映画をサイトから有料配信して自宅で観ようと思った。
が、出来ない。
想定内。
がっつり※(がっかり※の入力ミスではありません)、わたし、最新通信機器が使えない世代。
気に入った映画を選ぶ手前までID登録、ログインして準備したが、肝心の、TVで観るところまで行かない。
このTVは夫や孫たちも録画したものやケーブルTVを観るから、変なことになっては皆んなが困る。
なので、自分しか使わないモノなら構わないが、他のひとたちも利用するため、自信ないことは失敗を恐れず無理やりやって迷惑かけたくない。
優しい娘婿にお願いしてみよう。
頑張らずに丸投げ。
そうやって、どんどん新しいことに挑戦しなくなる。
益々、脳が萎縮していく。
昔からの仕事仲間で、全く通信オンチがいる。
ほぼ、何も出来ない。
娘さんに全て設定してもらって、自分は、最後の「go」のタップするだけ。
でも、自分でやっていると自慢している。
こういう性格の人は強い。
良い人生が送れる。
と、イヤミのひとつも言いたくなる。
わたしが、やりたいが出来ないことの一つに、最新通信便利ツールがあり、使いこなせない。
あんなに昔に画期的発明をしたエジソンはスゴイ。
通信ではないけれど。
だが、通信は、絶大な革新が起きる反面、その一方で情報操作など弊害も生み出す。
さて。
話は変わる。
今までやってきて、楽しかったことと、楽しくなかったこと。
それを振り返り、楽しかったことを思い出して、その方向に沿って進みたい。
かつて、ジムに7年通った。
スイミングやマシーントレーニング、エキソサイズ プログラムに参加した。
これは、今の身体を作るのにほんの少しは役立ったかも知れないが、楽しくなかった。
7年やって、ご苦労様と、自主設定タスクから自分を解放した。
憂鬱な気分が、ぱ〜っと晴れた。
良かれと思って自分に鞭打ってやることは、やがて重荷になり苦しくなってくる。
そもそも、体育系は苦手で運動は嫌い。
でもそれでは身体に良くないだろうと、頑張ったが、やはり嫌いなものは嫌い。
嫌いなのに7年やったのだから、まあ良しとしよう。
学生時代は勉強は大の苦手で大嫌いだったが、絶対に避けて通れなかったので、無理やり歯を食い縛って?(へんな表現)頑張った。
その時に頭に入れたことは、今でも覚えているから、まあ、苦労は報われたというほどではないとしても、マイナスではなかったのだろう。
が、精神的にはマイナス。こころに傷を負った。
頭が悪いのだから仕方ない。
悪いなりに頑張った、と自分の傷を舐める。
楽しいと感じる好きなことは何だったのだろう?
書くと恥ずかしい。
若気の至りっぽいことが多い。
アタマが弱い若い女の子にありがちな、そういう女子だった。
若いのだから仕方ない。
どんなことが楽しかったか、一つ一つ列挙しようと思ったが、恥ずかし過ぎて出来ない。
その頃と同じことを今、しても楽しいかといえば、そうでもない。
若さを楽しむ年齢が過ぎた。
仕事は楽しかったか?
否。
辛かった。が、わりと平気だった。
ではあるが、社会を知り、表面的な浅いところから少し奥深くに行ったかも。
貴重な経験をした。
キンキラした、ゴージャスな遊びの世界にも行こうと思えば行けたのに、行かなかった。
わたしの母も、交友関係は、派手な華やかさとは真逆の、とても地味な真面目な人と親しくしていた。
ド派手ケバケバは嫌いなんだろう。
自然ネイチャー素朴派。
わたしは、中途半端だ。
読書したり、何かに夢中になって研究したり、のめり込んだりもせず、何もせずに今日に至る。
これからもその延長上にあるだろう。
幸福な結婚をして(これだけブログで愚痴ってはいるものの、不満は幹ではなく枝部分)子供に恵まれ、そして無事、巣立ってくれたのは何よりだ。
今は趣味も見つかり、楽しんでいる。
あとは、静かに老いていくだけ。
そう書くとミもフタもないが、よくよく考えてみると、充実した幸せな時間だった。
十分楽しませてもらった。
今となれば、これ以上望むものはない。
なんて、もうすぐ死ぬ人みたいなことを言っている。
でも楽しい毎日だ。
「楽しい」にも温度が人よりも低いかも知れない。
出る杭は打たれる。だから、出ないで土の下。
地下から世の中を見る。
それにしても、、、
映画に話をもどす。
認知症をテーマにした映画は観たくない。
老いと対峙するものも重い。
役所広司が先日、カンヌ映画祭で最優秀男優賞を取った作品が観たい。
彼が、「どんな時が一番楽しいですか?」とインタビューを受け、答えていた。
「何も予定のないお休みの日に、今日は何をしようと、考えて、1日が終わる、というのがとても楽しいと思います」
この答え、頷いた。
わたしと全く同じだ。
違いは、偉業を成したか、全然何もしてないか、そこだ。
そして、忙しい真っ最中の役所広司が、スケジュールが空いた日が無さそうなこと。
まるっきりわたしとは真逆だが、得られた幸福感が同じなら、結果良ければ全て良し。
わたしは、一市民なので褒められることもないが咎められることもない。
わたしが楽しく、周りにも影響も与えてないが、迷惑もかけていないから良い。
普通の凡人が得られる最大の喜びかなと、一人でニヤニヤ、ニコニコしている。
※写真は昨日のお出かけ先。