蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

アラーム、びっくり

2023-06-02 | 日々のこと
今日は何度もスマホから大音量のアラームが鳴った。
その度に、飛び上がらんばかりに、びっくり。
初代スマホもまだ生きているため、時間差で初代スマホも大音量でアラーム。
豪雨による避難勧告のお知らせ。
うろうろ、落ち着きをなくす。
明日には落ち着くらしいが、まだ近隣地域のアラームは、夕方になっても続く。

庭が田植え状態になっている。
ところどころに伸びた草は、稲の苗のよう。
水はけ、大丈夫?
このまま、雨量が増して雨水がどんどん上がると、どうなる?
不安を抱えてガラス越しに外を見る。
こんな大雨にも関わらず、玄関先に出しておいたゴミペールからゴミは収集されていた。
自治体の市民サービスの徹底した仕事に、脱帽、感謝した。

アラームが示す、近くの避難場所は、各小学校。
隣の地区も一時は避難勧告がなされていたが、解除された模様。
避難勧告がある地域は、近くに川が流れているエリアだったり、土地が低くなっている場所。
大雨の度にヒヤヒヤすることだろう。
電車も運休になり、本日のスケジュールは中止、取りやめとなった。

避難に備えて、避難用の服を選んだ。
体育館などで避難する場合、少しでも過ごしやすい服が良いだろう、などとあれこれチョイスしていた。
ホームウエアのまま、飛び出す程の時間切迫ではなかった。
避難用衣類も決め(というより、こういう時は服ではなく持ち出し品が大事でしょう?と、自分でツッコミ)、そうこうしているうちに、眠くなった。
いつもこう。眠くなる。
わたしのアタマはどうなっている?

眠気に加え、恐怖を紛らわせる、ふて寝、お昼寝の後、スマホ、電源オン。
そこで、上岡龍太郎、訃報、が目に飛び込む。
大好きだった。
享年81歳。
売れっ子だったが、潔く2000年、58歳で引退。
引退後もゴルフやマラソンで健康的な身体、ぴーんと背筋の伸びた姿勢、立派なふくらはぎを彼の友人(一般人?)のブログから拝見することがあった。
流暢なキレのある日本語が口からシャキシャキ出て来る、知的でクールでハンサムな人。
ウィキペディアで調べてみると、知的な血は、彼の父方から流れていたようだ。
道理で、、、と、納得した。

それに伴い、トリオを組んでいた横山ノックの弟子をしていた横山やすしも調べてみた。
「やっさん」は、すごい。
ウィキペディアで長々と読んだ。
読みながら、ドキュメンタリーを観ているかのごとく、涙がポロポロ出た。
わたし自身、自分が生きている時代と、やっさんも同時進行。
最後の波瀾万丈芸人。
51歳で亡くなっているが、そんなに若かったのか。
息子さん(木村一八)は、もう親(やっさん)の年齢を超している。
というか、すでにわたしの年齢に近いではないか。


事実は創作、創造より感動を覚える。
事実自体が、間違って、あるいは故意に捏造されて記され、伝わることもある。
歴史は扱い方によっては時代に翻弄される。
映像が証言者となる番組(NHK TV 「映像の世紀 バタフライ エフェクト」)を見ると、複雑な心境になる。

そう深刻なところではない娯楽の分野だが、
TVが元気だった頃(今は衰退)、やはりわたしは子供の頃からTVには影響を受けていた。
わたしが幼い頃、祖母は、相撲と、三波春夫が好きだった。
祖母がTVでよく見ているのを、わたしは見ていた。
わたしの父は、アタマカチンコチン人間で、TVから流れる大衆娯楽は悪影響を及ぼすからと、TV禁止だった。
なので、父がいない時に、わたしはお笑い番組をよく見ていた。
漫才、大好きだった。
やすきよ漫才ブームよりずっとずっと前の話。
なにわの笑い、しゃべくり漫才。
わたしの笑いの原点かも。
笑いには間の取り方は、絶妙。
笑いにはセンスが必要だが、時代によってそのセンスは移り変わる。

上岡龍太郎は自分の笑いのセンスはもう時代遅れになると見込んで、引退した。
鋭い読み、引退の美学。
笑いの世界だけに留まらない。
落ちる前に引退するのは、なかなか出来ることではない。

さてさて、、、
話は戻り、雨、明日までには弱まるようだ。
今日も無事でなにより。