プロの作家はともかく、わたしは、素人さんブログで、すばらしいブログを読むと、感動して固まってしまう。
でも、ちょっと不出来な部分が残っている、そんなブログが、わたしには、ちょうどいい。
もともとわたしは、内気、内向的な性格で、人と争ったり、競ったりするのは大嫌いで、大の苦手。
(「負けず嫌い」の、正反対。負け慣れ、負け犬)
ひとりで、コツコツ、こそこそ、人に知られず、密やかにするのが好き。
立派な人、ものに出会うと、目が、かっと開いた後、フリーズ。
自然解凍された後の自分は、もはや不味くなった冷凍食品のような(意味不明)、
ああ、自分なんて・・・と、やけに卑屈な、いい年して可愛げもなにもない、劣等感のカタマリと化している。
すごく、すばらしいブログに出会った。
読めば読むほど、すばらしい。
でも、どんどん読むのは、やめようと思う。
なぜなら、自分が壊れてしまうから。
というとカッコいいけれど、わたしは、緊張の持続時間が限られていて、あとは麻痺状態。
影響を受けるのは、ほんの少しでいい。
ちょっと、突付かれるぐらいでいい。
人は、人。自分は、自分。
お互い、個々に自立していれば、なんの問題もない。
アイデンティティが、ぐらぐらするようじゃあ、だめだ。
ちなみに、
人のブログって、とてもおもしろい。
ジャンル、材料、料理の仕方、テクニック、味付け、感性、創作、アレンジ、見た目、と、お料理のごとく。
その微妙なバランス。
基本は、料理人のポリシー、味覚の追究。
ブログでいえば、ブロガーさんの人間性、信条、経験、知識、語彙、思考力、感性、演出、表現力、創造力、想像力。
たとえ、ほんの少しの経験でも、知識や思考力は、経験を補えるし、
想像力や創造力は、何十倍、何百倍の経験のごとく感じられる。
読書量の多い人は、潜在・在庫キャパが大きいと想像する。
(あ、わたし、本を読もうとすると、すぐ眠くなってしまいます。なんでだろ?)
というか、人それぞれ、好みや感性が違うので、人のことは、ほっておいたほうがいい。
いちいち、あれこれ、感動やら、なんやんやらかんやら、過敏に反応していたら、カラダが持たない。
自分を見失って、一生が、すぐ済んでしまう。
とまた、ハナシが逆のほうに方向転換されている。
わたしは、ブレブレだ。
いったい、どっちやねん?!
いえ、どっちも、です。
すべてが正しくて、すべてが、正しくない。(白黒はっきり)
あるいは、正しくないこともあり、正しいこともある。(混在)
いったい、どっちやねん?!
いいと思うところ、共鳴するところ、影響を受ける部分だけ、取り入れる。
その逆で、よくない、キライ、と感じる部分があれば、自分の好みや感性をはっきり認識できる。
そうやって、右往左往、ああでもない、こうでもない、紆余曲折、試行錯誤を繰り返し、
結論が出ないまま、一生を終える。
結論なんて、出てもつまらない。
わかりきっていることは、「人間は、生まれて、そして死ぬ」。
恋愛感情は、一定期間、一定状況で冷める。(ただし、お付き合いがある場合)
努力して保とうとしても、それは自己暗示、マヤカシにすぎない。(マヤカシでも、いいけど)
信頼は、積み重ねられる。
感情は、状況や時間の変化とともに推移していく。
驚きや発見は、慣れっこになると飽きる。
「飽きる」と「馴染む」は、似て非なるもの。
発見→感動→影響→醸成→蓄積→アウトプット
そうなれば理想だけれど、
犬が自分の尻尾を追いかけて、ぐるぐる回っている、
ああいうかんじで、わたしは、ほとんどの時間を同じ場所で延々と費やしている。
なので、自分のブログもそう。
いつも同じようなことを書いている。