最近、ご近所さんたちの高齢化が進んでいる。
先一昨日の夫スイス行方不明事件の方は90歳。
個人情報漏れ漏れ苦手女性も90歳。
そして、他にもたくさんいる。
今日、バス停に向かって歩いていると、町内女性たちの井戸端会議。
一応、大きく会釈して通り過ぎようとすると、その中の最年長女性が言った。
「おばあさんの会議です」
なるほど、その通り。
わたしは、自分は若手だと実感した。
しかし、若手はまだわたしの子供世代や孫世代も控えている。
上から2番目、下から3番目。
これ、つい最近までのうちの家族構成図。
姑、我々、子供たち夫婦、孫たち。
4世代が同時進行している。
まさに社会の縮図。
税金の使い道、分配もそりゃあ難しいことだろう。
おばあさんたち、お元気だ。
つい最近まで(そんな気がするだけで、もっと前)、自治会で彼女たちは後方支援ながらも縁の下の力持ち的に仕事、役割をこなしていた。
当時はわたしは、現在の長女、次女世代、働き盛り。
自治会会議に子連れで参加していた若いお母さんも、あのベビーちゃんたちは大きくなって立派な大人になっている。
一世代一世代ずつ、順番に歳を取っている。
自治会掃除の日、バリバリ陣頭指揮を取っていた男性がいた。
長身。足りない用具を調達係にテキパキ指示していた、、、カッコイイなあ、、、
この方、じつは、わたしの長女が通っていた地元小学校の同級生のお父さん。
もちろん、お母さんも知っている。柔和な方。
カッコイイ人は、いつまでもカッコイイんだ、、、と、ほれぼれ。
わたしと同世代であることは間違いない。
まだまだイケているではないか、見捨てたものではない、と、へんに嬉しくなった。
まだ働ける年代。役に立つお年頃。
その上の、我々の親世代だって、まだまだ元気で、道で長々と立ち話しているんだし、、、。
今、わたしが住んでいる地域は、ほんの腰掛けのつもりだった。
本拠地は、嫁ぎ先の、県をまたいだ東隣の地。
わたしが生まれ育った地は現在の住所と西に隣接する県。
3つの地域を少しずつ西から東に移動したことになる。
今いる場所は、子供の教育と仕事のため、便宜上、家を設けた。
仮の住まいだという認識だった。
が、35年以上も経つと、住民の皆さんと同じ時間を過ごし、同じ時間分量、歳を重ね、感慨深いものがある。
そう言いつつ、隣の家には、メインのご夫婦以外に誰が住んでいるのか、家族の移り変わりを知らない。
お隣さんを初めて見た時は一番下の子供さんは小学生だったが、その後、3人のお子さんたちはどこの学校へ行き、どこに就職し、家族でどこで住んでいるのか知らない。
(下の娘さんが高校入学時に仕立てた学校の制服を、お隣さんが留守で預かったことがある。
どこの高校かそれでバレバレだったようで、奥さんが気にしてか、制服を渡した時、一言コメントされていた。
が、わたしは全く興味がなかったので、どこの高校か知らない。いまだに。)
が、車は常に数台停めてあるので、ご近所に住んでおられるのだろう。
情報通の町内の知人から、お隣さんの情報を得る。情報の逆輸入。
わたしは、あまり人の生活には首を突っ込まない主義。
うちの、やたら大きく伸び放題の木にも35年以上、お隣さんから一言の文句も言われないことには胸を撫で下ろしている。
いつ苦情を言われるかとヒヤヒヤしているが、もう限界!という頃には、必ず植木屋さんに伐採してもらっている。
どうせ切るなら早々に切って、スッキリさっぱりすれば気持ち良いものを、、、。
ちなみに、木が茂って隣家に迫っていることに関しては、かなり隣家は忍耐強いと思われる。
(もうそろそろ暑くならないうちに今月中には植木屋さんに連絡しなければ、、、)
両隣に関しては、何ごともトラブルなく今日まで来て、ほっとしている。
孫たちの運動会に行くと、孫たちの親たちも同じ小学校だったことを思い出させる学校伝統行事がある。
わたしは、地元出身ではないので何とも感じないが、娘は母校に子供たちを通わせ、運動場も教室も同じなので、ある意味、懐かしいと同時にこころが落ち着くのではないだろうか。
小学校の同級生も同じ町内に家族と住んでいるし、その子供たちも同じ学校に通っている。
なんだか、ほのぼの、ほんわかする。
中学、高校と進むにつれ、道は分かれていくことだろう。
が、また戻って来る場合もある。
そんなこんなで、一通り、やるべきことを終えると、仮の住まいがいつの間にか、本拠地になり、本拠地は別荘になった感がある。
中には、定年後、他の地に移住したりする人もいる。
選択肢は広がる。
出来る範囲なら何をしてもよい。自由。
そういう頃には気力も体力も衰えていることもあるだろう。
気力、体力があるうちに、したいことをする!
したいこと、そのものがない場合は??
そこまで面倒見れません。各人に任せます。
自分に問い、自分と対話していただきたい。
自分と対峙する機会を得ると、またその後の展開や感じ方も変わる。
時間の経過を振り返り、その結果(周りの人々やコト)が目の前に、毎日、同時進行で進んでいることに触れると、深い味わいを感じる。
例えそれが、単にご近所さんのお年寄り達を目にするだけだったとしても、時の移ろいを感じて楽しめる。
楽しい芽は、意外にどこにでもあるんだと、今更ながらの新発見に驚く。