどで町の文化推進に一役買っておられるようす。
すこしは、好々爺っぽく、なられたのだろうか。

ちょっと、そういう話を思い出した。
わたしの目には、演劇自体はまったく理解できなかったが、
夢があれば、信念を貫けば、同じ現実を過ごしていても、ずいぶん違うんだなあと、ぼんやり感じた。
いつものわたしなら、すごく感動するんだろうが、
しかしながら、この人に関しては、感動ではなく、いたって冷静な目で見た。

わたしは、夢多き、現実主義者であるようだ。

 

 

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 ただ単に、その人のことが、個人的に、あまり好きでなかっただけかも知れない。